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終わりの始まり―清兵衛、江戸へ―

「お師匠、これよりは岡本へ帰りまする。もうすっかり嫌われじじいでござるが、なかなか迎えが来ぬもので」

寛永十七年六月十六日、肥後人吉藩随一の実力者、相良清兵衛尉(せいべえのじょう)頼兄(よりえ)は亡き剣術の師匠にして兵法タイ捨流の始祖、丸目蔵人(まるめくらんど)の墓に静かに手を合わせていた。

「家中で拙者に逆らう者はおらぬようになりましたが、若き頃、お師匠に剣の稽古で扱かれたことが未だに懐かしゅうございまする」

かつて犬童軍七(いんどうぐんしち)と呼ばれていた若い頃、家老の息子として大切にされ、それなりに剣の腕に自信があった自分の鼻っ柱をへし折ったのが亡き丸目蔵人であった。生来の負けず嫌いであったかつての清兵衛は、それが悔しくて悔しくて、師匠を見返すために懸命に剣の稽古に励んだものである。

その師匠と弟子としての関係は清兵衛が家中で随一の権勢を持ってからも変わらず、蔵人といる時だけはかつての剣の弟子、犬童軍七に戻ることができた。

「清兵衛様、そろそろ岡本に戻りませぬと、日が暮れてしまいますぞ」

かつての思い出に浸っていた清兵衛を現実へと引き戻したのは、清兵衛の側近くに仕える犬童(いんどう)甚九郎である。主君たる人吉藩二代藩主、相良壱岐守頼尚でさえその顔色を伺う相良清兵衛にずけずけと物申し、清兵衛が信頼する数少ない家臣である。

「……いつまでこうして師の墓に参れるかもわからぬのだ、少しくらいよいではないか」

「お気持ちはわかりまするが、あまり遅くなりますと皆が心配いたしまする故。誰が何と言おうと清兵衛様は御家(おいえ)の要、清兵衛様に何かあっては大事でございまする」

「わかった、わかった。……わしを心配してくれるのはそなたらと人吉におる半兵衛たちだけじゃ。素直に言うことを聞くとするか」

清兵衛は苦笑し、待たせていた駕籠に乗り込んだ。若い頃より派手好みであった清兵衛の駕籠は、傍から見てもそれとわかるほど豪勢なものである。

――それではお師匠、また、いずれ。

清兵衛は心の中でそう呟き、駕籠の中から丸目蔵人の墓へ深々と頭を下げたのであった。

*****

宮原祐助(みやはらゆうすけ)、火急の用向きにて参上仕った。相良清兵衛様にお目通り願いたい」

江戸桜田屋敷にいるはずの人吉藩士、宮原祐助が球磨郡岡本の清兵衛屋敷を訪ねてきたのは清兵衛たちが丸目蔵人の墓所から戻って一刻も経たぬ、その日の夕暮れ時であった。

すぐに清兵衛の元へ通された宮原祐助はよほど急いできたのか、旅装も解かぬままで息も上がっている。

「そなた一人か。火急の用向きとはいかなることであろうか」

「犬童半之丞殿と二人で参ることとなっておりましたが、犬童殿が大坂あたりで病を得、この宮原が一人で参った次第でございまする」

家中の大概の侍がそうであるように、この宮原も慇懃無礼といったところで清兵衛に対する好意などは微塵もない。だがそれを悟られまいとする努力は薄々感じられる。

「ほう。まあ、よい。して、火急の用とは? 殿がここ数ヶ月、慌ただしく江戸と人吉を行き来されていることと何か関わりはあるのか?」

清兵衛の問いに、宮原は一呼吸置き、口を開いた。

「それとはまったく関わりなきこと。ご老中方がかつての椎葉山騒動の話を詳しく聞きたいとのことで、阿部四郎五郎様と渡辺図書助様より清兵衛様もそこにおられた方がよいであろうと推挙なされたとのことにございまする」

阿部四郎五郎と渡辺図書助は先代藩主、相良左兵衛佐(さひょうえのすけ)長毎(ながつね)の代から相良家と親しくしている幕臣で、特に阿部四郎五郎は長毎や清兵衛と共に椎葉山騒動の鎮圧に関わった人物でもある。その阿部四郎五郎からの推挙であれば、話はわからなくもない。だが。

――椎葉山での騒動は二十年以上も前のこと、何を今更。

長年の経験から、それを素直に信じる清兵衛ではない。確実に裏があると直感した。

若き現藩主、相良壱岐守頼尚とはそもそも折り合いが悪く、清兵衛の娘、亀鶴を頼尚に嫁がせてはいるが子は未だにいない。その頼尚は参勤交代は一年ごとと決まっているのに前年の十二月に江戸から人吉に帰ってきたかと思えば今年の三月には再び江戸へ向かうなどいかにも怪しい動きを見せている。

「阿部様と渡辺様のご推挙ならばいたしかたあるまい。なれど、それが火急の用とはいかにもおかしい。別に急ぐことではあるまい」

宮原の目が一瞬泳いだが、腹を決めたかのように清兵衛の目をしっかりと見つめた。

「公儀は、できる限り早く話を聞きたいとのこと。公儀の意に背くこととなれば、よくて国替え、悪くて御家御取り潰しになるやもしれませぬ」

――公儀の呼び出しなど建前に過ぎぬ。よほど殿は、この清兵衛を江戸へと引きずり出したいらしい。

正直なところ、頼尚が清兵衛のことを内心蛇蝎のごとく嫌っているのは知っているが、ここまで大事にするとは夢にも思わなかった。一歩間違えば、それこそ国替えか取り潰しの憂き目に遭うのは確実である。

――殿は、江戸でこの清兵衛を成敗なさるおつもりであろうな。

清兵衛はそっと目を閉じ、懐に手を当てる。そこには清兵衛が肌身離さず持ち歩いている、先代長毎の遺言状が仕舞われていた。

「……御家のためとあらば致し方ない。この清兵衛、喜んで江戸へと参ろう」

清兵衛は目を開き、大きく息を吐いてからそう答えた。

「ありがたきことにございまする。きっと殿も、お喜びくださいましょう。お仕度もあるとは思いまするが、どうにか五日の内には出立したきものでございまするな。」

宮原祐助は清兵衛の答えを聞いて、喜色満面といった様子である。

「五日の内か。(あい)わかった。そなたも、宿を探すよりはここに留まるのがよいであろう」

「ご配慮、かたじけのうございまする。では、お言葉に甘えて」

そう言って、宮原は深々と頭を下げた。

互いに肚の探り合いである。宮原は江戸の藩主に報告せんがため、滞在している間に清兵衛たちの動きを逐一見張るつもりであろうし、清兵衛としても宮原が怪しい動きをすれば捕らえて尋問することも辞さぬ覚悟である。

「では、今日のところはこれにて」

清兵衛は重苦しい心のまま、その場を跡にした。

*****

寛永十七年六月二十一日早朝、岡本を密かに発った宮原祐助を含む清兵衛一行五十余名は人吉盆地特有の濃い霧が立ち込める中、人吉城下に到着した。だが内密の旅であるが故に、人吉城の程近く、御下屋敷と呼ばれる清兵衛一族の広大な屋敷に立ち寄ることは出来なかった。

装飾は何一つなく、いつもの豪勢な駕籠とは比べ物にならないほどの地味な駕籠に乗った清兵衛は、道中、人吉城と球磨川が見える一画でしばし駕籠を降りた。

濃い霧の向こうには、これまで当たり前のように見てきた景色が広がっている。

清兵衛は、そこで深々と頭を下げた。

去り行く故郷へ、全ての思いを、共に乗せて。

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