夏の終わり、物語の始まり
12話完結。
この作品は、いただいた原案を元に碧猫が原作・執筆した作品となっています。
●第一話●
~夏の終わり、物語の始まり~
長かった夏休みも、あっと言う間に終わった。
9月5日。まだまだ暑さは続いているけれど、吹き抜ける風の中に、どこか切ない、落ち葉の匂いが混じっているような気がする。
それでも一歩、三年二組の教室に入れば、夏休みなんてなにも無かったかのように、わいわいと喋っては手を叩いて笑う、私たちの日常があった。
二学期になっても、これといって変わった感じがない。いや、確実に高校生活は終わりに近づいているのだけれど、目に見える変化と言えばまだ、校庭の木々の緑が、くすんできたことくらいだった。
それでもなんとか危機感を持たせようと、担任の田代チャンをはじめ、先生方は口を酸っぱくして「卒業まであと半年」と、ありふれた警句を発している。
チャイムが鳴る。退屈な授業が、やっと終わる。今日はいくつの授業を、寝ずに全部聞いただろう。
…覚えてない。まあいいか。今日は無かったことにしよう、明日から頑張る。若いんだもの。失敗はつきものさ。
そう言ってるうちにいつの間にか大人になって、鏡を見れば小皺が出てきて、胸もたるんで小さくなって。
ああ怖い怖い。卒業まであと半年、ばかにしてばかりもいられないな。
「ミカ~!!」
私を呼ぶ声がある。繋子と良実だ。
「カナエは?」「もうすぐ来るでしょ」そのとき
「ごめ~んっ!」
スカートを押さえながら加奈江が走ってきた。
「遅いっ!じゃあ行こっか。ミカ、紙持ってるよね?」
モチロン、と言って、バッグを探る。クリアファイルの中から、「鈴高祭ステージ発表応募用紙」を取り出す。紙にはもう、四人分の名前が書いてある。
繋子、良実、加奈江、そして私、美香。4人揃って、『4メン〈ヨンメン〉』。
ランチも体育も、運動会も遠足も、私たち4メンは、いつも一緒だ。いつも一緒だったし、これからもきっとそうだ。4人揃えば、何もいらない。何も怖くない。何でも出来る気がするのだ。
そう、ダンスだって。
鈴高祭、私達はダンスをやることにした。今から、生徒会室に申し込みに行くのだ。
私立鈴蘭女子高校の文化祭『鈴高祭』は、10月の7、8、9日、3日間。
本番まで、1ヶ月ちょっと。練習も少しずつ、始めているのだ。
使う曲は新譜、「フライングゲット」
加奈江は「10月までAKBブーム持つかなあ」と、余計な心配をしていた。
加奈江は、心配性だ。
大丈夫、あっちゃんは、ともちんは、彼女たちはみんな、あんなに輝いているんだから。
そして私たちも、彼女たちに負けないくらい、鈴高祭で輝いてやろう。
私たちが歩いていると、長い廊下の向こうから、吹奏楽部の演奏が、洪水のようにやってくる。彼女たちも、最後の晴れ舞台に向けて、必死なんだ。無機質な金属製の管楽器が奏でる音たちの中に、汗や涙の人間臭さが感じられた。
彼女たちの出す音に、どこか切羽詰まった感じが滲んでいる。
でもそれが良かった。完璧な、CDで聴くような演奏より、こっちの方が美しいと感じた。
高校球児の勝負の夏、は終わった。
そして今、彼女たちの勝負が始まろうとしているのだ。
9月6日、教室は今日も騒がしい。
私たちは、やはり四人で集まり弁当を頬張っているのだけれど、教室を見渡せば、改めて色々な子がいるなあ、と思う。
あれは昨日の、吹奏楽部だ。神馬さん、真理亜、笑美ちゃん。今月末に、最後の大会、高文祭を控えている。その打合せなのか、なにやら楽譜を出して、まじめな顔をしている。
三人の名前を取り、「神とマリアが笑えば最強」でお馴染み、3-2クラスの吹奏楽トリオだ。
菜摘と穂奈美は、机をくっつけ、2人で食べている。2人顔を見合わせ、よく笑う。
2人はいつもぴったり仲良しだ。さすがの私たちも、あの2人の友情には負けるかもしれない。というかあれは、本当に"友情止まり"だろうかと、疑問の声も多々ある。
怜子、由貴、結子の三人は、必死に単語帳をめくっている。
私も大学受験を控えているから見習わなければいけないのだけど、踏ん切りはつかない。4メンで食べるのんびりしたランチが、恋しいのだ。
怜子は通訳、由貴は弁護士、結子は医者。それぞれの夢に向かって、無我夢中で、走っている。
「マオ、そのイチゴちょうだい」
「やだよ、あたし楽しみに取っておいたんだも…あっ!ちょっとマユ!」
「早いもの勝ちー!」
麻緒のイチゴは、真由の口に吸い込まれてしまった。
