価値観
動物を飼う理由は様々だ。共通点と言えば、「動物が好き」という事くらいだろうか。鉄道ファンの乗り鉄、撮り鉄などと同じように、飼育にもいろいろなタイプがある。ふれあい型、鑑賞型、繁殖型、コレクション型など。どんな生き物が好きなのかも、どんな飼育方法かも、飼い主の嗜好に委ねられる。共通の「動物好き」なはずの動物ファンたちには実は独特の偏見があることはあまり知られていない。動物好き同士でも主にその飼育方法や、扱い方についての意見が分かれると、途端にけなし合うのである。その裏には、自身の方法が一番であるという自負が見え隠れする。
という事で、移動動物園での採用面接には苦労するのである。基本的に応募者は自称「動物好き」しか来ない。特異性があり、一定数必ず働きたい人はいる。しかし、先に述べたように、価値観が一緒でないと、たちまち不穏な空気が流れるのだ。こんな飼育で可哀そう。ストレスで可哀そう。
「可哀そう」のキーワードが出てきてしまうとこの仕事はやってはいけない。飼育側も現状最大限の「可哀そうではない」飼育を心がけている。なんなら一般宅で常にゲージ内の長時間留守番に比べたら雲泥の差である。だから動物好きというのは価値観というものが非常に大事なのである。
世間でも、価値観の多様性はそこら中に溢れている。よく考えてみると、スポーツチームや、芸能人、政治や宗教にその他殆どの物は、動物好きと似ていて、同じカテゴリーでも価値観が違うとけなし合う。政治や宗教に至っては戦争にまで発展しかねない火種を持っている。
今盛んに、違いを認めようとか言われているが、一向にどこ吹く風だ。
たしかに、これはこれ、それはそれで放っておけばよいものだが。なぜか黙っていられない。自身の自己肯定を確認するかのように相手の意見を批判する。
そう、これは確認事項の通過儀礼なのかもしれない。
ただ問題なのは、未体験でもネット情報だけはあるので、表面だけ知ったつもりの人たちも自負もないままに批判してくることか。




