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理論と実践

私は動物哲学者として活動している、そこで気になるのがそのような活動をされている方が、他にもいるのか?という事だ。そこで調べてみた。いた。多くは海外の大学の教授や研究者の人たちだった。なるほど哲学っぽいと言うか、型にガッチリハマった感じがします。私が動物との関係に対して違和感もち、スタートしたのが「動物教育」なわけだが、それよりもずっと前から同じようなことが、訴えられていたというわけである。しかし、もしかしたら、その頃から未だにほとんどその関係性は変わっていないのではないだろうか?なんせ私が違和感を持つくらいなのだから。あくまでも個人的な意見にすぎませんが、研究、実験、データどり、仲間内のみの考察などで完成したのではないか?または論文、出世、名声?本当に変えたいと思っていたのかなど、そんなことまで思ってしまう性格の歪んでいる私なのだ。でもよく考えてみると、アカデミックな論文だけで社会が変わるかと言ったらそれは無い。私を含む市井の人間はそんなものなど読まんのだ。だから知らない。だから変わらない。

 私はインテリでもアカデミカルでもない。教授でもないし研究者でもない。ただ毎日動物と遊んでいる一人の人間だ。そこで思う物語を書き、彼らとの一方通行の対話を書き、時折、高度なはずの人間に落胆する。そういう事での「問い」や「気づき」を対話し、感性を耕していければ良いと考える。

自称、フィールドワーク的な動物哲学者である。

 私の物語には、ポニーのデコポン。ウサギのうさ太郎、ニワトリのヨスケが出てくる。いずれも実在する、または実在していた私の大切な相棒だ。机の上の想像では、デコポンの嘶きは聞こえない。聞いただけの話では、うさ太郎の温かさは感じない。映像だけではヨスケに突かれた痛さは分からない。

 そこが学術哲学と実践哲学との違いだと思っている。

私は、動物たちとある約束をしているのだから、それを果たすために進むだけなのである。そこには、地位も名誉も何もないが、目の前には常に共に歩いてくれる相棒がいる。

それだけで十分じゃないか!


 









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