表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逸脱! 歴史ミステリー!  作者: 小春日和
【番外編】遷宮ってどんな儀式?
16/24

【番外編】遷宮ってどんな儀式?

 猛暑や極寒、自然災害などをもたらした平成二五年ももうすぐ終わりを迎えます。みなさまには少しでも幸多き一年となりましたでしょうか。

 さて。今年は日本の神道においても大きな天気……おっと、『転機』を迎えた年でありました。二大信仰地の『伊勢神宮』と『出雲大社』が揃って『遷宮』という儀式を行ったのです。

 今回の章では、ミステリーというわけではありませんが、未だホットな話題となっているこの『遷宮』について噛み砕いてみたいと思います。


 まずは、簡単にこの『遷宮』というイベントをご紹介しましょう。

 遷宮というのは『お宮をうつす』という行為です。お宮というのは、もっと一般的な呼称で言うと『神社』のこと。伊勢神宮の『神宮』、出雲大社の『大社』も神社の種類の一つとなります。

 伊勢神宮で二〇年ごと、出雲大社でだいたい六〇年ごとと定められた『遷宮の儀』は、ではなぜ必要なのでしょうか?

 これにはいくつか理由があって、一つには物理的な問題の解決が含まれます。神社というのは、『社殿形式』という、通常の家屋やオフィスなどとはかけ離れた造りをしなければなりません。屋根の形状や建物の向き、敷地内での配置。細かい規則は神社ごとに異なりますが、基本的なルールは木造にすること。木で作られた建物はコンクリートと違って経年劣化が著しいですね。だから定期的に造り替えなければならないのです。

 また別の現実的な理由として、神社を建築する技量を持つ『宮大工』に竣工の機会を与えるというものがあります。戦火や天災で倒壊を多くしていた時代と違い、現代は神社が大規模に破損する件数が激減しています。そうなれば当然『実際に一度も社殿を建てることがなく生涯を終える技能者』の方々も出てしまうわけで、技術の継承としては非常に心もとない状態になってしまうのです。特に伊勢神宮の『二〇年に一度』というサイクルは、この宮大工の代替わりに合わせた時期と言われています。

 そして遷宮を行う一番重要な理由として上げられるのは……おっと、この説明に入る前に、ちょっとだけ、前述した伊勢神宮と出雲大社の遷宮の『違い』についてご案内しましょう。


 実は、『今年に遷宮を迎えた』ということで一括りにしてしまったこの二つの神社、でもその意図はまったく違います。

 出雲大社の遷宮は、先に『物理的な理由』としてご紹介した『社殿の補修・改修』が主なきっかけとなります。というのも、出雲大社では神さまのいらっしゃる建物(本殿)の高さが際立って大きいのですね。現在でも二四メートルという、ビルにしたら一〇階建てに相当する威容を誇ります。そのため耐久性に問題が生じやすく、また巨大であるがゆえに完全な移築や建て直しなどの工面が難しいのです。よって、この神社の遷宮のやり方は、まず本殿から神さまを仮の建物に移動させ(遷座せんざ)、本殿を綺麗にしたのちに、また元の場所に鎮座していただくという行程になります。遷宮のサイクルをほぼ六〇年ごととしているのは、決まった年数を奨励しているわけではなく、ちょうどそのころが建て替えに適した間隔になるからです。

 一方で伊勢神宮のほうは、……みなさまの中には『式年遷宮』という言葉を耳にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか? これは、神社の建物が健在であろうが大工さんの都合が良かろうが、決まった年度には遷宮の儀式を行うというやり方です。つまり、伊勢神宮の遷宮は実用性ではなく『祭礼』の意味合いの強い儀式なのですね。


 なぜ同じ遷宮にこのような違いが出るのでしょうか。

 出雲大社の例は、ふだん神事に携わることのない私たちにも理解がしやすいものだと思います。壊れた住処をそのままにして大事な神さまに提供することは失礼に当たりますから。

 では『式年遷宮』のほうは? なぜ何も不都合が起きていないのに、連日報道を賑わせるほど国民を巻き込んで、大掛かりなことをする必要があるのでしょうか?

