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毒使いの薬師と、まどろむ日々

作者: たんぺっぺん

毒使いの薬師と、まどろむ日々


「あら、今日の薬草は随分と元気がないわね」


リーリアは、籠いっぱいに摘んできた薬草を検分しながら、小さく呟いた。陽光が降り注ぐ薬草園は、色とりどりの花と葉が揺れ、甘く、時に刺激的な香りをあたりに満たしている。その中で、彼女の指先は、ごく僅かな異変をも見逃さなかった。


リーリアは、この世界に転生して十年になる。元の世界では、ごく普通のOLだった。残業続きで疲弊しきっていたある日、過労で倒れたと思ったら、次に目を開けた時には、見知らぬ森の奥にいた。幼い少女の姿で、身寄りもなく、ただ一つ、奇妙な能力だけを携えて。


その能力とは、「毒」を操る力だった。


最初は戸惑った。毒なんて、人を傷つけるものだ。しかし、この世界の「毒」は、元の世界のそれとは少し違った。確かに猛毒も存在するが、適切な量を、適切な方法で使えば、それは強力な「薬」にもなり得た。


リーリアは、森で出会ったエルフの薬師に拾われ、その才能を見出された。彼女は、毒を薬に変える術を学び、やがて一人前の薬師として、この小さな村で暮らすようになった。


村は、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、そしてごく稀に魔族までもが暮らす、多様な種族が共存する場所だった。争いもなく、それぞれの文化が混じり合い、穏やかな時間が流れている。リーリアは、この村の日常が、何よりも好きだった。


「リーリアさん、今日の夕食はキノコシチューにしましょうか?」


声の主は、獣人の少女、ミミだった。ふわふわの猫耳としっぽが特徴の、元気いっぱいの女の子だ。リーリアが薬草園で作業している間、いつもそばで手伝ってくれる。


「ええ、いいわね。でも、その前にこの薬草を処理しないと。少し虫食いがあるから、解毒剤を作っておきましょう」


リーリアは、摘んだばかりの薬草の中から、ごく小さな虫食いの跡があるものを選び出した。この程度の虫食いなら、普通は気にしない。しかし、彼女の「毒」に対する感度は、異常なほど高かった。微量な毒素すらも感じ取り、それを無毒化する、あるいは別の毒に変えることができた。


「解毒剤ですか? そんなにひどいんですか?」


ミミが心配そうに覗き込む。


「ううん、大丈夫。念のためよ。それに、この薬草の毒は、ちょっと面白い使い方があるの」


リーリアはにっこり笑った。彼女の作る薬は、ただ病気を治すだけではない。時には、眠気を誘う香油になったり、肌を滑らかにする美容液になったり、はたまた、気分を高揚させるお茶になったりもした。彼女の「毒」の知識は、人々の生活を豊かにする魔法のようだった。


その日の夕食は、ミミが腕によりをかけたキノコシチューだった。ドワーフの鍛冶屋の親父が持ってきた珍しいキノコと、人間の農夫が育てた新鮮な野菜がたっぷり入っている。


「リーリアさんの作る薬は、本当に不思議ですね。この前のお茶も、飲んだら体がポカポカして、ぐっすり眠れました!」


ミミが目を輝かせながら言った。


「そうでしょう? あれはね、ほんの少しだけ、眠りを誘う毒を混ぜてあるのよ」


リーリアがそう言うと、ミミは目を丸くした。


「毒!? でも、全然苦しくなかったです!」


「ええ、それが私の腕の見せ所よ。毒は、使い方次第で薬にもなる。むしろ、薬よりも効果的になることもあるの」


リーリアは、人々に「毒」の危険性だけでなく、その有用性も伝えてきた。最初は警戒されたが、彼女の作る薬が、病気を治し、生活を豊かにするにつれて、村人たちは彼女を信頼するようになった。


食後、リーリアは薬の調合に取り掛かった。依頼されたのは、エルフの長老が患っている関節痛の薬だ。この薬には、ごく微量の麻痺毒を配合する。麻痺毒は、量を間違えれば命に関わるが、適切に用いれば痛みを和らげる効果がある。


リーリアは、慎重に薬草をすり潰し、調合していく。彼女の指先は、まるで踊るように軽やかで、迷いがなかった。


「ふぅ、これでよし」


完成した薬は、淡い緑色の液体だった。これを一日三回、少量ずつ服用すれば、長老の痛みは和らぐだろう。


翌日、リーリアは村の広場にある診療所へ向かった。そこには、朝から様々な種族の村人たちが集まっていた。


「リーリアさん、おはようございます! この前いただいた目薬、おかげさまで目がすっきりしました!」


人間の青年が、笑顔で声をかけてきた。彼は、森で木こりをしているため、よく目にゴミが入ると訴えていた。リーリアは、微量の刺激毒を配合した目薬を処方した。刺激毒は、涙腺を刺激し、異物を洗い流す効果がある。


