夢のなる木
「それ、本当かぁ?」
「本当だって・・・となりの村の森の中に巨大な木があってな・・・」
怪訝そうな顔をする公太くんを正男くんが説得しています。
「晴彦に教えてもらって、俺も実際に体験したんだ。なあ、晴彦。本当だよな?」
正男くんは黒板を掃除している小柄な丸刈り頭に声をかけました。晴彦くんは一か月前にとなり村の小学校から転校してきました。ひょうきんで物知りのため、すぐにクラスになじみました。
「ああ、本当だよ。みんなも試してほしいな。」
「へぇー、おもしろそうじゃん。私も行ってみたい。」
後ろの席で聞いていた明美ちゃんが話しに割り込みました。
「千恵もどう?いつまでも落ち込んでたって、仕方ないじゃん。」
突然、話を振られた千恵はしぶしぶ頷きました。
「じゃあ、決まりだな。今度の日曜日の午後、5人でその木にまで行ってみよう。場所は晴彦が案内してくれる。」
正男くんの話はこうでした。
となり村の外れにある森を奥に進むと、古びた巨木があります。その木に向かって願い事をして、根元でお昼寝をすると、その願いの叶う夢を見られるというのです。晴彦くんからその話を聞き、案内してもらったそうです。
晴彦くんの話は本当でした。木に向かって「鳥になって、空を自由に飛び回りたい」と念じてから眠りにつくと、その通りの夢を見られたそうです。とても楽しい夢で、途中で晴彦くんに起こされなければ、いつまでも見ていたい夢だった、と言います。
千恵はこの話に疑念を抱いていましたが、夢の中でどうしても会いたい人がいました。1か月ほど前に突然、交通事故で亡くなった母との再会です。訃報を聞いとき千恵は学校にいました。登校前の朝食のとき、軽く口げんかをしました。あれが最後に交わした言葉だなんて・・・千恵はとても後悔していたのです。
日曜日は快晴で、穏やかな春風の吹く、温かい日でした。
5人は自転車をこいで、となり村の夢山寺というお寺まで行きました。お寺の裏手には森が広がっていました。自転車をお寺の裏に停めると、晴彦くんを先頭に森の小道を奥へと進んでいきました。
30分も歩いた頃でしょうか、円形に開けた野原があり、その中央に一本の巨木が立っていました。幹の直径は5メートルぐらいありそうです。長いときを経て変形したのでしょう、いびつな塊や割れ目があちこちにあり、黒くてごつごつした巨木でした。
「お前、何を願うんだよ。」
正男が公太に話しかけました。
「決まってんだろう。好きな女の子とデートする夢だよ。」
「それ誰だよ。」
「教えねーよ。」
「わたしは例の韓流アイドルとデートするよ。」
明美も期待に胸を膨らませているようでした。
木を囲み、表面に手を当てて、見たい夢を心に念じました。
「あれ、晴彦はいいのか?」
「俺は邪魔が入らないように、見張ってるからさ。安心して眠ってくれ。」
4人は木の根元に寄りかかり目を閉じました。昼下がりの暖かい空気に包まれて、みんなすぐに眠ってしまいました。その木の香りをかいでいると、不思議と眠くなるのです。
千恵は家の庭に立っていました。縁側に座って編み物する母が見えました。千恵の目には自然と涙がたまりました。
「ごめんなさい、お母さん。」
千恵は泣きながら走って、母に抱き着きました。
「お母さんこそ、ごめんなさい。先に逝ってしまって。」
母は知恵のマフラーを編んでいました。あの朝、マフラーの柄が気に入らなくて、喧嘩をしたのです。家が貧しいため、安物の毛糸を使って作っていました。おしゃれなマフラーを着こなす他の子たちが羨ましくて、つい母に当たってしまったのです。本当は感謝しないといけないのに。
涙が引いた後は、母と楽しく、思い出話をしました。母は食事も作ってくれました。いつもの味でした。ずっとこんな時間が続けばいいのにと思いました。
食事を終えてお茶を飲んでいるときでした。突然、母の表情が険しくなりました。何か異変を感じ取ったかのようでした。母は立ち上がって叫びました「千恵、ここにいてはダメ!目を覚ましなさい!」
千恵は突然のことで呆気にとられていました。すると、母は私の肩をつかんで激しく揺さぶりました。
「痛い!お母さんやめて!」千恵は体の骨が砕けるような激しい痛みと共に目を覚ましました。
辺りはすでに薄暗くなっていました。母に会えたのは願い通りでしたが、恐ろしい終わり方でした。立ち上がろうとすると、何かに押さえつけられました。いつのまにか、木のツルが体に巻き付いていたのです。それを強引にほどいて、木から離れました。
木の方を振り返ると、恐ろしい光景が目に留まりました。みんなの体に巨木から延びたツルが絡みついているのです。これはただ事ではないと感じました。
「みんな起きて!」
千恵は叫びました。
「おい、お前、なんで起きたんだ?」
背後から聞こえた声に反射的に振り返りました。晴彦くんの声です。夕日の逆光で顔は良く見えませんでしたが、頭に二本の角が見えました。千恵は恐怖に腰を抜かしそうになりながらも、みんなの体を揺さぶって、起こしました。
「なんだよ、良いところだったのに・・・」
最初は寝ぼけていたみんなも状況を理解したようです。正男と明美はなんとか、ツルから逃れましたが、公太の胴体には太くてかたいツルが巻き付いて、どうしてもほどけないのです。3人で力を加えても動きません。
「こうなったら、自力で食い殺すのみだ。」
鬼が近づいてきます。
「誰か、たすけてーぇ!」
3人は力の限り叫びました。公太を置いて逃げるしかないのでしょうか。だとしても、逃げ延びられるのでしょうか。ツルは相変わらず、ビクともしません。
突然、鬼が足を止めました。耳をすますと、遠くからお経を唱える声が聞こえます。だんだんとその音は近づいてきました。
鬼は苦しみ出しました。巨木は柔らかくなり分解していきました。
「おのれぇ! あの坊主、また邪魔しおって! 覚えとけよ!」
どこからか突風が吹いたかと思うと、霧が晴れたかのように空気が澄み渡りました。巨木は消えていました。
袈裟を身につけたお坊さんが立っていました。
「わしは夢山寺の住職じゃ。声を聞いて駆けつけたのじゃよ。」
「あれはな、夢のなる木じゃ。夢という甘い果実を餌にして、人々を罠にはめる。自分の望む夢があまりに心地よすぎて、人々は目を覚まさい。そうやっていつまでも眠り続け、やがて、人体がその木の養分として吸い取られてしまうのじゃ。その木はそうやって、成長しているのじゃ。夢を見せられて命の尽きていった人たちは果たして幸せだったのじゃろうかのう。」
千恵は今日が母の四十九日であることを思い出しました。そして、これ以来、晴彦くんが学校に現れることはありませんでした。