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the inside of history

作者: かしわ


たった一言だけををあの人に伝えられればよかった。


でも、自分で思っていた以上にワタシは欲張りだったのだ。


抜けるような青空のもとを飛んでいた。

本来いるはずのないワタシの存在に小鳥達は怯えてしまい、このどこまでも青い空はワタシ一人のものになっていた。


退屈を紛らわそうと、上昇と下降を繰り返す姿は方向を失った狂った白い鳥にしか見えない。


何度目かの下降の途中で、鋭い音が耳をついた。

音は激痛を呼び、浮力を失った体は儚く舞う雪のように、地上へと落ちて行く。

なのに、ワタシの口元に浮かんだものは喜びだった。

地上に打ち付けられる直前に取り戻した力でなんとか浮上する。

ふらふらと危なげに風に揺られながら、ワタシは貴方の元へと翼を向けた。


薄く開けられた窓の隙間から身体を滑り込ませると、温かな空気に包まれた。

円の内に複雑な模様の描かれた床の上に静かに降り立つ。

小さな純白の小鳥の姿が一瞬の間に膨らみ、霧のように薄らいでゆく。

散霧した粒がまた寄せ集まり、真白な光の集合体へと成り、最後そこにあるのは小柄な少女の姿だった。


「アーサー」


無人と思われた室内に影がゆらいだ。

闇の中から現れたその人に笑みを向ける。

「休息中にすまない」

無表情のまま謝罪を口にした彼へ、唇に薄く笑みを浮かべたまま首を振った。

「いいの」

貴方のためなら。

彼の冷えた石のような面をじっと見つめる。

初めて出会ったときに見たあの笑顔が重なった。

微笑みを向けていれば、いつか返してもらえるのだろう。

再会以来、アーサーの顔に浮かぶのは、いつだって深く刻まれた眉間の皺だった。


「……君に頼みがあるんだ」

長い沈黙を破ってアーサーが口を開いた。

「なぁに?」

やっと彼の声が聞こえたことが嬉しく、零れた声は弾んでいた。

珍しく、アーサーが口ごもる。

眉間の皺が一層深まった。

思わず、駆け寄って小さくその強固な岩壁に口付けを与えたいという衝動に駆られた。

ひとつ踏み出した爪先に痺れが走る。

下を見れば横たわった魔法陣があった。


ワタシはこの魔法陣に囚われているのだ。

ワタシはこの籠の中に自ら囚われたのだ。


それは自ら望んだことだけど、忌々しいこの囲いを破壊したいと思うことがある。

今のワタシは貴方に触れられない。

言葉を伝えるだけならば、それで充分だった。

でも、今は?

この砦を破壊することなんて容易い。けれど、それは……


「ーーセダールへ飛んでくれないか?」

「セダール……」


ああ、アーサー。ワタシ、貴方と会えて幸せだわ。


微笑みを、貴方に。


「ええ、貴方の望むままに」

なにも知らない無垢な少女のように、静かな微笑みをその小さく白い顔に浮かべた。


赤黒い空だった。

地上から立ち昇る黒煙と肉の焼ける臭い。

眼下に見下ろすのは、靄の中で蠢く小さな生き物達。

生者の煌めきは、死者の血で一層の妖しさを帯びて輝く。

愚かで、愛おしき小さき者達。


眼下から、遥か彼方の谷の先へ視線を移す。

厚い障壁が先に見えた。

いや、景色は自然のなすままだ。

ただ、眼には映らぬ凶暴なそれが、確かにそこには存在した。


ワタシは無垢ではなかった。

貴方が告げた言葉が示す結果など、考えるまでもなく知っていたのだ。

それでも、貴方が望むならワタシは飛ぶことを選んだ。


「アーサー」


微笑みを浮かべて、真っ直ぐにいばらの障壁へと飛んだ。




「ーーどうして」

月明かりだけが差し込む室内に男の姿があった。

相変わらず感情を映さないその瞳で、床を睨みつけていた。


魔法陣の上に横たわっていたのは赤黒く羽根を染めた小鳥だった。


「僕は君が恐ろしかったんだ」


吐き出された言葉は、痛みを伴って胸に刺さった。


いいのよアーサー、知っていたわ

貴方が時折浮かべる苦い表情。


苦悩

後悔

罪の意識


ワタシが微笑むたびに、貴方の心は傷ついていた。

それを、知りながら微笑んでいたの。

本当に罪深いのはワタシ。


「セダールの戦況を君は知っていたはずた。なのにーー僕は君を利用したのさ」


ああ、アーサー。

ワタシ貴方に言いたいことがあったの。

でも、それを言えばワタシがこちらへ来た理由は消え、あちらへ戻されてしまう。


瞼を閉じたまま動かずにいた小鳥から、微かな光が生まれた。

柔らかく広がった光は、やがて小さな少女へと変わる。

男は、思わず手を差し出していた。

眩い光がそれを拒む。


貴方もまた、ワタシに触れることはできないのだ。


伝えるだけで、よかったのに、欲深なワタシは貴方の側にいることを望んでしまった。


その微笑みを失くしてしまった頬に触れ、そっと口付けを与えたいと願ってしまった。


貴方を傷つけていると知りながら。

無垢な少女を装って。


魔族の象徴である紫色の瞳が濃紺に金の縁取りの長衣を纏った男の姿を捉える。

苦悶に歪んだその瞳を、微笑みという月あかりが優しく照らした。


「ありがとう」


星の瞬きが奏でた音色はほのやかな光の粒へと変わり、夜の闇に溶けるようにして消えた。




何人にも破ることができないといわれたセダールの魔法障壁を見事に突破してみせた小国は、戦乱を経て大陸を支配する大国へと成長する。


その前夜、空っぽの鳥籠を抱いて星々の煌めきに似た涙を流した男がいたことを、歴史が語ることはないーー







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