③
地下鉄は空いていた。
半年前に自爆テロ事件があってから、利用者が減ったみたいだ。
ジャックの隣で地下鉄に揺られながら、ネロは恐縮しきりだった。
「ごめんなさい……こんな大きな話になるなんて」
「気にすんな。ボンクラ警部補の鼻っ柱を折るいい機会だ。俺はワクワクしてるぜ」
ジャックはニヤニヤと無精髭を撫でている。
二人は、フランス料理の食べられる高級レストラン探しの手はじめとして、ヴィクトリア駅近くのホテルに向かうところだった。
「身の危険を感じているのならば、セキュリティ的に、個人店よりもホテルを選ぶだろう」
という、ジャックの推理からだ。
幾つかの駅を通り過ぎる。その途中、工事中の駅があって、ネロはおや? と首を傾げた。
すると、ボソリとジャックが言った。
「ここが、例のテロのあった場所だ」
ネロが見たジャックの横顔は、なぜかとても苦しそうだった。
かと思えば、急に明るい声でネロに言う。
「探偵なんて因果な商売、好きでなるモンじゃない。辞めたって、誰も止めやしないぜ」
キョトンとネロはジャックを見返す。彼は気まずそうに前を向いた。
「おまえのスキルは探偵に向いてる。正直、探偵でなければ役に立てられないだろう。けれど、スキルを使う度に、おまえは辛い思いをする。それに耐えられるのか?」
ネロは顔を伏せる。
「分かりません……はずれスキルの役立たずと罵られて生きていくのと、どちらが辛いのか」
ジャックは肩を竦めた。
ネロはそんな彼に、恨めしさを込めた目を向けた。
「そう言うジャックさんのスキルって何ですか?」
「聞いてないのか? ブラウン先生から」
「嘘つきだから信じるなと言われました」
「ハハッ、間違いない」
ジャックは愉快そうに肩を揺する。
「そんじゃ、俺から俺のスキルを聞いたところで、信じられないんじゃないか?」
「一応は相棒なんでしょ? 自己紹介くらいして欲しいです」
「そっか……じゃ、おまえの質問に答えてやる。何でも聞いてくれ」
そう言われると、何を聞いていいか分からなくなる。
少し考えてから、ネロはありきたりな質問をした。
「生まれはどちらですか?」
「さぁ、忘れた」
「年齢は?」
「いくつに見える?」
「お住いは?」
「風の吹くまま」
「いつから探偵社に?」
「ボスに聞いた方が確かだ」
とぼけているのか、答える気がないのか……。
ネロはイラッとした。そして、当てずっぽうに言ってみた。
「じゃあ、この質問には、YESかNOで答えてください……あなたのスキルは、『未来が見える』、でしょう?」
ジャックはギョッとしたようにネロを見た。
「なぜ分かった?」
その声は、冷酷なまでに硬質だった。
聞いてはいけないことを聞いてしまった……そう感じて、ネロはジャックから目を逸らす。
「昨日、階段から落ちそうになった僕を助けてくれた時、そんな気がしたんです」
苦虫を噛み潰したような顔で、ジャックは無精髭を撫でる。
「そっか……」
「『YES』で、いいですか?」
「否定はしない」
とことん素直ではないらしい。
しかし、これまでにない一面を見たようで、ネロは言葉に迷った。
「あの……」
「三秒だ」
「…………?」
「たった三秒先の未来だ、俺が見えるのは――誰も救えない、はずれスキルだよ」
暗く沈んだその声に、彼の過去を垣間見た気がして、ネロはそれ以上聞けなかった。
――――――――
リッチモンド・リバーサイド・ホテルは、ロンドンでも歴史ある高級ホテルだ。
ネオ・バロック様式の荘厳な外観と、格式高いエントランスに、ジャックの薄汚れたコートは似合わない。
案の上、すぐさまドアボーイに呼び止められた。
「お客様、当ホテルではドレスコードを……」