 そうなんです。これが先ほどちらっとだけ話題を出した『遷宮を行う一番重要な理由』に関係してくるのです。


 式年遷宮を行っているのは伊勢神宮だけではありません。『しおがまさん』の愛称で知られる宮城県の『鹽竈しおがま神社』、大阪人が『すみよっさん』と親しげに呼び習わす『住吉大社』なども同様の儀を行うことで知られています。ただ、やはり大勢の人員がいることとお金がかかることなどの事情から、他の神社では伊勢神宮ほどの大規模な遷宮は行われていません。出雲大社と同じく、神さまに仮の宮に移っていただき、その間に本殿を改修するという程度の祭礼に縮小されています。といっても、それだけでも数億という大工事なのですが。

 では伊勢神宮の場合はどうか?

 『お伊勢さん』の遷宮の費用はおよそ五五〇億と見積もられています。それだけでも桁の違う規模だということがおわかりでしょう。主な手順は、まず神宮に入るための境界になる橋の架け替えをします。テレビで大きく報道された『宇治橋の渡り納めや渡り始めの儀式』で、目にされた方もいるんじゃないかな? 続いての重要祭祀は神社の建物を徐々に別の場所に移していく行程。最初の柱を建てるところから上棟式、殿内の装飾に至るまでを、一般の方々も交えて、すべて儀礼として厳かに執り行います。地元の人たちが白い石を集めているシーンを、これもテレビや新聞で見られませんでしたか? あれは『お白石持行事しらいしもちぎょうじ』といって、本殿の敷地に敷き詰める石を聖なる川『宮川』の河川敷から拾い授かっていたのですね。


 実は伊勢神宮には二つの神社が存在します。それぞれ『外宮げくう』『内宮ないくう』と呼ばれ、敷地の場所も六キロほど離れています。

 通常の神社は一つの社殿に一柱(神さまを数えるときは『○人』ではなく『○柱』という言い方をします)の主神を拝するのですが、このように一つの神社が複数の社殿を持つ様式もたまに見られます。有名なところでは長野県にある諏訪大社もそうですね。あそこも『上社かみしゃ』『下社しもしゃ』という二つの社を持っています。主神は、上社が旦那さま、下社が奥さま。諏訪湖を挟んで南北に配置されているため、真冬で諏訪湖が凍ったときは、旦那さまが奥さまの元に『御神渡おみわたり』されるのだそうです。

 伊勢神宮の場合も『外宮』『内宮』の神さまはそれぞれ違います。こちらはご夫婦ではなく、外宮が『トヨウケビメ』、内宮が『アマテラスオオミカミ』となっています。二柱とも女神さまですね。

 みなさんも、たぶん『アマテラスオオミカミ』の名前はご存知だと思います。日本における最高神。太陽の神。弟のいたずらに怒って『天岩戸あまのいわと』に隠れてしまい、でも外で行われた宴会の音を聞いて思わず顔を出しちゃうような、ちょっとコミカルな神さまです。ただ、この女神さま、知名度は抜群なのですが、神さまとしての役割はかなりあやふや。太陽が農作物を育てることから『稲穂の神』と関連づけられたり、また詳細は不明ですが海の神との混同も見られます。このあたりはいずれミステリーとして解明してみたいなあ。

 一方で外宮におられるトヨウケビメははっきりとした役職を与えられた女神です。この方はアマテラスに食事を提供する神さまなのです。もともと京都あたりに住んでいたトヨウケビメは、ある日、アマテラスから食物の世話をするように仰せつかりました。そして請われてこの伊勢の地に降臨したのです。

 こうやって見ると、トヨウケビメとアマテラスオオミカミの地位は、アマテラスのほうが上に感じます。でも伊勢神宮の参拝順序は『外宮→内宮』を巡るのが正式。つまりトヨウケビメのほうが格上に見られているのね。理由は、たぶん、外宮に務める神職さんが唱えた『トヨウケビメは天と地が分かれたときに生まれた始原(最初)の神である』という思想によるもの。神さまの世界では、始原神は知名度より優先されるのです。

