人間の正体
公園の植栽はきれいだ。街路樹も整ってる。あらゆる建物は整った体裁の良い植物たちでおおわれている。
そこを人々は散歩したり、ジョギングしたり気持ちの良い風景と共に過ごすのだ。そして「緑があるのは素晴らしい」と口々に言う。当たり前の話だが、そこにある木や花はどれもみな同じように整えられており、没個性の中で静かにたたずんでいる。育ち盛りの時にうっかり枝を伸ばそうものならたちまち切られてしまう。とにかく揃っていないと、皆同じでないと許されないのである。今じゃキャンプ場だって公園のようにきれいだ。野菜だって形が良くないと廃棄だ。人工的な管理を受け入れざるを得なかった彼らは、愛玩動物と立場が似ている。とにかく人間のご機嫌を絶えず伺っていなければならず、弓を引いたとたん駆逐される運命なのだ。そんな中でも、植物たちは育ち、花を咲かせ、果実を実らせるものもいる。動かぬ、鳴かぬ植物は、まるでマネキンのようにそこに立ち、人間たちのために見た目を満足させるためだけに存在しているのだ。
人間たちは開発が大好きだ。「ここに競技場を建設するので、街路樹は邪魔になるので要りません!」となれば、たちどころに伐採されてしまう。街路樹からしたら、理不尽極まりなく、無念の涙の一つでも流したい気分だろう。
我々人間とは非常に面白い。口では個性を出そう!伸ばそう!などと言う。なのに出る杭は叩きまくる。違う意見は叩きまくる。草木にも動物たちに対してはもちろんだ。
本当は没個性が好きなのだ。安心するし、劣等感も生まれないし。だから大好きなのだ。
そして、見た目でしか判断しないのだ。統一感のある整然さがお気に入りで、そうでないとたちまち不快になる。
植木鉢に花の種を植えよう。野菜も育ててみよう。彼らは懸命に育ち花を咲かせる。キュウリが実る。
咲き方が少々他と違ってもよい。ひん曲がったキュウリでもよい。美しさや味は変わらないのだから。




