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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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蟲の肥

作者: キロ
掲載日:2026/11/01


 もし僕の他にも見える人が出てきた時のために、この手記を残そうと思う。


 まず何よりも先に言いたいのは……。


 大丈夫。君はおかしくなんかなってない。君は正常で、病気なんかじゃない。


 あれは確かに存在している。


 そして少しずつ、僕ら人類を消していっている。


 きっと君も、これまで散々な目に遭ってきたんじゃないかな。


 誰にも信じてもらえなかっただろう。嘘つき呼ばわりされたこともあるかもしれない。頭がおかしいと罵られたことだってあるかもしれない。


 あるいは、君自身が自分の正気を疑っているかもしれないね。


 でも安心してほしい。


 少なくとも、あれが見えることについて、君は何も間違っていない。


 僕が保証する。


 だからどうか耐えてほしい。


 どうか戦ってほしい。


 抗えるのは、僕たちだけだから。



 まずは僕が初めてあれを見た日のことから記そうと思う。


 あれは確か、小学生の時だった。


 体育の授業で何か球技をしていたんだ。ドッジボールだったかな。それともサッカーだったかもしれない。


 もう随分と昔のことだから、細かいところまでは覚えていない。


 ただ、天気が良かったことは覚えている。


 雲一つない青空で、少し汗ばむくらいに暖かかった。


 そんな、どこにでもある普通の日だった。


 仲の良かった女子生徒が転ぶまでは。


 その子は走っている最中に足をもつれさせて、グラウンドに倒れ込んだ。


 僕は笑ったんだ。


 だって、いつもは僕のことを鈍臭いってからかってくる子だったからね。


 ほら見たことか、なんて。


 今思えば、どうしてすぐに駆け寄ってあげなかったんだろう。


 その子が倒れた瞬間、あれは現れた。


 いや、現れたという表現は正しくないのかもしれない。


 気がついた時には、そこにいたんだ。


 虫のようでいて、確実に虫ではない。


 造形は確かに虫のそれと似通っていたけれど、パーツは酷くチグハグだった。


 蜘蛛のような脚が何本も生えていて、胴体は芋虫のように膨らんでいた。背中には何の役に立つのかわからない羽がついていて、頭と思われる部分には複数の眼が不規則に並んでいた。