 ちなみに系譜で言うと、トヨウケビメはアマテラスのお兄さんの娘さん(姪)に当たります。始原神と位置づけられた経緯は、個人的には神職さんのこじつけっぽいかなと、ちょっと感じていたりして。


 ここで話を戻して。

 伊勢神宮の遷宮は、報道によると内宮ばかりが取り上げられていましたが(先に書いた『宇治橋の神事』や『お白石持行事』の記事は内宮のものでした)、外宮でもちゃんと行われています。古い本殿(※一)のあった『古殿地』はいまは近寄れないように隠され、隣の敷地には新築されたまっさらな社殿が輝いています。

 総工費五五〇億にも上ると言われるこの二社の式年遷宮。一説には一〇〇年の年月にも軽く耐えぬくと言われる社殿建築の建物群を、わざわざ、『修復』ではなく『移築』してまで完全に生まれ変わらせるこの行事の意味。

 それは、日本人に根づく『穢れを祓う』という感性から来ているのです。


 ここから先は、私の学んできた『歴史上の信仰の概念』と、そこから導き出される『神社の意義』を推論しながら書かせていただきます……とあらかじめお断りしておくのは、私の考えが『宗教家』のそれとは大きく異なっているからです。

 みなさんはパワースポットに出かけてお祈りをするときに「神さまはいる」と信じるでしょう? それは宗教の教え。私は「神さまという存在は長い間人間の精神で育まれてきた観念である」と思っています。だから、ともすると『宗教』とは対立した意見を述べてしまうんですね。

 もちろん、この双方に正解・不正解はありません。ですので、この先の意見は『作者の私見』と捉えてもらえれば幸いです。


 では改めて始めさせていただきます。

 日本では宗教として体系化される以前から『神をまつる』という概念がありました。神とは主に自然の恵みです。樹の実や野草や清水を与えてくれる山岳、風雨や寒暖から人間を守ってくれる大木の洞や洞窟。また、時代が下れば、住居を作るために欠かせない材木や漁の道具となる動物の骨、衣服の素材である麻などがその対象となっていきました。要するに、人は生きていくために大切にしなければならないそれらを、ただの『モノ』とは見ずに、『自分を生かしてくれるありがたい存在』として認識していたのですね。

 ところが、その『神さま』たちには二面性がありました。山岳は食物を与えくれる一方で人間の敵たる熊や蜂なども育てます。また土砂災害、遭難等の被害は現代の世に至るまで対策を打てないほどの厳然とした脅威です。人を風雪から守ってくれていた大樹や石洞は、ひとたび倒壊や崩落を起こせば、生命、生活の安寧を一瞬にして奪い去っていきます。一見、被害が少なそうな住居や衣服などの素材にしても、道具を使うようになった私たちの前から突然の気候変動でそれらが採取できなくなったらどうでしょう? 体毛が減って寒さに対応できなくなった人間は凍死しかねませんし、また便利な暮らしを前提に形成されていた村落は崩壊してしまうでしょう。

 だから人は『神』を恐れるようになったのです。気まぐれに自分たちの命綱を断ち切る強大で無秩序なその存在に、「どうか荒ぶる気持ちを抑えてください」と慈悲を請い、「神さまを怒らせないようにしかるべき手順を踏むべきだ」と決まりごとを作ったのです。それが、神を祀るための場所、『神社』を設けるという行為に駆り立てたのですね。


 だから、『神社』という場所は、最初から『強迫観念』を内包していました。荒ぶる神を抑えこむ義務、神の恵みの部分を最大限に引き出す役割を課せられていたのです。

 そんな神社の、建物、それから立地。神を畏れる人々にとって、それらは最大限に気を使う対象でした。例えば、みなさんは、持っていたお守りが汚れていたり古かったりしたら、効果が薄れたような気がしませんか? ただの布と紙の装飾品であるにも関わらず、毎年律儀に買い換える方は少なくないでしょう。神社も同じでした。建物や土地は時間が経つにつれて『恵みの効果』は薄れ、『畏怖の脅威』が増大したのです。

