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はずれスキルの探偵社  作者: 山岸マロニィ
Ⅲ. 最後の晩餐はかく語りき
12/12

 ちょうど昼時になったので、ネロはジャックと昼食を取ることになった……もちろん、ホテルのラウンジではなく、テムズ川沿いのスナックスタンドだ。


 テラス席に座り、スコーンを手に取る。作り置きのスコーンはパサついて、飲み込むのにも苦労する。思い切り砂糖を混ぜたミルクティーに浸して、何とか食べ物だと思える始末だ。

 一方、ジャックはサンドイッチを注文するも、具がピクルスしか入っていなくて、一口で皿に戻した。


「どうせなら、ベイカー通りに戻れば良かったな」

 ジャックの嘆きにネロは同意する。

「マスターのミートパイは、世界で一番美味しい食べ物だと思います」


 そう言い切ってから、ネロは不安になった。

「あのマスター、もしかして世界でも有名な凄いシェフなんじゃないですか? そんな名店で無銭飲食したとしたら、僕……」

 ジャックはニヤニヤと笑った。

「凄いシェフってのは間違っちゃいない……けどこれは、帝国軍の中での評価だ」

「帝国軍、ですか?」

「軍にも料理部門はある。兵士に食わせなきゃならないからな。だがそれまでの戦闘食は、そりゃあ酷いモンだった。それに味の革命を起こしたのが、マスターなのさ。兵士たちの舌を肥えさせ、退役後の男たちの胃袋を路頭に迷わせた、罪深い人だ」


 絶対音感ならぬ、絶対味覚――それがマスターのスキルらしい。


「マスターの作ったレシピは、帝国軍の秘宝とされる」

「やっぱり凄い人なんだ……」

 ネロは背筋を正す。

「ぼ、僕、出禁になったりしてませんか……?」

「気にすんな。調理兵の教育係をしてた人だ。心は広い。ただし……」


 ジャックはネロに意味深な横目を向けた。

「あの店で、エスプレッソだけは注文するな。邪道だとキレる」

 ネロは苦笑して、ミルクティーのカップを空けた。


 早々に退店し、再び駅へ向かう。そして今度はバスに乗った。

 二階の席に腰を落ち着け、ネロはしばらくロンドンの街並みをぼんやりと眺めていた。


 ジャックがホテルのボーイから聞き出した、妻子の住所とされる場所に向かうのだ。九割九分、偽名だろうがな……と、ジャックは言っていたが、念の為だ。


 バスは、ビッグ・ベン前の橋を渡りサザークの賑わいを抜ける。


 孤児院を出て一週間、ロンドンに来てからはまだ三日しか経っていない。当然、全てが初めて見るものなのに、なぜか昔から知っている気がする。

 ロンドンの古い建物群は、そんな不思議な感覚をネロに抱かせた。


 千年の都・ロンドン。

 熟成された威厳は、圧倒的な伝統で来る人を組み伏せるのだろう。


 この感覚を、妹にも体験させてやりたかったな……。


 そんなことを思いながら、ネロはふと呟いた。

「実は、あのレストランで、気になったことがあったんです」

 隣に座るジャックは、閉じていた目を開いた。

「なんだ?」

 考え過ぎかもしれませんが……と前置きしてから、ネロはどうしても心に引っかかっていることを口にした。


「今から死ぬと分かっている人が、家族と最後に過ごす晩餐に、ホテルを選ぶでしょうか?」


 ジャックはネロに顔を向け、眉を寄せる。

「何かおかしいか?」

 ネロはどう伝えるべきかと言葉を模索しながらポツポツと語る。

「これから死ぬと分かっていたら……僕なら、自分の家で過ごしたいです」

「…………」

「自分の家で、自分の家族に囲まれる時間を過ごしたいと考えると思います。豪華な食事がなくても、パンとチーズでいい。一番リラックスできる場所に身を置いて、自分の人生を振り返りたい。僕に自分の家がないから、そう思うだけかもしれませんが……」


 なんか、すいません……と、ネロは恐縮する。しかしジャックは表情を変えずに

「続けてみろ」

 と促した。


「あの人の記憶を見た時は不思議に思わなかったんですけど、実際にあのホテルのレストランに行ってみると、死ぬ前のひとときを過ごしたいというより、お礼……いや、『お詫び』の気持ちが強かったんじゃないかと感じたんです」

