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ダンスのレッスン、マナー教室、経営学の勉強をする日々を忙しく過ごしているとあっという間に一か月が経った。
エドワードはあのダンスレッスンの日以来姿を見ていない。
相変わらずよそよそしい侍女と、私を監視する兵士たちの視線はかなりストレスだった。
両親の安否は分からなかったが、元気に暮らしていると信じて私もエルシャとして品行方正に暮らしていた。
ここで学んでいるおかげでだいぶマナーも身についてきた。
所作はエルシャにも追いつてきたのではないかと思うぐらいだ。
扉を守る兵士の前を歩いていると、前からロスペール王が歩いてきた。
ロスペールの後ろには彼を守るように兵士が二人付いている。
あの日以来見かけるのは初めてだ。
会いたくもない人物なので廊下の端に寄って頭を下げてロスペールが通り過ぎるのを待つ。
「エルシャよ。だいぶ田舎臭さが抜けたな」
無視してくれていいのにわざわざ私の前で立ち止まり話しかけてきた。
仕方なく頭を下げたまま、お礼を言う。
「ありがとうございます。教えて下さる先生方のおかげです」
「これならルドル王も気に入るに違いない。結婚を早くするように話を勧めよう」
ありがとうございますなど死んでも言うものかと頭だけを下げる。
ロスペールはそれでも上機嫌だ。
「明日、ルドル王との謁見がある。結婚相手だ、お前と会う時間を作ろう。ルドル王に気に入られるように振舞え、さもないとお前の両親の命は無いからな」
頭を下げる私にロスペールは上機嫌のまま去って行った。
明日、ルドル王と会わせると言っていたような気がする。
私がエルシャではないとわかってもらえればいいが、余計なことをすると両親の命と私の命も危ないのかもしれない。
ため息を付いて、エルシャの部屋である私の部屋へと戻った。
翌朝、侍女たちはロスペールに言われたのだろう。私の準備を念入りに行った。
相変わらず無駄口は一切利かない。
私はされるがまま、化粧をしてもらい髪の毛も整えてもらう。
エドワードから貰った、薄赤色のドレスに身を包み鏡の中の自分を見つめた。
エドワードから貰ったドレスはすべてエルシャが着ていたものよりも大人っぽいデザインで、今私が着ているドレスも私を大人に見せている。
お化粧もいつもより大人っぽくされており、すこし背伸びした私が鏡の中に居た。
ロスペールとルドル王はすでに謁見をしているそうだ。
何を話しているのかは分からないが、もう少ししたら私はルドル王との面会の時間だ。
彼に気に入ってもらえるようにしなさいとロスペール王の命令だが、上手くできるだろうか。
ドアがノックされ、返事を待たずにドアを開けて顔を出したのは一か月振りに見るエドワードだった。
気怠い雰囲気を出しながら部屋に入ってくると私を見て薄っすらと口元に笑みを浮かべた。
「その色のドレス、似合っているね。大人っぽくてとてもいいよ」
「ありがとうお兄様。そしてお久しぶりね」
嫌味のつもりで言ったつもりだが、まだ彼は私にお兄様と呼ばれるが嫌らしい。
嫌そうな顔をしつつ私に手を差し伸べた。
「なに?」
まさか手を繋いでいくつもりなのだろうか。
首をかしげる私に、エドワードは再度右手を差し出す。
「兄妹仲良くルドル王と会おうかと思ってね。手を繋いでいこうよ」
「お兄様が同席してくれるのはうれしいけれど、さすがに手を繋いている兄妹は居ないと思うわよ。それともエルシャとは手を繋いで歩いていたの?」
普段の彼らの生活を知らない、幼い頃はものすごく仲がいい印象は無いが成長して変わったのだろうか。
私の言葉にエドワードは驚いて首を振った。
「まさか。エルシャとは近づくこともしなかったし、あっちは僕を嫌っていてあまり近づいてこなかったよ」
なぜ嫌っているのかは今は置いておいて、私は頷く。
「そうでしょう?ならば私たちが手を繋いでいるのは可笑しいと思うわ」
「・・・確かにそうだね。じゃ、腕を組むのはどうかな?普通のエスコートだよ」
身分の高い女性は男性にエスコートをされるものだとマナー教室で学んだ気がする。
私が頷くとエドワードは右腕を私に差し出したので遠慮がちに私は腕を組んだ。
こんな兄妹いるのだろうか、私は一人っ子なので兄との距離が分からない。
王室ならあるのだろうか。
これだけ美形な兄が居たならば常にくっついて離れないかもしれない。
幼少期の私がそうであったように。
エドワードは満足そうに私の顔を見た。
「僕は昔、留学してた頃にルドル王とは面識があってね。僕が居た方が会話が弾むだろうと叔父上の指示で同席するからよろしく」
「私がエルシャではないと何とか伝えられないの?」
このままでは結婚させられてしまう。
ルドル王に言えば何とかなるのではと思うが、エドワードは首を振った。
