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最期の到来

生きていることを「命があること」とするならば、死んだことは「寿命が尽きた」とでも言おうか。どんな生物でも必ず尽きるのが寿命だ。尽きた後の状態は知らない。ただ恐れることはないというのは事実だと思う。なぜならば、生まれる前の状態を「怖かった」「嫌だった」などという声を聞いたことが無く、むしろ何とも思わなかったというのが大半だろうと思うからである。我が園でもたくさんの子が虹の橋を渡った。(動物が死んだ時、虹の橋という表現をすることが多いのであえて)思うに動物たちは死を恐れて死んでいくというよりは、最後まで生きようとして、ついに叶わず死ぬという感じである。その際何を思うのかは知る由もないが、動物は動物なりに何かを思うのだろう。人間側から思うに、なるべく本来生きられるだけの寿命は全うさせてあげたいと思う。事故や病気で亡くなることは寂しいのである。

対して人間の「生」に対する貪欲さは相当なものだ。医療の発達、薬の進歩が大きく関与しているのは間違いない。昔は不治の病でも現在は完治できる病気も多くある。テレビでは健康食品のコマーシャルがひっきりなしだ。特に現在は、癌の特効薬の開発に熱心なようである。でも、別に癌じゃなくでも人は寿命が来れば必ず死ぬのである。でもなぜ人間は生きることにそんなに貪欲なのか?実は生きることに貪欲なのではなくて単純に死にたくないだけなのではないだろうか?この世は苦行ともいわれる事もあるのに。思うに、死にたくないから生きたいというのは本末転倒な気がしてならない。なぜならば先にも言ったように死は必ず訪れるのだから。何の根拠もなく生きている前提で未来を語るのは不思議な事だ。

私は「今日、明日死ぬかもしれない」と腹をくくる事が健全であると思う。命がまだある時に体や意識をフルに使い、寿命が尽きるまで使い切る。でもいつ尽きるか分からないから常に体と意識を使い切るように心がけなければならない。命なんて少々雑に扱った方が良いのだ。

 そしてもう一つ。死の間際、最後の到来に「走馬灯」を見るとしたら、何を見るだろう?現代は写真や動画、等の「思い出」が多すぎて最後に脳内で何を再生させれば良いのか迷ってしまうのではないだろうか?そう考えてみると思い出なんかも多けりゃいいのかって話になってきますが。

その辺りの、「思い出も」整理しておかなければならない気がする。

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