「お詫び、か……」

「普段、苦労をかけている家族に、一度くらいは贅沢をさせてやりたい……そんな気がしました」


 ジャックは考え込んでいる。無精髭をゴリゴリとこすっていたが、やがて

「そっちから調べた方が早いかもな」

 と立ち上がった。

「ど、どうしたんですか?」

 ネロも慌てて立ち上がる。ジャックはニヤリと彼を見た。

「――ドレスだ」

「…………」

「奥方が着ていたドレスを作った仕立て屋を探した方が、偽名を追うより効率的だ」


 ジャックの考えはこうだ。

 普段から家族に苦労をかけていたのなら、ドレスコードの厳しい高級ホテルに入れるほどのドレスは持っていなかったはず。

 最後の晩餐の一夜のために、ドレスを仕立てた可能性が高い――。


 呆気にとられつつバスを降りる。

 スタスタと歩くジャックの背を追い、着いたところは小さな宝飾店だった。


 ジャックは慣れた様子で扉を入る。店主らしき片眼鏡の老人が、「いらっしゃい」と言って顔を上げ、ジャックを認識するとニヤリとした。

「また女を騙すのか」

「人聞きの悪いことを言うんじゃねえ……」


 一応はネロを意識しているのだろう。ジャックはオホンと咳払いをして話題を変えた。


「仕立て屋を探してる」

「うちは宝飾店だ。ハロッズにでも行きな」

 けんもほろろな店主の態度に、ジャックは再び気まずそうな顔をした。

「チップ代をケチりたいんだよ……なあ、ネックレスなんかを買いに来る時、ドレスに合わせることがあるだろ」

「ああ、よくある。何度も着ないドレスなら尚更だ」


 そこでジャックはネロを呼んだ。

「おまえが見たドレス、描けるか?」

 と、彼は手帳とペンをネロに渡す。

「だいたいでいい。特徴的な部分が分かるようにな」

「はい……でも、テーブルの上に見える部分だけですよ」


 思い出しつつ、ネロはデコルテの部分を描いていく。

 ベルベットのカシュクール襟。肩から袖にかけてレース編みになっていて、胸元にはレースの薔薇。その花弁に誘われるように、蝶をデザインしたネックレスが揺れている。


 そこまでを描くと、ネロの手元を覗き込んでいた店主が声を上げた。

「ああ、このネックレスは、うちで取り扱ったものだ」

「何!?」

 目を剥いたのはジャックだ。

「この絵で分かるのか?」


 ……ジャックの言い分も無理はない。

 ネロは絵に自信がない。脳内の映像を絵にしたくても、大雑把な形にしかならない。

 ネロは首を竦めた。


 それでも店主は大きくうなずいて、

「売ったのは昨日だし、特注品だから間違いない」

 と、奥からファイルを持ってきた。


 そこにあったのは、ネックレスのデザインを記した設計図。

 確かに、輪郭はネロの絵とそっくりだ。


 ――そして、ネロの脳内の映像そのままだった。


 ジャックの表情が険しくなる。

「これを売ったのは、昨日の何時頃だ?」

「午後だな……二時過ぎだったか」

「その時、そのご婦人はドレスを?」

「いや、男が一人だった」

「名は?」


 店主は設計図の端を示す。そこにある名をジャックは読んだ。

「ジェフリー・ブラックマン、か」

「まあ、偽名だろうがな」


 しかし、ジャックはニヤリと口を歪めた。

「偽名で注文を受ける宝飾店なんざ、ロンドン広しといえど、ここくらいだからな」


 ネロはハッとした……どうしてこんな冴えない宝飾店に来たのかと思えば、ジャックの目的はそこだったのだ。

 相手はマフィアの幹部。真っ当な店で買い物などできない。裏のルートか、偽名を使うしかないのだ。


 するとそこに、「ジェフリー・ブラックマン」と名乗る彼の人物像が浮かんでくる。


 家族には、裏の顔を明かしていない。

 純真な家族には、真っ当な品を贈りたい……真っ当な夫であり、父親として、彼女たちの記憶に残りたい。だから、この店を選んだ。

 彼の家族に対する真摯な態度が、そうさせたのだろう。


 ジャックはあごを撫でつつ店主を見た。

「奥方を見たことは?」

「さあ。注文する時、サプライズでプレゼントしたいからと、ドレスの図面だけ持って来たな」

「どこのドレスだ?」


 店主は遠くを見るような目をしてから、ジャックに顔を戻した。


「――サウス・ケンジントンだ」

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