真由は少し、自分勝手なのだ。そして麻緒がいつも、貧乏くじを引いている。
私は、この真由が、あまり好きでは無かった。誰かの迷惑なんて、彼女はあまり考えない。
「やめたげなよマユ」
恭が、たしなめるが、真由は2つ目のイチゴを狙っている。
「いいじゃない、友達なんだから」
"男ったらし翔子"が呟く。
「さすがショウ、良いこと言う!」
二つ目のイチゴが、犠牲になった。
真由を中心に、麻緒、翔子、恭。この4人も、グループを成している。
うちらとは、はっきりいって、折り合わないことが多い。
「…で、カリナあんた、この夏は何人とやったのよ?」
「え?よく分かんない。メモ付け忘れたから」
「おおーっ!出たっ、モテ女発言」
モテ女と言うより、尻軽だ。口を挟みたくなる。
香莉奈、友紀、陽子は、クラスいち、騒がしい。
いつも下品なことを平然と言うので、失笑を買うことが多い。
「誰か相手いないかなぁー?最近してないんだよねー」
「あ、じゃあ日曜乱パやろうよ、乱パ」
「まじすか!?さすがカリナ師匠~!」
少しは慎みなさい、と心の中で叱咤していると、
「きゃっ!」
悲鳴が上がる。
何かと思って振り向くと、例の、"わがまま真由"だった。彼女は床のカバンにつまづいて、転んでいた。
そして、彼女が持っていたペットボトルが投げ出され、不運にも私たち4メンの1人、良実にかかってしまったのだ。
「誰よ!ここにバッグ置いたの!」
真由がヒステリックに叫ぶ。完全に冷静さを失っているらしい。
「ごめん、あたしの…」
文芸部の文音が駆け寄り、大丈夫?と声をかける。あろうことか、真由はそれを突き飛ばした。「い、痛…」
真由は文音を睨み、むすっとして舌を打つ。
私は、はっきり言って、むかついている。
勝手に転んだの、あんたでしょうが。
真由は立ち上がると、お茶を掛けられた良実に一瞥をくれる。そしてそのとき言い放った言葉が、ひどいものだった。
「わざとじゃないから、いいよね?はいこれ」
ポケットティッシュを差し出し、真由は席に戻ろうとする。
私たちは、ポカンとしていた。
なぜ真由は、謝りすらしないのだ。
例え事故でも、ここは謝るのが本当だろう。菅直人でさえ、あんなに頭を下げてたじゃないか。
怒り、席を立つ私を見て、当の良実が引き止める。
「いいから。あたしは大丈夫、怒らないで」
良実は、根が優しいのだ。私は幼なじみでもある良実の、そんな温厚さが好きだった。
でもね、良実は良くても、あたしが良くない。
「真由」
呼び止める。日頃真由の身勝手が目に付いていた分、不満は大きい。
被害者は私だ、と言わんばかりの不機嫌さで、真由が振り向く。
「ねえ。とりあえず、謝ったら?」
できる限り感情を抑え、平生通りに喋ろうと努力する。
「あんた、なに?関係ない人でしょ」
頭に血が上る。不満が声に変わり、喉のところまで出掛かっている。必死に、飲み込む。
もうやめて、と良実や他の2人の声が聞こえるが、引っ込む訳にはいかない。これはもう、私自身の問題なのだ。
「ごめん、だけでいいの。形だけでもいいから」
「形だけだと、意味なくない?」
「じゃあ心も込めて」
「あたし、謝るの苦手なの」
子供の喧嘩みたい、くだらない。そう思いつつも、引き下がれない。
「"ごめん"たった3文字よ。言ってくれてもいいんじゃない?」
「たった3文字なら言わなくても一緒でしょ」
「一緒じゃないわ。ね、お願いだから」
「こんなことで何さ、むきになって」
「む、むきになんて…」
「なってんじゃん。関係ないのに、馬鹿みたい」
ぷちん、頭のなかで、何かが切れる音がする。全身の血液が、脳天に集中する。制止する良実の手を振り払い、真由に掴みかかる一一一一
一一一一寸前だった。
ぱんぱん、手を叩く音がして、誰かが声を張る。
「はい止めーっ!文字通り"水掛け論"だわ。おしまいおしまい」
良実が、お茶を掛けられてびしょびしょになった制服を見つめる。
文字通り、"水掛け論"。
理解し、急におかしく思えて、笑い出す。
凍てついていたクラスの空気が、和やかさを取り戻す。良実の笑い声につられるようにして、みんなも体を揺すりはじめる。
笑い声と共に、「さすが気配り上手」「姉御肌」と薫を賞賛する声が上がる。
私は結局、薫に救われる形になった。
あたしには到底、真似できないかもな。薫に尊敬の念を払わずにはいられない。
その場にへたれこみ、ほっとため息をつく。
首を倒し、白塗りの天井を眺める。
ああ、疲れた。
クラスには、まだ笑い声が満ちている。