「無理だね。言っただろう。この城に居る人はすべて叔父上に繋がっている。余計なことを言えばすぐに告げ口されるよ。ルドル王とはエルシャとして会うんだ。いいね」
念を押すように言われて私は仕方なく頷いた。
エルシャとして生きていくしかないのだろうか。
絶望的な気分になっている私とは対照的になぜかエドワードの表情は明るい。
いつも無表情だが、彼が上機嫌かどうかは分かるようになっているようだ。
私がじっと彼の顔を見ていると、エドワードが首をかしげて私を見た。
「何?」
「エドワードのご機嫌がよろしいようで良かったなと思ったのよ」
嫌味で言ったつもりだったが彼は今まで見たこともない笑顔を浮かべて私を見ている。
今度は私が首をかしげる。
「何が嬉しいの?私嫌味を言ったつもりよ」
「いや・・・エドワードって僕の名前を呼んでくれたから。お兄様と言われるよりよっぽどいいね」
「はぁ?それは、私たちは兄妹ではないからでしょう?私がお兄様と呼ぶたびにエドワードは嫌な顔をしていたわ。エルシャ以外に言われるのが嫌なのでしょう」
私が言うとエドワードは目を見開いて驚いている。
彼にしては珍しい表情だ。
「エルシャ以外に呼ばれるのが嫌なんじゃなくて、君に呼ばれるのが嫌悪感がするっていうだけだよ」
「同じことでしょう」
エドワードは気づいていないが、妹が大好きなのよ。
妹以外にお兄様と呼ばれると嫌なのだろう。
私も彼の事を兄だとは思っていないし思えない。
「まぁいいや。ルドル王を待たせるわけにはいかないから急ごう」
エドワードはドアを開けた。
部屋から出れば私は、エルシャとして演じないといけない。
背筋を伸ばしてエドワードにエスコートされながら廊下を歩いた。
城の一室でルドル王と面会するのかと思ったがエドワードは裏庭へと向かう。
綺麗に整地された庭を抜け、大きな池の横に建っている白いガゼボへと向かった。
「今日はいい天気だからね。外でお茶をしながら話すのもいいだろう?」
隣を歩く私にちらりと視線をよこしてエドワードが言った。
「そうね、お兄様」
上手くやれるだろうかと緊張していると、あっという間にガゼボについてしまった。
中にはすでに男性が座っており私たちを見つけると立ち上がった。
「お待たせして申し訳ございません。ジェロード王」
エドワードが薄ら笑いを浮かべながら中に居た男性に軽く頭を下げたので私も習って膝を折って挨拶をした。
「気にするな。庭を見ていた。久しいな、エドワード」
中に居た男性は、40代だろうか、茶色い髪の毛は短く刈り上げており、体格も筋肉質でエドワードよりも一回り大きく見えた。
上半身だけ甲冑を身に着けて、剣を携帯している。
私を見る目が鋭く恐ろしくて思わずエドワードの背中に隠れると、男は声を上げて笑い出した。
「俺は、ルドル国王のジェロードというものだ。どうやら嫌われたらしいな」
失礼なことをしてしまったと慌てて挨拶をしようとするが、エドワードが私の肩を抱き寄せた。
「妹の、エルシャです。どうぞよろしくジェロード国王」
私が名乗る前にエドワードが私の自己紹介をしてしまったので慌てて膝を折って挨拶をした。
「なるほどな、エルシャ殿か」
上から下まで何度も私の体を見つめてジェロード王は納得したように頷いた。
不躾な視線に、エドワードがムッとしてジェロード王に鋭い視線を向ける。
「そんな目で妹を見ないでもらえますか?」
「エロい目で見ているわけではないだろう。ただ、ちゃんと成長した女性で安心したってところだな。
幼い雰囲気だったらどうしようかと思ったぞ」
「お二人は仲がいいんですか?」
砕けた雰囲気に、私が聞くと二人は首を振った。
「顔見知り程度だ」
二人同時に言うのでやはり仲がいいのではないかと思う。
侍女が用意してくれたお茶を飲みながら私たちは庭を眺めた。
季節の花が咲く庭は幼少期によくエドワードに遊んでもらった場所だ。
このガゼボも思い出の場所でもある。
「俺とエルシャ殿との結婚式の日取りが決まった。一か月後だ。ロスペール王はよほど急いでいるらしいな」
面白そうに言うジェロード王の言葉に私は不安と恐怖で手が震えた。
やはり私はエルシャとして前に座っている男と結婚する運命なのだろうか。
「叔父上の未来が明るいとは思えないが・・・。式はどこで行うことになりました?」
エドワードが聞くと、ジェロード王はニヤリと笑った。
「この城だ。城の中に教会があるらしいな」
「なるほど。少し大変ですが、僕も参加しましょう」
兄なのだから参加するのは当然だろう。
「俺の身内も多く参加するだろうな」
ジェロード王の言葉にエドワードは頷いた。
「それは叔父上も喜びますね。国同士の大きな結婚になるでしょうね」
一か月後、私はこの人に嫁ぐのか。
ジェロード王を見るが、どうしても彼と結婚する姿が想像できない。
彼を好きになることができるだろうか。
顔は悪くはないと思うが、心が全く動かない。
密かに私は息を吐いた。