第三席【玉縄節】
机を隅にどかし、壁に立てかけてあった畳が敷かれると、上には年季の入った文机。敷かれた座布団に玉縄先輩がちょこんと座り、僕たちに向かい合う。場が整ったようだ。
――パンパン!
扇で机上を打つと頭を下げる玉縄先輩。その頭が上がったときだ……グーッと引き込んでくるような空気に、思わず息を呑まされた。
「さあ! それではこれから一つ、物語を申し上げたいと思いますけれど。まぁ高校生の、しかも創作物語の読み上げですから、肩の力を抜いてもらって、なんなら寝そべって聞いてもらっても。いやいやもーいっそ寝ちゃって、夢の中で聞いてやってくれてもいいわけですけれど。まぁ冗談ですが」
くすくすと笑ったのは金沢先輩だ。
「冗談。そうですね、冗談ってみなさん言ったことありません? そこにいる人なんてね、タチの悪い本当みたいな冗談、いや陰湿な嘘ばかりついてますからね。こんな大人にはなりたくないです。おっと、まだ成人じゃありませんでしたね。ほんなら、子供の戯れでございます」
明らかに金沢先輩のことだ。僕は笑いそうになる。それはたぶん、玉縄先輩のおもしろそうにする顔に、つられたのもあった。
「冗談というのも、しかしときには良い結果をもたらす場合もあるようで。これはそんな、冗談にまつわる物語」
――パパンッ!
「時は現代。そう、講談でよくある戦国時代や江戸時代ではございません。スマホもあります、ブルートゥースもありますよ。だから小難しいもんじゃ、全然ございません。
だってね? 中仙道とか行儀奉公とか、言われてもってなるでしょう? 安心してください、そーゆーの一切出てきませんから。だってね、あたしが分からないんで」
――パンパン!
「さてさて。ここにおりますは、今をときめく華の女子高生。茶髪のロング、ちょっとばかしやんちゃな部類の女子ですね。彼女は名をレイカと言いまして、中くらいの偏差値の高校に通っとります。オシャレとコイバナに生きる女子です。対して同じクラスの隣の席。サクラコは、どうにも対照的だった。黒髪姫カットの引っ込み思案。でま、顔は割とよろしい。
で、このサクラコですが、まぁ人との付き合い方が下手ッピで。どうにも上手く喋れない。というのもですね、幼い頃に友達にこう言われたのです。
お前の歯、怪獣みたいでキモイな。
そう、サクラコは歯並びが悪い上に、転んだせいで欠けていたんですねぇ……もうこんなんで、ガッタガタです」
扇子で目の前をジグザグさせる。
「ヒドイでしょう? でもって、子供っていうのは無邪気なもんですから。歯に衣着せぬ物言いを、歯だけにね、するものですから。
サクラコはといえば、それから口を開くのが怖くなってしまったんですね。喋るのが怖いのに笑うなんてもってのほか。彼女の笑いは小学生の時に消えちゃいました。
笑いがない。微笑みすらもない。そこまで喋ろうともしない。これに周囲はやっぱりこう思うわけです。なんかこいつ気味悪いな。本人の悩みや過去なんてつゆ知らず。まぁそうでしょう、事情知らなきゃそれまでですから。それは仕方ない。かくいう、レイカもその一人でした」
――パンパン!
「コートが必要な季節、放課後のことだ。レイカは、隣の席で荷物をまとめるサクラコに、いきなりこんなことを言う。
『ねえ、あんたさ。誰か好きな人いんの?』
この予想だにしない問いかけに、サクラコは目をぱちくり。
『い、いな……いけど』
『実はさぁ? あんたが好きな人いるんだよね。まぁ、あーしのダチなんだけど。告りたいらしいんだ』
サクラコは思った。まさか自分を好きになるなんてそんな人いるわけない。きっと何かの冗談なのだろう。
スクールバッグを片手にサクラコは言う。
『そ、そなんだ……じゃあゴメン、私もう行くね』
『おい待てよ、話終わってないじゃん! あんたさ、顔だけは悪くないもんね。良いじゃん、そんな卑下しなくったって』
『別に……』
『告りたいってのはさ、ユウダイなんだ。知ってんでしょ。あのイケメン界隈の。あんた保健委員、一緒だしね?』
『う、うん……』
『でもさ、あいつ……ほら優しいから。自分から言って驚かせたり、困らせたら可哀想だって思って、言えないんだとさぁ。
だから、あんたから言ってあげてくんないかなあ? もし付き合っても良いと思うなら。
っていうか、あーしの頼み断ったらどうなるかわかるよね?』
『……わ、わかった』
嘘かもしれない。否、嘘だろう。
でも、目をつけられて面倒なことになるんだったら言う通りにして、恥を受けた方がマシだ。そうやって今までトラブルを最小限にしてきたサクラコは、この話もまたそうやって受けてしまう。
さて、もちろんそんなことをユウダイに聞いたわけではなく、この話は真っ赤な嘘。レイカは面白おかしく、鼻につくサクラコを虐めてやろうという腹づもりだったわけですが……」
――パンパン!
