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逸脱! 歴史ミステリー!  作者: 小春日和
織田信長を暗殺した黒幕は?
10/24

信長をおさらい

 さて。少し時間が開いてしまったのと前回までの推察が急ピッチだったことを反省して、この回ではおさらいがてら、もう一度信長の行動についてまとめてみようと思います。


 尾張の小大名の息子として生まれた織田信長。時は戦国時代末期。けれど下克上と認識されているかの時代においても、未だに大勢力の今川、武田、上杉、北条、仏教勢力がトップを取っていた世相でした。そんな中、本来なら尾張一国を統一できれば上出来という立場であった信長が天下を取るまでに迫った背景はなんであったのか。


 一番の功績は桶狭間の戦いにおいての勝利でした。当時の織田氏の敵の中で最大勢力……どころか、日本の中にあっても一、二位を争う今川氏を綿密な知略戦で打ち破った合戦です。

 これにより有名になった織田信長には多くの武士勢力が加担しました。また将軍家の足利氏も一目置くようになりました。信長はそういう仲間をうまく取り込んで力を蓄えていったのです。

 大大名へと成長していった信長は、敵対勢力を丹念に潰していくのと並行して、仏教寺院を壊滅に追い込んでいきます。比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺、本願寺、みんな信長に手酷い目に遭いました。


 信長が執拗に大きな寺を焼き討ちして回った理由を、前回、『信長の先祖の忌部氏が神道の祭祀を司る家柄だったからではないか』と推察しました。つまり『信長は仏教ではなく神道を復活させたかったのではないか』と書いたわけなんですね。

 実は多くの偏見の中で『信長は信仰を持っていなかった』ということを言われます。これは自らを第六天魔王(悪魔=仏の敵)などと名乗ったからだと思われます。当時は信仰といえば対象は仏教だったので。けれど信長は熱田神宮を始めとして伊勢神宮や京都の石清水八幡宮、賀茂神社系統のお宮さんに造営料を寄進したりして神道の復興に尽力していたんだな。中でも熱田神宮に贈った『信長塀』は『日本三大壁(日本三大練塀(ねりへい))』に数えられるぐらい造設に力を入れたのです。だから少なくとも神道に関しては敬虔な態度を示していたのですよ。


 ここでちょっと雑学を。

 信長が寄進したと言われる『信長塀』。これは熱田神宮の周囲をぐるりと囲む頑強な塀のことなんですが、ではなぜ熱田神宮に塀が必要だったのか。多くのお宮さんって塀なんかないですよね?

 神道には『穢れ』という概念があります。血や死を連想させるものを敷地内に持ち込んではいけないのね。でも当時の神社は寺に勢力を乗っ取られて整備もままならない状態。あの伊勢神宮でさえ肩身の狭い思いをしていたのです。

 そんな放置された神社には穢れが入り放題になってしまいますね。だから、信長は塀を作ることで内部の精霊や財産を守ろうとしたのでしょう。神道家系の信長らしい着眼点だと思いませんか?

 ちなみに『日本三大壁』のあと二つは、豊臣秀吉が寄進した『三十三間堂の太閤塀』と豊臣秀頼(秀吉の息子)が造った『西宮神社の大練塀おおねりへい』です。どっちも信長の影響でしょうね。


 話をまた前回までの推察に戻して。

 神道を復活させようとしていた信長。ところがそれまでの日本が仏教を強力に庇護してきたせいで、体力を削がれた神道勢力は自分の力で国教に這い上がることができなくなっていたのです。下手に神道が布教に努めれば仏教に潰されかねなかったのね。それは信長が天下人になったからといってもすぐに勢力を入れ替えることは難しいレベルでした。

 ではどうしたら神道を守りながら仏教の排斥に国を巻き込んでいくことができるのか。

 そこで信長が目をつけたのがキリスト教でした。九州や中国地方から勢力を拡大しつつあったキリスト教を『暫定的』に後押しすることで、民の信仰心を仏教から離すことができると踏んだのです。

 キリスト教の布教は現代一般的に知られているよりももっと広範囲に及んでいたようです。岐阜美濃地方で隠れキリシタンの墓標が見つかった、なんて記事をついこの前も目にしましたし、東北地方にも『キリスト文明』の痕跡を見ることができます。『青森にキリストの墓がある!』というミステリーを目にしたことがありませんか? さすがにキリスト自身のお墓は無理がある説ですが、キリスト教(ユダヤ教)の勢力が該当の地に根づいていた証拠はいくつも見ることができるのです。

 そうやって日本全土に根を生やしていたキリスト教。その裏でひっそりと息を吹き返しつつあった日本神道。信長にとってはまさにシナリオ通りの展開だったでしょう。


 が。

 私には信長が一つの過ちを犯しているような気がしてならないのです。

 キリスト教を利用して国家神道を広めていこうとした信長。けれどキリスト教のほうも目指すものは『日本人の総キリシタン化』ではなかったでしょうか。だとすれば最終的に神道とキリスト教は対立します。

 聡い信長が徐々に力を持っていくキリスト教に警戒心を抱かなかったわけがない、と思うんですね。だったら彼はどうするか。当然、キリスト教を今度は弾圧するでしょう。

 ただ史実としては信長は生涯キリスト教に好意的でした。だからこの説を証明するものはいまのところありません。けれどこの後のキリスト教の歴史を見ていくと、信長がキリスト教の拡大を許したわけがないという事実も多く出てくるのです。


 次回以降は、そんな信長とキリスト教との確執を絡めながら、最終的には本能寺の変の黒幕の正体にまで迫ってみますね

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