③
ネロはロンドンに来てから野宿で凌いでいたらしく、
「とりあえず、私のアパートメントに来なさい」
と、世話焼きのクイーンが連れていった。
エースは相変わらず女のところだろう。会合が終わるとさっさと帰った。
探偵事務所に残ったのは、ボスとファイブ、ジャックの三人だ。
それぞれが定位置で、いつものように書類を眺め、玩具をいじり、タバコを吸っている。
すると、ボスが顔を上げた。
「いつから『見えて』たの、ジャック?」
探偵社のボスである彼を、ジャックは『キング』と呼んでいる。付き合いは長い。帝国軍時代からの腐れ縁だ。
端正な顔立ちをした彼は、穏やかに細めた目を彼に向ける。ジャックは吐いた煙の行先を目で追いつつ答えた。
「見えちゃいねえ。何となく、見捨てられねえと思っただけだ」
「『独立義勇軍』の少年兵だと知って、あの子をここに連れて来たの?」
そう言ったのはファイブだ。寝そべったまま、ソファーからひょこりと顔を出している。
「いや、あいつにその自覚はない。それはキングも分かっただろ?」
キングはニコリと答えた。
「彼の言葉には、嘘どころか、嘘を吐く人が持つ嫌な匂いすらなかったからね」
彼のスキルは、「嘘を見抜く」というもの。
珍しくもないスキルだが、冷酷非情な彼がそのスキルを使う時、否が応にも緊張が走る――彼は嘘が大嫌いだと、皆が知っているから。
先程の面談で、ファイブが持ったネロへの疑惑が、キングによって晴らされた訳だが、ジャックはそれが全てではないと理解していた。
キングが証明したのは、「彼は嘘を言っていない」ということだけであり、彼が武装組織の一員であるかというのは、別の問題だ。
ジャックは再び煙を吸い、天井に吐き出した。
「奴らも知ってるのさ。『嘘を見抜く』スキル持ちの目を掻い潜る方法を」
――アイルランド独立義勇軍。
三年前にロンドン、そしてファイブのいた研究所を襲ったクーデター軍の残党、そして新たに加わった思想家たちが興したテロ組織だ。
彼らの目的は、アイルランドの独立……と謳ってはいるが、その実は、大英帝国の打倒ではないかと噂される。
何度かロンドン市内でテロ事件を起こし、保安局からマークされている、危険な存在だ。
そんな奴らの活動拠点は、アイルランドの各所にある。アイルランド内の孤児院で少年兵を育て、ロンドンのアジトにテロ要員として送り込むのだ。
しかし、子供たちにその自覚はない。
さりげなくロンドンに行かせるように仕向けて、孤児院の名を入れた身分証を持たせて送り出す。それが奴らのやり方だ。
ジャックがそう説明すると、ファイブは目を細めた。
「なるほど。ロンドンにやって来た彼らは職を探す。従業員募集の看板さえ出しておけば、そのうち彼らは自分からやって来る、という訳だね」
「そういうこと」
当然、一般の労働者もやって来るだろうが、肝心なのは身分証だ。
アイルランドの孤児院の名が合言葉になっており、それ以外の者は断ればいい。
今のロンドンの情勢では、アイルランド出身の孤児を雇う者などいない。彼らは路頭に迷い、必ず「そこ」へ辿り着く。
奴らのアジトは、商社や日雇いの斡旋所に偽装していると聞く。その方法なら、誰にもバレずにアイルランドから少年兵を輸送できる。
短くなったタバコを灰皿に押し付けて、ジャックはキングに目を向けた。
「たまたま、あいつが独立義勇軍のアジトに辿り着く前に、俺が見つけたってだけさ」
「だからボクに、彼の身分証を食べていいって言ったんだ。彼がアジトに行けないように」
ファイブは物欲しげに、キングの手元を眺めている。キングは苦笑して、書類をファイルに挟んだ。
「これはダメだよ、大事な書類だから」
「つまらないな……」
ファイブは口を尖らせた。
ファイブの悪食は今に始まったことではない。一時期、小説家志望の探偵がいたことがあるのだが、原稿を全部食べてしまうから、大泣きして出ていった。
しかし、今回の件に関しては、ファイブの悪食が役に立ったといえる。
「君の勘が確かで良かった」
そう言うキングの表情に影がさす。
「少年兵だという自覚すらない子供の使い道とすれば、自爆テロしかないだろうからね」
もし、ジャックが喫茶店に居合わせなければ。
彼は今頃、街のどこかで爆散していたかもしれない。
ジャックは目を閉じる――その瞼の裏に、泣き叫ぶ少年の姿が見えた。
「助けて! 死にたくない! 嫌だ! 死ぬのは嫌だ――!」
テロ予告で急行した地下鉄のホーム。
置き去りにされた少年の体に巻き付けられた爆薬。
そして――。
この先に起こることを予見して、身を伏せることしか、ジャックにはできなかった。
たった『三秒先の未来が見える』だけのはずれスキルでは、誰一人救えない。
無能を晒して、無様に生きながらえるだけの、ただの「呪い」だ。
「また自分を責めてるの?」
ファイブの声で、ジャックは我に返った。
「おまえ、人の心が読めるのか?」
目を丸くして身を起こすと、彼は悪戯っぽく口角を上げた。
「ジャックがイヤな過去を思い出す時、必ず眉間にシワが三本できるんだ」
「…………」
半ば唖然としながらファイブを見る。
彼はソファーの肘掛けにあごを置き、赤みがかった目を細めた。
「ジャックは自分の過去が嫌いかもしれないけど、それがなかったら今のボクはいないんだ。だから、ボクはジャックの過去に感謝してるよ」
ファイブは時々、こんな風に生意気なことを言う。
ジャックは頭をゴシゴシと搔きながら目元を隠した。
「……で、あいつ、どうするんだ?」
強引に話を切り変えると、キングは穏やかに返した。
「勝手に連れてきておいて、その言い草はないだろう」
「…………?」
「君が責任を持って、面倒を見てくれるんだよね?」
ジャックは天井を仰いだ。正論すぎて、言い逃れのしようがない。
キングはそんな彼を見てハハハと笑った。
「真面目に言えば、独立義勇軍が彼を取り戻しに来る可能性がなくはない。しばらく監視が必要だと思う。ちょうど今、君には相棒がいない。しばらく相棒として、彼の様子を見てはどうかな?」
「じゃあ、あいつを探偵社に迎えるってことか?」
「それはまだ分からない。イヤになって辞めたくなれば、私たちに引き止める権限はないからね。それに……」
と、キングは席の後ろの壁に掛けられた額に目を向ける。
この探偵社の立場を保証する認定証の中央に、ユニオンジャックが刻まれていた。
キングは言った。
「この旗に忠誠を誓わなければ、どれだけ有能であろうとも、うちで雇う気はないよ」




