怪物
ほとんどの人間がそれの前にひれ伏す。どんな人間でもひれ伏す。そんな怪物を人間は生み出して久しい。
怪物の姿は単なる紙切れだったり、コインだったりする。それを得るためなら人間はなんだってする。なんだって。
なぜなら、怪物に寄生しないと人間は生きていけないから。「衣食住」全てにその力が必要なのだ。
デコポンは怪物を知らない。しかし飼育されている以上、牧草、ワクチン、装蹄など、怪物の力を必要としているのだ。
つまり野生以外の生き物全てに影響力を持つ、地球の支配者なのだ。
よく、映画や漫画で世界征服を企む敵に立ち向かうヒーローがいるが、現実界ではとうの昔からとっくに世界征服されていたのだ。勇敢に立ち向かうヒーローなんていないのだ。
さてさて人々は何故そんなにもソレを求めるのだろうか?思うに、利便性が手に入ることと、他者への優位性をアピールできるからだと思う。「他人の目を気にしない。」とか「足るを知る」とか表面的に言ったり、それが美徳だ的な声があるが、そんなことなんて少しも関係なくなってしまう。今や子供から大人まで全員ソレが欲しくてたまらないのである。
しかし利便性や優位性がそこまで必要かとよく考えてみると、そんな事は全く無く、全く無駄であり、必要ないのである。生きる上で、必要以上の便利さや見栄やプライドなんてものは邪魔以外の何者でもないのである。3日で慣れてしまう物を買って、飽きて、また買う。この繰り返し。
見栄やプライドなんかも誰も見てないし、気付いてすらくれないのです。
スーパーカーだからって交通違反したら捕まるし、お高いバッグだって使い勝手が特別いいわけでもなんでもない。単なる意味のない見栄。そんなもののために懸命に働き、ソレの奴隷として我々は大切な生涯を捧げているわけです。
そして長い間盲信されてきた幸せとの因果関係も全くないのです。
全くおめでたくもあり哀れでもある人間の悲しい性なのだと言わざるを得ない。
その概念を持ち合わせていない動物たちの方が、素朴に純粋に生と向き合って日々過ごしている様に思う。
デコポンの横に立ち、同じ空を見ているとふとそんな事を思うのである。