モリアンヌ
白い夢を見た夜、白い白い狐がその森にやって来る。
その夢を見るのは子供だけ。それも選ばれた子供だけ。
辛くて悲しくて、この世から消えてなくなりたいと思い、切に死を願うような子供。
その森の名前は『白狐の森』。
その森に現れた狐は、消えたいと願う子供に、命と等価の無刺激の時間を与えるという。
無刺激。
お腹がすいた、頭が痛い、寒い、悲しい。
そんな感情が全て取り除かれた、煩わしさの欠片もない空間にただぷかぷかと浮かぶだけ。
すべてが眠りに変わって、何もかもを失うまでそこでまどろんでいてもいいのだという。
けれどそれは永遠ではない。
全てを失ってから。
家族も、友達も、幸せだった記憶も、辛かった記憶も、名前も、感情も、罪さえも。
肉体と空っぽになった心だけを持って、気づいたら森の入口に座っている。
誘うときは甘美な香りをちらつかせるくせに、帰りは案外素っ気ないのだ。
みな帰りになれば、その甘美な時をもう一度と森に迷い込んでいくらしい。
白狐にもう一度、その時間を譲ってもらうために。
けれどある日のことだった。
白狐の美しい声、美しい目、すべてを奪おうとする強引さに惹かれた少女がいた。
その少女は、名前や生い立ちなど自身ではどうしようもない問題で塞ぎ込んでいた。
両親は離婚、母親に売られ、辿り付いた村で買われた男にまた売られ・・・
おかしな名前をつけることで有名な孤児院の院長に拾われ、現在。
白狐の森の前に座っていたから、モリアンヌ・ホワイトと名付けられた。
モリアンヌは、記憶こそないものの白狐の森の生み出した人間だとは自覚していた。
あの美しい狐の声をぼんやりとだが覚えているし、それまで自分がどんな辛い目にあってきたかも聞かされるまで知らなかった、いや覚えていなかったからだ。
「モリアンヌ、お掃除終わった?」
親友のリリーが、優しい甘い声でいつもどおり話しかけてきた。
ユリの花が満ちたダンボールに入れられて捨てられていたから、リリー・リリーと言う。
彼女は幼い体ながら、その死の淵から自力で這い上がってきたのだそうだ。
今でも風邪などはひいたこともないが、ユリの花の匂いがだめなのだという。
「ああ、私、もうすぐ」
「私もー。じゃあ早くおわらして、遊びに行こう!」
「うん、そう、する」
言葉もまだ曖昧な私に、リリーはいつだって優しかった。
この孤児院に連れてこられたばかりの日、私はまだ12歳だった。
その日から今日でちょうど3年、この孤児院にはあと1年しかいられない。
リリーは私より一個しただから、私がいなくなってから一年後にここを出る。
別れるのはさみしいけど、運命だからと諦めている。
「ここ、出たら、何しよう。」
「モリアンヌは眠るのがとても好きだから、眠っていても怒られない仕事はどうかな。」
「それ、ある?」
「ないかなー、どうだろう?」
「さあ・・・」
言葉もうまく使えない、笑顔もうまく作れない、そんな人間に出来ることなんてない。
自分で自分を決め付けて傷つけてきた。
森に行きたい。
狐の美しい夢を見て、またあの森にのみこまれたい。
体も心も奪われて、戻ってきたくない。
あの白狐の腕の中にずっと、永遠にとどまりたい・・・
いつしか私はあの狐を求めるようになっていた。
あの美しい毛並みに触れたい。
あの声を出す喉にキスしたい。
あの吸い込まれそうな目を見つめたい。
「リリー」
「なぁに?」
「・・・森、行きたいよ」
「・・・森って、白狐の?危ないよ、やめなよ!」
「嫌、行きたい、森、行く・・・!」
立ち上がった私のうでにしがみついたリリー。
思いのほか強く振り払ってしまった。
床に尻餅をついたリリーを少し見て、そのまま前を向いて走り出す。
嫌だ。
リリーなんか何もわかってないくせに。
眠るのが好きなんて、なんにもわかってない。
私は眠って、あの狐に招待されるのを待ち望んでいたのに。
時間さえあれば眠り、白い夢を待っていた。
逃すまいとその夢を必死で追いかけた。
けれどその夢に出会ったことは、あの日から一度もない。
ああ、会いたい、会いたい。
森の入口にたどり着いた。
あの日はここに、白狐が凛とした顔で私を待っていたのに。
今ここにあるのは、森の静寂と鳥たちのさえずり、小さな木漏れ日の光だけ。
「きつねさん・・・」
涙が出てきた。
会いたくて仕方ないのに、どうして会えないの。
私は言葉の出し方を忘れてしまったから、この言葉を口には出せない。
愛してる、と。
「きつねさん・・・あい、たい・・・よ」
答えてくれる人はいない。
失ったものを返して欲しいわけじゃない。
なにを求めているかと問われれば、あなたをと答えるだろう。
けれど白狐は現れない。
現れてはくれない。
彼は私を、求めてはいない。
「ああ・・・苦しい・・・」
ぎゅっと喉を締め付ける。
両手でぎゅっと。
体が逃げてしまわないように、しっかりと・・・
end
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