 色んな虫を適当に組み合わせたような、そんな見た目をしていた。


 大きさは大型犬くらいだったと思う。


 それが、倒れた女子生徒に覆い被さっていた。


 そして腹の辺りから伸びた細長い管を、その子の背中に突き刺したんだ。


 何かを吸い上げているのがわかった。


 管が脈打つたびに、怪物の腹が僅かに膨らんでいたから。


 女子生徒は酷く苦痛の表情を浮かべていた。


 口を大きく開けて、何度も叫んでいた。


 助けて。


 痛い。


 誰か。


 確かにそう叫んでいたんだ。


 なのに、誰も見向きもしなかった。


 すぐ近くでは男子生徒たちがボールを追いかけていたし、先生は笛を吹いていた。


 みんな、いつもどおりだった。


 僕は慌てて先生のところへ走った。


 あの子が大変なんだ。変な虫に襲われているんだ。早く助けてあげて。


 必死に説明したよ。


 でも先生は、僕が指差した方を見ても首を傾げるだけだった。


 何もいないじゃないかって。


 そんなはずはない。


 あんなに大きな怪物がいるんだ。


 あの子だって、あんなに苦しんでいるのに。


 僕は何度も訴えた。


 でも先生は、僕の顔を覗き込むと、額に手を当ててきた。


 熱中症かもしれない。


 そう言って、僕を保健室に連れて行ったんだ。


 僕は泣きながら抵抗した。


 あの子を助けて。


 お願いだから。


 でも、誰も聞いてくれなかった。


 結局、保健室でしばらく休まされて、学校が終わる頃にようやく戻ることができた。


 そこには、ただのグラウンドが広がっていた。


 怪物も、女子生徒も、何もなかった。


 だから家に帰って、お母さんに話したんだ。


 今日、学校で大変なことがあったんだって。


 あの子が変な虫に襲われて、先生も助けてくれなかったんだって。


 するとお母さんは言った。


「そんな子、クラスにいないわよ」


 と。


 そんなはずはない。


 仲良しだった。


 一番の仲良しだった。


 家族ぐるみで旅行にも行った。


 一緒にお風呂に入ったこともあるし、同じ布団で眠ったことだってある。


 将来は結婚しようね、なんて約束もした。


 大好きだった。


 大好きだったんだ。


 〇〇ちゃん。


 でも、その存在は無かったことになっていた。


 写真を探した。


 アルバムをひっくり返して、旅行の写真を何度も確かめた。


 そこには僕しか写っていなかった。


 二人で並んで撮ったはずの写真にも、僕しかいなかった。


 お母さんに何度聞いても、そんな子は知らないと言われた。


 友達に聞いても同じだった。


 誰も覚えていなかった。


 あの子がいたことを。


 あの子が笑っていたことを。


 あの子が僕のことを好きだと言ってくれたことを。


 僕以外、誰も。


 そう、あの怪物は、人の存在を食べるのだ。


 君がどの程度のチカラを持っているのか、僕にはわからない。


 でも、僕のチカラはそんなにも強くなかった。


 あんなに大好きだったあの子の名前が、靄がかかったかのように思い出せないんだ。


 顔は覚えている。


 声だって覚えている。


 笑った時に目尻が下がることも、怒ると頬を膨らませる癖も覚えている。


 なのに、名前だけが出てこない。


 何度思い出そうとしても、そこだけぽっかりと穴が空いている。


 まるで消しゴムで消されてしまったかのように。


 それから怪物は、たびたび僕の前に現れた。


 姿形は様々だった。


 最初に見たような虫の寄せ集めもいれば、細長い脚だけで歩くものもいた。


 人間より大きなものもいれば、掌に収まりそうな小さなものもいた。


 共通しているのは、どれも酷く歪で、見ているだけで吐き気がするような姿をしていることだった。


 そう、あれは単一の存在じゃない。


 いくつもいるんだ。


 そして、どいつも人間を喰っていた。


 通学路で。


 公園で。


 スーパーで。


 僕はそのたびに助けを求めた。


 家族に訴えた。


 先生に訴えた。


 警察にだって駆け込んだことがある。


 でも、誰も信じてくれやしない。


 それどころか、僕のことを心配する人ばかりだった。


 最初は優しかったんだ。


 でも、何度も同じことを繰り返すうちに、周りの態度は変わっていった。


 そして中学生になる頃には、誰も僕の話をまともに聞かなくなっていた。


 その結果がどうだ?


 重度の精神障害だと診断されて、病院に無理やり詰め込まれたよ。


 もちろん、先生たちが悪いと言いたいわけじゃない。


 今ならわかる。


 あの人たちは、あの人たちなりに僕を助けようとしてくれていたんだ。


 ただ、僕の見ているものが見えなかった。


 それだけなんだ。


 病院では、同じような人がいないか探したこともある。


 誰か一人くらい、あれが見える人がいるんじゃないかと思ったんだ。


 でも、いなかった。


 僕以外は、普通に病気の人だった。


 病院の先生は、僕の話をよく聞いてくれた。


 否定することもなく、怒ることもなく、何時間だって付き合ってくれた。


 そして、少しずつ説明してくれたんだ。


 人間の脳は、時として存在しないものを見せることがある。


 聞こえないはずの声を聞かせることもある。


 本人にとっては、それが紛れもない現実なんだって。


 僕は何度もその話を聞いた。僕も話をした。


 何度も、何度も。


 そうしているうちに、考えるようになったんだ。


 もしかしたら、本当にそうなのかもしれない。


 あれは僕の作り出した妄想の産物なんじゃないか。


 〇〇ちゃんだって、最初から存在しなかったんじゃないか。


 僕がおかしいだけなんじゃないか。


 そう思うようになった。


 


 でもそうじゃなかった。


 ある日、病院の先生が僕の目の前で喰われたんだ。


 いつものように話をしていた。


 先生は椅子に座って、僕の話を聞いてくれていた。


 その背後に、あれがいた。


 そして、あっという間に喰われてしまった。


 翌日から、その先生は存在しなくなった。

 


 そこで確信したんだ。


 あれは実在する。


 僕は間違っていなかった。


 そして、僕だけが何とかできる存在なんだって。


 僕がどうしてそう思うかって?


 じゃあ君はどうなんだい?


 周りにいたかい?