 前述した『しおがまさん』『すみよっさん』、そして『お伊勢さん』の式年遷宮は、いずれも二〇年~三〇年のサイクルで行われます。つまり神社の『効果』はそれぐらいで薄れると思われているのですね。

 効果が切れた神社が人間にどんな仕打ちをするか。それを想像したら、遷宮の儀式をさぼるなんて恐ろしいことは考えられないですよね。

 伊勢神宮は日本の代表神社。そのお伊勢さんがまかり間違っても『神を荒ぶらせること』などあってはならないわけです。だから大量の金銭を投入してでも遷宮の実施は避けられないのですね。


 江戸時代から活性化したというお伊勢さんへの参拝巡礼。『お伊勢参り』と呼ばれるこの形態は、「一生に一度は伊勢参り」と謳われたように、貧しい庶民の間でも大流行しました。伊勢参りを果たせずに一生を終えるのは無粋とまで言われたんですね。

 とはいえ食べていくのにやっとの江戸期の農民が、ふつうなら、そんな贅沢をできるわけはありません。これには『伊勢参りに詣でる人々に対する特別待遇』が功を奏していたのでしょう。「お伊勢さんに行く」と言えば、通行手形の厳しい制約(女性の村落間の移動への制限や持ち出し品の規制等)はほとんど課せられなかったようです。また金銭に関しても寄付を集めやすかったと当時の資料は伝えています。(※二)

 そうまでして伊勢神宮への信仰を深めていったかつての日本人。その心は現代の私たちの中にも着実に根づいています。お伊勢さんの鳥居をくぐる人たちの多くは、他の神社ではほとんど見られない現象なのですが、頭を丁寧に下げてから入場していきます。お参り前の作法である『二拝二拍手一拝』も欠かす方は少ないですね。

 なお、ちょっとしたトリビアなのですが、伊勢神宮で個人的なお願いごとをするときは『本殿』ではなく『荒御魂あらみたまをお祭りしている宮』に向かわれるのが本当の参拝方法です。外宮では『多賀宮たがのみや』、内宮では『荒祭宮あらまつりのみや』がそれに当たる建物になります。神さまというのは、先にもご説明したとおり二面性を持っています。優しい面を『和御魂にぎみたま』、荒々しい面を『荒御魂』というのですね。優しい神さまは、あまねく人々を幸福にしてくれますが、個人の都合を聞いてくださるには少々懐が広すぎるのです。逆に荒々しい神さまは、扱いは難しいですが力が強いので、どうしても叶えたい祈りを聞いていただくのに向いているというわけなんですね。

 二〇一三年という遷宮の年はもうすぐ終わりを迎えます。でも、新たなパワーを手にされた該当の神社の神々が活躍するのは、むしろ来年以降のこと。もしも、この遷宮をきっかけにして伊勢神宮や出雲大社に出向く予定のある方は、いまこそ大きな夢を願い出る機会と捉えて、遠慮なく神さまに甘えてきてくださいな。

 来年、一つでもいいから、どんなに小さなものでもいいから、受賞という手応えを感じさせてください。これが、文章を書くしか能がない私が、一昨々日(さきおととい)に伊勢神宮で願ってきた夢のすべてです。叶うといいなあ。

 二〇一四年。みなさまも、できるかぎり幸せな年を迎えられることを祈って。

 良いお年を。

 本年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

※一 伊勢神宮では『本殿(ご神体を置く場所)』のことを『正殿』と言います。

※二 身近な例では『伊勢講』という参拝方法が流行りました。これは村落全体で寄付を集めて代表者に持たせ、その代表者に代わりにお参りに行ってもらうという仕組みです。定期的に行うので、結果的には村落の全員が伊勢参りに行けることになりました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