狂気の美学
夏になると、虫たちの活動が活発になる。成虫になった虫たちがせいぜい3,4か月の短い寿命を輝かせて活動する。時には動物に捕食され、時には人間に捕獲され、さまざまな危険があるが、彼らは懸命に生きている。でもやすやすと捕らえられるのではない。彼らにも尊厳というかプライドがあるのだろう。戦いに挑むのである。もちろん前回の話の「逃げる」を優先するのだが、いよいよとなった時には一転して戦う姿勢になるのだ。こうなると一気に生死を賭けた戦いになる。
ある日こんな光景を目撃した。ウチにはデコポンというポニーがいるのだが、何かをじっと見ていた。それは大きなカマキリだった。カマキリはデコポン相手に両腕を広げ威嚇し、いまにも飛びかからん勢いを醸し出す。一方デコポンは目の前の物が何だか分からない様子。ただ色が草と同じ緑だったためだろう、なんとあっという間に食べてしまった。結果はあっけなくカマキリは戦死した。人間からしたらどう考えてもそうなるだろうという事にもかかわらず、なぜ挑んだのか。そしてこれを我々は嘲笑うことが出来るのか。
いや出来ない。実は、我々も同じことをしているのだ。「ゼロ戦」といえば十分だろう。
つまり人間も生死を賭けた戦いとなれば、昆虫同様無謀でもやってしまうのだ。わずかに残る野生の狂気の血が覚醒するのだろう。
しかし現在人類は、そのような危険渦巻く環境から遠く離れた生活をしている。それどころか、楽しみや幸福を追求する余裕まである。そんなことから他の動植物に対して傲慢になり、自然を破壊しまくっている。先の野生の血なんてのも殆どなくなっているのではなかろうか。
動物たちはすべからく狂気の面を持っている。日々懸命に生きるその姿は、何故だか桜を思わせる。狂気ともいえる大迫力で花を咲かせ、パッと散る。人々はそれに魅了される。狂気を持たないものは狂気に憧れるのだ。
狂気とは何も悪い意味だけでは無い。なにかに夢中になり、のめり込ませ、寝食を忘れて没頭する。これもある意味狂気だ。
よく人は「夢中になるものを見つけろ」などと言う。人間もこういった形で狂気を取り戻そうとしているのかもしれない。でもなかなかそれを探し出すのは困難だ。
もしかしたら狂気というと言葉は激しく受け入れがたいので、人はそれを「幸せ」と置き換えて永遠に追い続けるのかもしれない。