 おんなじようにあれを認識できる人が。


 君は大丈夫だって言ってくれる人が。


 僕にはいなかった。


 僕が、僕だけがあれを認識できるんだ。


 なら、その対処だって僕が何とかしなくてはいけないだろ?


 だって、誰も認識できないんだから、対処しようがないじゃないか。


 それからの僕は、人に理解を求めることをやめた。


 だって無駄なんだから。


 喰われれば存在しなくなる。


 襲われれば認識できなくなる。


 あれの存在は誰にも見えない。


 一人で何とかするしかなかった。


 でもね。


 ここからが大事な話なんだ。


 君がまだあれに手出しをしていないのなら、それは正解だ。


 あれは獲物を諦めない。


 そして、妨害者を決して許しはしない。


 あの時の僕はただ、運が良かっただけなんだ。


 初めてあれと戦った時だ。


 ある日のことだった。


 買い物に出かけた僕は、ベビーカーの中にいる赤ちゃんに、怪物が取り憑いているのを見つけた。


 バレーボールくらいの大きさだった。


 今まで見てきた怪物の中でも、随分と小さい方だったよ。


 母親はすぐそばにいた。


 赤ちゃんは泣いていたけれど、母親は何も気づいていない様子だった。


 怪物は赤ちゃんの胸元に管を突き刺していた。


 僕は迷った。


 あれに近づいて、どうにかできるのか。


 そもそも触れるのか。


 そんなことさえわからなかった。


 でも、見ているだけなんてできなかった。


 あの時と同じだったから。


 〇〇ちゃんが喰われた、あの日と。


 僕は怪物に手を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、あれは僕に飛びかかってきた。


 恐ろしかった。


 今でも覚えている。


 昆虫に類する顔には、表情なんてないはずなのに。


 確かに怒りの感情を感じたんだ。


 そして、僕に対する強い敵意を。


 僕は咄嗟に蹴り上げた。


 怪物は地面に転がった。


 そのまま何度も踏みつけた。


 何度も、何度も。


 動かなくなっても、しばらく踏み続けていたと思う。


 気がつけば怪物は消えていた。


 僕は立ったまま震えていた。


 心臓が壊れそうなくらい早く動いていたのを覚えている。


 もし、あれがもっと大きかったら。


 もし、最初の一撃を避けられていたら。


 僕はあの場で殺されていただろう。


 それくらい、危険な相手だった。


 あれに襲われていた赤ちゃんが気になるかい?


 無事だったよ。


 怪物が消えた途端、泣き喚く赤ちゃんに母親が慌てて気づいて、抱き上げてあやしていた。


 そう。


 怪物が死ねば、認識阻害は解けるんだ。


 あの時、僕は初めて人を救えた。


 誰にも信じてもらえなかった僕が。


 何もできずに大切な人を失った僕が。


 ようやく、誰かを助けることができたんだ。


 嬉しかったよ。


 本当に。


 まあ、赤ちゃんに近づいた上に、何もないところで暴れていた僕は、ものすごい顔で母親に見られていたけどね。


 慌ててその場から逃げ出したよ。


 今となっては笑い話さ。


 でも、覚えておいてほしい。


 あの赤ちゃんが無事だったのは、僕がたまたますぐに気がつけたからだ。


 あいつらに存在を半分くらい吸われてしまうと、もうダメなんだ。


 周囲には認識してもらえなくなる。


 それだけじゃない。


 自分というものまで希薄になっていく。


 そして、数日と持たずに空間に溶けて消えてしまうんだ。


 僕はそれを何度も見た。


 助けるのが遅くて、間に合わなかった人を。



 

