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求めるものとは何か

動物を飼っている人ならだれでも、自身と動物との間になにがしかの関係がある。それは支配なのか主従なのか家族なのか管理なのかは分からないが当事者からすると一目瞭然に判断できるだろう。飼っている人は動物たちにいったい何を求めて飼っているのか。それは癒しなのか、ステイタスなのか、寂しさを紛らわす物なのか、好きだからなのかそれも分からないが、当事者からすると一目瞭然に判断できるだろう。人間の方は置かれたる立場によって、関係や飼育理由は様々だと思うのだが、反面、動物たちが我々人間に求める関係性とは「安心」の一点に尽きると思うのである。確かに、飼育の段階で、天敵に襲われたり、食料にありつけないと言った脅威からは守られている。が、その代償として自由行動を完全に失った。一見不憫に思うかもしれないが、「死」と直結する事案から守る担保としての自由喪失は決して重たいものでもない。そもそもいつもご飯がもらえるのだから、広い縄張りも必要ないし、少なくとも人間の行動範囲内は行動可能なのだから。故に、彼らが我々に求めるものは、「安心」なのである。

私が庭の椅子に座っていると、デコポンやヤギたち、ニワトリたちが近づいてくる。おもむろにデコポンを撫でたり、ヤギたちと遊んでみたり。ニワトリたちは私が穴を掘るのを待っている。お目当ては穴から出てくるミミズだ。そんな日常を思い返してみると、みな「安心」しているように思う。もちろんの話だが、動物たちを「安心」させようと思って行動したことはない。日々共に生活することで自然に築かれたものだと思う。遊ぶ時間だからと眠そうな子を起こしてまで構わないし、基本は自ら触れに行くことなく、彼らがこちらに来て初めて接触する。そうすることによって自然と動物たちは現状を理解し、そこでの生活に適応しようとするのである。私からしてみたら、初めて会う動物に対して抱っこをしようとし、逃げられまくるのは、至極当然の結果なのである。









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