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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅰ. ベイカー通りの喫茶店
3/12

 ロンドンに漂う霧は、故郷ものよりも濃く、冷たかった。

 アイルランドを飛び出し、イングランド行きの船に乗ったものの、着いた先に待っていたのは非常な言葉だった。


「アイルランド出身、ねぇ……」

「はずれスキルか……フン、いらないね」

「そんなスキル、何の役に立つの?」

「世の中には、もっと使えるスキル持ちがゴマンといるんだ。ゴミスキルの田舎者を雇う意味がない」


 『従業員募集』の看板を見つける度に、「働かせてください」と頭を下げるものの、彼のスキルを聞いた途端、鼻で笑われて追い出された。


 ――神は人の弱さを哀れ給い、神の力をひとつずつ分け与えられた。


 毎週、日曜ミサで朗読した聖典の一節。

 それを思い出して、ネロ・ネルソンは奥歯を噛み締める。


 ――スキルが神の力の一部であるなら、『その人が最後に食べた物が見える』なんていうスキルを、神はどう使っていたのか、教えて欲しい。


 石畳の通りには無数の人々が行き交う。その一人一人に目を向ければ、必然的に見えてくる。

 

 ママの特製ミートパイ。温かいミルクティーに焼きたてのスコーン。ベイクドビーンズを添えたオムレツ。モルトビネガーのソースを添えたフィッシュ&チップス……。


 今は午後だから、昼に食べたものだろう。その人がどんな気持ちで食べたのかすら、匂い立つように伝わってくる。


 見なきゃ良かった……と、ネロはすぐさま顔を伏せた。

 もう三日は食べていない。お腹が空いて倒れそうだ。


 空腹には慣れていた。お腹いっぱい食べたことなどなかったから。

 両親は炭鉱で働いていて、昼間は家にいなかった。干乾びたパン一切れを弁当に学校に行き、家に帰っても何もない。

 けれど、みんな同じようなものだから気にならなかった。

 落盤事故で両親が死に、妹と共にダブリンの孤児院に入ってからも、似たようなものだ。内戦のせいで孤児院に回ってくる食糧は少なくて、みんな毎日、どうやって空腹を誤魔化すかを競っていた。


 ……けれど、平等な不幸が終わるのは呆気なかった。


 この世界では、十歳頃までに、みんな何らかのスキルを発現させる。


 次々と有用なスキルを発現させていく仲間たちの中で、自分のスキルを認識した時、ネロは人生が終わったと自覚した。

 怪力を出せるスキルや、計算が早いスキルを持つ子には、次々と里親が見つかった。

 けれど、「その人が最後に食べたものが見える」なんていうはずれスキルを持つ子供に、差し伸べられる手はなかった。


「この孤児院には、十三の誕生日までしかいられないんだよ」

 院長の冷めた目が忘れられない。

「その後は、炭鉱で働くか、自分で仕事を探すか、二つに一つだ」


 炭鉱はどうしても嫌だった。両親の死に様を見たから。

 かといって、はずれスキル持ちの孤児を雇ってくれるような奇特な人は、内戦中のアイルランドにはいなかった。


 唯一、希望を見い出せたのは、子供たちの世話人である修道士がしていた話。

「ウェストミンスター教会は素晴らしかった。それだけじゃない。ロンドンという街には、古くて立派な建物がたくさんある。それが何を意味しているか、分かるかい?」

 修道士は子供たちを見回した。


「――千年もの間、一度も戦争で焼かれていない、ということだ」


 ネロはゾクッとした。

 アイルランドの歴史は学校で習った。バイキングに支配されたり、植民地になったり、内戦が起こったり……。

 孤児院から一歩出れば、壊れた街がどこまでも続くダブリン。灰色の風景からロンドンを想像すると、鮮やかに光り輝く街が見えた。

 ネロの中に、ロンドンへの憧れが沸き起こった瞬間だった。


 だから、十三歳の誕生日に孤児院を出たその足で、ロンドンへ向かう船に飛び乗った。


 ……それなのに。


 灰色の霧に沈む街で、ネロに目を向ける者はいなかった。

 考えてみれば当たり前だ。はずれスキルを持った時点で、この世界では生きていけないんだ。

 目の前には、野垂れ死ぬ未来しかないんだ。


 ――どうせ死ぬなら、お腹いっぱい食べて死にたいな……。


 ネロの脳裏に蘇る、妹の死に顔。

 お腹を満たせば、あんなに幸せな顔になれるものなら、死ぬ前に一度くらい笑ってみたい。


 ネロは足を止め、顔を上げた。

 すると、道路標識が目に入る。


「……ベイカー通り……」


 きっと、パン屋が集まった街なんだろうと、ネロは思った。

 人類の歴史で、最も人の食欲を満たしてきた食べ物。死ぬ前に食べるには最適だろう。


 つぎはぎだらけのニッカポッカのポケットに手を入れる。指先に当たるのは、小さな銅貨が数枚。パン代にもならない。

「…………」

 パン屋の人には悪いけど、警察に突き出してくれればそれでいい。死刑になるなら本望だ。


 ネロは人波を横切り、レンガの建物が並ぶ通りに足を向けた。

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