 アイツらがどんな意図で、どんな理由で存在を喰らっているのか、僕にはわからない。


 ただの栄養補給なのかもしれない。


 生きるための糧なのかもしれない。


 あるいは、どこかから送り込まれた敵性存在の尖兵なのかもしれない。


 僕たちには理解できない、何か別の目的があるのかもしれない。


 何年も考え続けたけれど、結局答えは出なかった。


 まぁ、そんなことは今更どうでもいい。


 僕はもうダメだ。


 あいつらは、その矜持なのか習性なのかわからないが、存在を喰らうのは決めた獲物だけなんだ。


 妨害者を喰らうことはない。


 しかし、その圧倒的な凶暴性をもって、僕を排除しようとしてくる。


 噛みつくもの。


 爪で引き裂くもの。


 毒のような液体を吐き出すもの。


 怪物によって攻撃方法は様々だった。


 僕はいくつもの怪物を倒してきた。


 最初の頃は、勝てることの方が珍しかった。


 何度も逃げた。


 何度も怪我をした。


 助けられなかった人も大勢いる。


 それでも、少しずつ戦い方を覚えていった。


 もちろん、どうにもならない相手だっていたけれどね。


 そして、僕もやらかした。


 少しのミスが命取りになる戦いの最中、あの子が、〇〇ちゃんが見えた気がしたんだ。


 あの日と同じように、僕を見ていた。


 きっと、僕ももう限界だったんだろう。おかしくなってから、いや、アレが見れるようになってから、僕の人間関係は酷く希薄になった。


 まぁ、君もわかるだろ?


 だからだ、何年も、何年も、あの子のことを考えていた。


 助けられなかったことを後悔していた。


 もう一度会いたかった。


 名前を呼びたかった。


 それだけだったんだ。


 ほんの一瞬、目を奪われた。


 そして腹を割かれた。


 怪物は何とか退けたけれど、傷は深い。


 随分と血も流れてしまった。


 治療をしないことには、長くは持たないだろう。


 ああ、大事なことだから、ここにも記しておこう。


 怪物の捕食を妨害すると、妨害者も認識阻害に呑み込まれる。


 怪物を殺せれば、認識阻害は解ける。


 その時に起こったことも、周りの人に認識されるようになる。


 勿論、怪物のことは見えない。


 つまり、どうやっても僕は頭のおかしな人にしか映らないのさ。


 そして、一番大事なのが、怪物が態勢を整えるために一時退散した場合だ。


 この時、認識阻害は解除されない。


 獲物になった人間も、妨害した僕も、誰にも認識されないままになる。


 怪物が再びやってきて、それを殺すまで。


 僕がもうダメな理由、もうわかるだろ?


 今回の怪物を、僕は仕留めきれなかった。


 僕はまだ認識阻害の中にいる。


 病院に行くこともできない。


 助けを呼んでも、誰も気づいてくれない。


 目の前に人がいても、僕の姿は見えない。


 そして、僕にはもう、あの怪物を追いかける力が残っていない。


 治療できないんだ。


 致命的な、この傷をさ。


 不思議なものだね。


 あれほど人に理解してほしかった僕が、最後には誰にも気づかれずに死んでいく。


 誰にも知られないまま、誰にも看取られないまま。


 きっと、僕が死んだことに気づく人さえいないんだろう。


 それでも、後悔ばかりじゃない。


 僕が助けた赤ちゃんは、今頃どこかで元気に育っているかもしれない。


 あの子だけじゃない。


 僕が助けた人たちは、僕のことなんて知らずに、普通の毎日を送っているはずだ。


 それでいいんだ。


 最初の一ページは、遺書と、後に続く人に向けた言葉にしようと決めて、今まで空白にしていたんだ。


 随分と長くなってしまったね。


 ごめんよ。


 でも、これだけは伝えておきたかった。


 君は一人じゃない。


 少なくとも、君と同じものを見て、同じように苦しんで、同じように戦った人間が、ここにいたんだ。


 次のページからは、僕の戦いや苦悩の日々が綴られている。


 怪物の特徴。


 僕が見つけた弱点。


 そして、僕が助けられなかった人たちのことも。


 全部、書いてある。


 どうか、それらが少しでも君の役に立つことを祈るよ。



 ……さて。


 そろそろ、ペンを握るのも辛くなってきた。


 これでお別れにしようと思う。


 どうか、耐えてほしい。


 どうか、諦めず戦ってほしい。


 そして、もしできることなら。


 僕のようにはならないでほしい。


 君には、僕が出会えなかった誰かと出会ってほしい。


 一人で戦わなくてもいい日が、いつか来てほしい。


 それまでは、どうか生き延びてくれ。


 どうにかできるのは、僕らだけなのだから。








 


 ああ、死にたくない。


 どうして僕が、1人で頑張ったのに。


 全部じゃないよ、でも大勢助けた。


 感謝なんてない、誰も知らないんだから。


 だから誰か……僕を……みてよ。

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