ジャックは黙って、コートのポケットから紙切れを取り出す。ロンドン警視庁の紋章と、フルハタ警部の署名のある、捜査協力依頼書だ。
「これは失礼いたしました……」
戸惑いつつも引き下がったボーイを見送って、ネロは首を竦めた。
「本当にいいんですか? 偽造だとバレたらまずいですよ?」
「バレるような偽造はしないさ。ファイブを信じろ」
「ファイブって、僕の身分証を食べた、あの子ですか?」
「そうだ。滅茶苦茶な奴だが、偽造の腕だけは信頼していい」
ネロは腑に落ちない顔をしているが、ジャックは知っていた。
彼は『その分野』において天才だ。パスポートでさえバレたことがない……飛び抜けた分、欠けたところも多いが。
しかし、その能力すらも、彼の「スキル」ではないようで、彼がスキルを発現させた時が、ジャックには恐ろしい。
エントランスを抜けるとラウンジがある。ゆったりとしたソファーが並んでいるが、目的地はここじゃない。
脇の柱にある案内表示を見てからエレベーターに向かう。フロントでもう一度、捜査協力依頼書を見せてから、エレベーターボーイに最上階を告げた。
最上階にあるのは、スイートルームと、一等室専用のレストラン。客の姿はない。チェックアウトとチェックインの間の時間で、掃除婦がバケツを持って行き来していた。
レストランの両開きのガラス扉を覗けば、ここも同じようなもので、ボーイがテーブルクロスの交換をしていた――このレストランのテーマカラーなのだろう、全て藍色のものだ。
遠慮なく、ジャックは扉を引く。
「あの、お客様。ただ今の時間は準備中でございます……」
すぐさまボーイがやって来るが、依頼書を見せ、少々弾んだチップを握らせれば、厨房へと引っ込んだ。
ジャックがそうしている間に、ネロは中央付近のテーブルに歩み寄る。
「藍色の……テーブルクロス……」
「それに、花の形のシャンデリアもある」
ジャックは天井を見上げた。真鍮製の八本の足がそれぞれ、花を象ったランプをぶら下げている。
ネロは目眩を起こしたようによろめいて、テーブルに両手をついた。
「ここです……このテーブルです、あの人が、最後に食事をしたのは」
蒼白の顔色をしつつも興奮した様子で、ネロはジャックに示した。
「この席です。ここに昨夜、彼は座っていました。彼の正面が、ドレスを着た女の人で、斜め左に、女の子が座ってました」
ネロはそう言って、じっとテーブルを眺めている。何か思うところがあるのかもしれない。
ジャックはそっと離れ、首筋を搔いた。
「まさか、一発目で王手とはな……」
ネロのスキルの精度が未知数なため、ロンドンじゅうを駆け回る覚悟をしていたのだが、この少年、運命の女神を呼び寄せるという強スキルも持っているらしい。
ジャックは近くのテーブルに目を落とす。こういうレストランにはメニュー表がない。金額を気にもせず、出されたものを食べる場所だ。昨日のメニューを確かめれば、ネロの見たものの補足になるだろう。
厨房に声を掛け、先程のボーイを呼ぶ。
「昨晩、この席で食事をした一家を覚えてるか?」
「はい、ご主人様と奥様と、小さなお嬢様の三名様です」
「宿泊客なのか?」
「こちらのレストランは宿泊されたお客様専用ですので、間違いないかと」
「何号室?」
「確か、315号室です」
念の為、フロントに確認してきますと、ボーイは退出した。
ジャックは窓辺に寄り、外を眺める。するとすぐ足元に、テムズ川が見下ろせた。
このホテルで暴行を受け、窓から投げ捨てられた可能性もあるのではないか。ジャックはそう考えた。
しかしその推理は、間もなく戻ったボーイによって否定された。
「昨晩、315号室に宿泊されたのは、奥様とお嬢様のみで、ご主人様は食事のみのご利用のようです。奥様とお嬢様は、すでに今朝、チェックアウトをされております」