「それからというもの、サクラコは憂鬱だった。
フラれるのがわかっていて告白をするなんて、なんて馬鹿げているのだろうと、そう思っていた。でも、気づいてみれば保健委員の仕事でも、クラス行事でもいろいろフォローをしてくれた彼には少なからずいい印象を持っていたわけだ。
そこでサクラコは自分の気持ちを見つめ直す。
『え……これって』
そう……恋の始まりってやつでした。このときサクラコは気になっていた気持ちの正体に気づくんです。
ともなれば、胸はどんどん告白をする日に近づくたびに締め付けられる。冬なのに暑い。気になるのに、目に入れられない。今までのように彼を見ることすら、困ったことにできなくなっていた。
『どうしよ、私本当に……』
そして迎える当日……冬の寒空、凍える空気に火照る胸。屋上で向かい合う、二人の末路はさぁいかに。と……この続きが気になるところではございますが、もうお時間がということで」
え、嘘でしょ最後まで物語言わないの? なんて思っていると……
「ほら、いまここで終わるのかよって思ったでしょ。大丈夫、安心してください最後まで話しますからね」
このときすっかり聴き惚れてしまっていることに僕は気付かされる。
――パンパンッ!
「今しも屋上に二人が向かい合い、端っこには傍観勢のレイカたち。
『話があるんだってね』
爽やかな声と髪型で、顔つきが端正なユウダイは言った。
『う、うん……』
レイカたちは笑い転げたいところをグッと我慢、聞きに徹した。そんなものは知らずサクラコ、はじめは嘘の告白のつもりだったが、今や本気の告白だ。だから、なかなか言葉が出てこない。
『あの……わたし……わたしさ、その――』
しかしその時だ。ユウダイがいきなり口を開く。
『あのさ……ごめん』
ごめん、この一言です。
サクラコは思う。ああ……言う前からダメだって、断られるんだ。そうだよ、そりゃこんな状況だもの、告白しかないと誰でも分かる。こんな女子に言われてもだよ。そんなしたくもない納得は、人知れず彼女の胸をキューっと、これ痛いほど締め付ける。溺れるように、それは苦しかった。
しかしどうやら、そうではないようで。ユウダイは頬を染めてこう続ける。
『本当は、最後まで聞いてあげるべきなんだろうけど。でもこういうの、僕から言いたくて。でももし違ってたらめっちゃ恥ずかしいけど、僕さ……好きなんだ。サクラコちゃんのこと』
さぁびっくりしたのはサクラコもだが、それよりもレイカ達だ。そんなことあるわけがない。だってあのイケメンと、こんな陰キャがどうやったって釣り合うわけがない。まして、レイカはユウダイに気があったのだから、もう青天の霹靂もいいところ。
レイカの顔は時が止まったかのようだ。それでも話は続く。
『え……それっ、て――』
『好きです。付き合ってください……』
手を差し出されたサクラコ。その手を握る手は、無意識に差し出されたものだ。わけもわからない涙だって、目から次々溢れ出る。嬉しい気持ちが追いつかないようだった。
実はユウダイ……周囲には黙っていたものの、実はサクラコがもともと好きだったのですな。でも、自分が告白でもすれば、目立ってしまうはず。彼女はそういうのが苦手だろう。そんなことから躊躇っていたんですね。彼なりの思いやりが、そこにはあったわけです。
それでも少しは関わりたいと思って、いろいろ気にかけていた。それは便宜ではない、彼の本心からくるものだったんです。つまりこれは両思い。
これにとうとう痺れを切らして飛び出したのはレイカだ」
――パンパンパンッ!
「ダダダダッと飛び出して言う。
『ちょっと! ユウダイ何言ってんのこいつ、見た? 口とかやばいよ? みんなに薄気味悪いって言われてんだよ? なんで?』
ユウダイはこう返す。
『個性ある方が僕、好きなんだよね。サクラコちゃんならではで、オリジナリティあるじゃない。レイカ、普通だもんね』
『……ほぇ?』
もう顔はひょっとことのようだし、なんとも間抜けな声が出る。そんなアホ散らかした姿を無視して、ユウダイはサクラコの手を引くが、サクラコはそこでふと止まる。
『レイカちゃん、ありがとう。私の気持ちに向き合わせてくれて』
『へ……?』
残されたレイカは、もう失神寸前。
『れ、レイカ!? 大丈夫、目やばいよ!』
なんて取り巻きが慌て始める始末で、もう大変な騒ぎでございます。
そんな光景を、冬と背にして立ち去る二人は紅色の、頬を揃えて睦まじく。男女の未来に春が待ち、臨む向こうに寄り添う陰は伸び伸びと」
――パンパン!
「ということで! 悪意のある冗談なのに、それがきっかけで本当の恋を結びつけてしまうという、これなんとも滑稽な物語だと分かったところで、今日は失礼を致します――」
パチパチパチ――僕は無意識に拍手をしていた。
「あっはは、ありがと拍手! 良かったぁー、面白かった?」
「えっ、あっその……なんか、めちゃくちゃすごいでした」
「あはは、日本語おかし。でも良かった、そういう顔が見れるからやめらんないよねこれ」
「タマちゃんは、威勢よくてハリのある声だから、こういうライトでおちゃらけた物語とかの相性抜群だよね。俺なんかは、しっとりした声だから、あまりこういうのやっても緩くなっちゃうからね。いわば、彼女のこれは、玉縄節とでも言うべきかな?」
衣笠部長はそこに同意。
「たしかに声だけは、あと雰囲気だけは、人間天性のものだから変えようにも変わらないものよね。きっとだから中原君にも、その声だからこそ、そして雰囲気だからこそできるお話があるはずよ」
「僕に……」
僕は、講談というものを知らない。でも、緩急ついた堂々たる話芸に、そして玉縄先輩の弾ける明るさに、すっかり惹きつけられてしまった。もっと聞いてみたい、それに講談の話芸を僕も習ってみたい。こんなふうに快活に弁舌を振るってみたい――心から湧き出る感情は、今まで気づかなかった心の声。どこかでずっと、たぶん欲していたものだった。
僕は講談探究同好会へ、この日入会を決意する――