「それはよかったわ。使いすぎないようにね」


「リーリアさん、うちの子が熱を出してしまって…」


ドワーフの母親が、心配そうに子供を抱えてやってきた。子供はぐったりとしていて、顔が真っ赤だ。


リーリアは、子供の額に手を当て、熱を測った。そして、解熱作用のある薬草と、ごく微量の発汗作用のある毒を配合した薬を調合した。


「これを飲ませて、汗をかかせたら、熱は下がるわ。でも、無理はさせないでね」


母親は、ほっとしたように礼を言い、子供を抱えて帰っていった。


診療所には、他にも様々な症状を訴える人々が訪れた。獣人の漁師は、魚の毒に当たって腹痛を訴え、魔族の行商人は、旅の疲れで不眠に悩んでいた。リーリアは、それぞれの症状に合わせて、最適な薬を調合していった。


彼女の薬は、どれもこれも一見すると奇妙なものばかりだった。しかし、その効果は確かで、村人たちは彼女の薬を「リーリアの魔法の薬」と呼んで重宝した。


午後の診療が終わり、リーリアは薬草園に戻った。午前の作業で摘んだ薬草を乾燥させ、保存する。その日の夕方、エルフの長老が、診療所に来た。


「リーリア殿、おかげさまで関節の痛みが引きました。本当に感謝いたします」


長老は、深々と頭を下げた。彼の顔には、安堵の表情が浮かんでいる。


「お役に立ててよかったです、長老様」


リーリアは微笑んだ。彼女の作った薬が、人々の役に立つことが、何よりも嬉しかった。


ある日のこと、村に珍しい客が訪れた。遠い国からやってきたという、人間の旅人だ。彼は、珍しい病に冒されており、どこの医者も治すことができなかったという。


旅人は、リーリアの噂を聞きつけ、この村までやってきたのだ。


「どうか、私を助けてください…」


旅人は、青白い顔で懇願した。彼の症状は、全身の倦怠感と、原因不明の痺れだった。リーリアは、彼の脈を取り、瞳孔を調べ、慎重に診察した。


そして、彼女は直感した。これは、微量の毒が体内に蓄積されたことによる症状だと。


「あなたは、何か変わったものを口にしましたか?」


リーリアが尋ねると、旅人は首を振った。


「いいえ、特に…あ、でも、旅の途中で、珍しい果物を食べました。とても甘くて、美味しかったのですが…」


旅人の言葉を聞き、リーリアは確信した。その果物には、ごく微量だが、継続的に摂取すると体に蓄積される毒が含まれていたのだろう。


「分かりました。私が治しましょう」


リーリアは、そう言って薬の調合に取り掛かった。解毒作用のある薬草と、ごく微量の催吐作用のある毒を配合する。この薬を飲ませれば、体内に蓄積された毒を排出することができるだろう。


薬を飲んだ旅人は、しばらく苦しんだ後、大量の汗をかき、嘔吐した。そして、その後はぐっすりと眠りについた。


翌朝、旅人は目を覚ました。顔色はすっかり良くなり、倦怠感も痺れも消えていた。


「体が、こんなに軽いなんて…! リーリア様、本当にありがとうございます!」


旅人は、何度も頭を下げて感謝した。


「よかったわ。これからは、見慣れないものは口にしないようにね」


リーリアは、優しく微笑んだ。


旅人は、村を去る前に、リーリアに感謝の印として、珍しい宝石を贈ろうとした。しかし、リーリアはそれを受け取らなかった。


「私は、ただ自分の仕事をしただけです。それよりも、あなたが元気になったことが、私にとって一番の報酬です」


リーリアは、そう言って旅人を見送った。


村での日常は、穏やかに過ぎていく。リーリアは、今日も薬草園で薬草を摘み、診療所で村人たちの診察をする。


ある日、リーリアはエルフの長老に尋ねた。


「長老様は、私が元の世界から来たことを、どう思われますか?」


長老は、静かに微笑んだ。


「リーリア殿は、この村にとって、かけがえのない存在です。あなたがどこから来たかなど、些細なことです。大切なのは、あなたが今、ここで何をしているか、そして、これから何をしようとしているか、でしょう」


その言葉に、リーリアは胸が温かくなるのを感じた。


彼女は、もう元の世界に戻りたいとは思わなかった。この穏やかな日常、様々な種族の人々との交流、そして、自分の能力が人々の役に立つ喜び。それが、今の彼女にとって、何よりも大切なものだった。


夕暮れ時、リーリアは薬草園のベンチに座り、空を眺めていた。茜色の空に、一番星が瞬き始める。


「明日も、きっと良い一日になるわ」


リーリアは、そう呟き、静かに目を閉じた。彼女の周りには、薬草の優しい香りが満ちていた。

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