卑弥呼はどこから来たの?
卑弥呼、って知ってますよね? 三世紀に邪馬台国という大きな国を収めていた女王のことです。
時代は弥生時代、人々の生活は縄文の狩猟生活から稲作へと劇的に変化を遂げていました。安定した収穫により余裕の生まれた弥生人たち。諸説はありますが、その余剰のエネルギーを彼らが使った先は戦争でした。『倭国大乱』と呼ばれる内戦です。
中世の戦国時代を例えに出せばピンと来るかな。応仁の乱(一四六七年)から織田信長の治世(一五七〇年前後)まで続いた戦乱の世は、勝者に大きな利をもたらし、敗者に残酷な滅亡を与えました。一〇〇年以上続いた戦国時代と同様に、倭国大乱も七〇~八〇年ほど続いたと言われます。戦争を長引かせる体力があるなら別の向上心を持てばいいのにね。
そんな内乱を収束させたのが卑弥呼でした。『鬼道』という怪しげな超能力を使って『人心を惑わし』、邪馬台国の王となって、西日本から九州一体を平定したのです。
さて、そんなすごい人物の卑弥呼は、どんな人生を送ったのでしょうか。
邪馬台国に君臨した当初から、彼女は非常に高齢だったと言われています。弥生人の平均寿命が四〇歳ぐらいだったらしいので、王位継承時に高齢だったということは、六〇歳ぐらいなんでしょうかね? 一説には七〇歳以上生きたとも言われます。
その彼女は人前に姿を見せることはほとんどありませんでした。女性ばかりの宮殿を作ってそこで暮らしたと伝えられます。
そんな得体のしれない存在だった卑弥呼。大国の女王だった彼女は、実は墓の所在さえはっきりしていません。それどころか、卑弥呼のことを記した歴史書は日本にはひとつもないのです。
ふーむ。卑弥呼って本当にいたの?
けれど私たちのほとんどは卑弥呼を実在の人物だと疑いません。なぜなら、教科書は元より、卑弥呼の存在を疑う資料がほとんどないから。
ならば卑弥呼はいると考えましょう。倭国大乱の折、女の身でありながら戦乱を収め、邪馬台国という大国の王になった女性は実在すると。
あれ? でもそんな人間、本当にありえるのかなあ。もう一回中世の戦国時代を出しますが、武田や織田が敵を串刺しにし、小国の将たちが裏切りを繰り返していた時代、老いた女性がぽつんと出てきて、「私は呪術を使えるのよ! 言うことを聞きなさい!」って言っても……聞く?
恐らく、卑弥呼が単体で戦国武将たちを諌めることは無理なんじゃないでしょうかねえ。
ではなぜ卑弥呼は倭国大乱を収めることができたのか。
倭国大乱の首謀者たちの中には九州地方にあった大きな集落の統治者もいました。猛々しい彼らがあっさりと屈服する相手。それは、自分たちより明らかに強大な国ではなかったか。
卑弥呼は当然強大ではありません。ハン○パワーが使えようが空中浮揚ができようが、それは一個人の特性から抜きん出るものではない。戦闘力と権力を持ち合わせた相手に通じるものではないのです。だったら、倭国大乱を収めたのは、個人ではなく、一集落、もしくは一国ではなかったのでしょうか。
小国が小競り合いを繰り返していた当時の日本において、最も強大な敵となり得る集団。それが『卑弥呼という非力な老女を矢面に立たせて陰で操った黒幕』と考えられるような気がするのです。
ここでおさらい。
卑弥呼の記述は日本の書物にはありません。正式な歴史書とされる古事記や日本書紀にも卑弥呼の名前はないのです。
では卑弥呼をプッシュアップしたのはどの国か。
卑弥呼と邪馬台国に触れている書物は、俗にいう『魏志倭人伝(三国志の東夷伝倭人条)』、中国の歴史書です。他にも『三国史記』や『後漢書』に名前を見ることができますが、すべて中国、朝鮮半島の書物です。
日本国内の書物ではアピールされていない卑弥呼が、他国の正史の中に登場する。
卑弥呼は、どの国にとっての英雄だったのでしょうか?
私たちは卑弥呼の出自や功績をぼんやりとしか受け取ることはできません。大きな戦争を終わらせた偉人だったにも関わらず。
この意味を深読みすると、なんとなく、卑弥呼という人物は華々しく表に出してはいけない人なのかな、という気がしてきます。
卑弥呼は日本の偉人ではないのかも……。
さて。
あなたはこの推察、信じますか? 信じませんか?