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余暇の哲学

人間は、狩猟採集生活、農耕生活をしている時代はそれなりに楽しく過ごしていたのではないかと思う。もちろんたくさんの危険はあっただろうがね。今は10月。今日の新聞のチラシに早々とお節料理の予約販売の記事を見た。昨年よりも品数アップと書いてある。察するに他者との競争が激しいのだろう。他社よりも豪華に、他社よりも安く。昔はお節料理は家で作ったり、スーパーでいろいろ買ったりしていた。お節料理を売り出すと聞いたときには随分驚いたが、今では普通の光景になった。動物の業界もそうだ。犬のお節料理や年越しそばまである。冒頭の狩猟、農耕時代は、自分たちの食べる分だけ捕ったり、作ったりしていたので、その他の時間はある意味余暇だった。もちろん獲物が捕れなかったり、不作だった時期もあっただろうから一概には言えないが、それなりに楽しく過ごしていたのではないか?現代社会は、狩猟、農耕の作業が経済にすり替わった。それの大きく違う点は、自分たちの分だけでは満足しなくなった点だ。もっともっともっともっとと経済活動にのめり込んでいる。夏の野菜を冬でも食せるようになり、イチゴなんて何種類もある。更に、この国にはない果物も食べられる。経済活動のおかげだ。動物もそうだ、日本にいない動物がたくさん見られて、飼育まで出来て、挙句の果てには様々な場所に住み着くようになっている。経済活動の威力は計り知れない。しかしその代償に、人は余暇を失った。特に斜陽のわが国では余暇なんてほとんどないのでは?たまの休みはいつものショッピングモール。給与が上がらないのだから旅行も出来ない。海外旅行に行って、ホテルの夕食捕らずに、持参したカップラーメン食べたって話も聞いたことがある。

 経済活動から一段降りるのを推奨する。目的とゴールのない経済活動などゴミ同然なのである。成功や達成などは、たかだかある瞬間のほんの些細な出来事にすぎず、次の日からまた更に上乗せされた責任を背負って活動再開するのだ。

 自分の必要な分だけ活動し、あとは好きな事をやって遊んでしまえばよいのだ。遊びは様々な発明をもたらす。だから結果的にその方が充実した人生を送れるかもしれない。

 庭にいるスズメやカラスたちにはもちろん経済活動などという概念はない。でも日々暮らしている。ある分だけで上手に生きている。私たち人間も少しは動物たちの生き方を見習った方が良いのではないかと考える。











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