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スーパー・ジャイアンツ  作者: 荒馬宗海
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sg15

唐突ですが、再開します。

平日のこんな時間に何人の人が興味をもって頂けるものかと思いますが、宜しくお願いします。



プロレス界における至高の存在、三冠統一チャンピオンとなった後、人民の声にも後押しされ、ジャイアント・パパは異種格闘技の世界に新たなる闘いの場を求めた。

異種格闘技間のマッチメイクにおいて、いつも問題となるのは、「どのようなルールで闘うか」ということだが、ジャイアントはこの点をまったく問題にしなかった。彼は要求した項目はただの一点、すなわち、「KO、あるいはギブアップによる完全決着」のみであり、あとは全て対戦相手の要求を容れた。こうこられては、対戦を申し込まれた側も、それが「我こそが世界最強」を自認するのであればなおさら、断りようがなかった。つまり、ジャイアント・パパの異種格闘技戦とは、対戦相手絶対有利のルール下で行われたのである。しかも、そのあらゆるカードが“世界最強決定戦”の謳い文句に違わぬビッグネームとの対戦ばかりであった。それでも、巨人は勝ち続けた。組み技系、打撃系を問わず、ここでも桁外れの実力を見せつけたのである。

こうして、ミスタープロレスは格闘技全体の頂点に君臨することとなった。が、このことは同時に目標の喪失を意味した。ジャイアント・パパ本人も薄々気がついていたことを、図らずも自らが証明することになってしまったからである。自分がいかに超越した強者であるかを。

ジャイアントが異種格闘技戦に乗り出した理由は、表面的には「世界最強を証明するため」ではあったが、実際には「本気で戦える相手に出会うため」であった。ルールのハンデを抱え込むことによって、「もしかしたら、プロレスの枠の外には自分を脅かす存在がいるのかもしれないのでは」と密かに期待していたのだ。明らかに不利な条件を自らから背負い込むことで、自身が敗北する可能性もは無論考えられた。もちろん、負けたくはなかったが、敗れることで、自分の未熟さを識り、今よりも強くなれるのならば、それで良いと思っていた。だが、実際は、彼の予想通りの現実しか“その向こう”にも待ち受けてはいなかったのである。

闘うべき相手、立つべき理由のなくなったリングで、自分が闘う意味があるのか? ジャイアントは自らに問うた。闘うわけを。自らの存在理由を。答えは、自分の内にある以上に自分の外にあった。リングの上にもあったが、それ以上にリングの外にあった。

「ボクはやっぱりプロレスが好きだ」

それが自分の中で再認識した答えだった。

そして、外に見出した答えは、その後の彼をある意味決定づけた。

「がんばって闘っているのは、ボクだけじゃないんだ。みんなが大切な人のために、愛する人のために闘っているんだ。それぞれがみんな、ボクとは違った、それぞれのやり方、それぞれのリングで。ボクは、そんなみんなが、物凄くいとおしい」

 確かに、この国の大戦後の復興は、あまりにも劇的で奇跡的ですらあったが、いまだに人民一般の生活は苦しいものだった。

「周りの人たち言うように、本当にボクの闘う姿が、みんなを励まし、勇気づけ、今を生きる力になっているのなら、ボクはもっともっとみんなのためになりたい」

 これ以降、ジャイアント・パパはファイティングスタイルを変えた。

名実ともに世界最強を謳われるまでのジャイアントのスタイルは、桁違いの攻撃力で、完膚なきまでに敵をねじ伏せるというもので、防御力を発揮する余地などなかった。だが、この日を境に、対戦相手の攻撃を真正面から受け止め、耐えに耐えた後、挑戦者を退けるというスタイルに一変させたのである。

全ては、突き抜けてしまった超越者として、“闘う理由”を突き詰めた結果だった。

ジャイアント・パパは、人民のために、対戦相手のために、そして、自分のために、限界以上の防御力を振り絞り、耐えて勝った。それは、対戦相手に対するプラクティスであり、人民に対する無言のメッセージであり、自身に対しては修練であった。

ジャイアントは挑戦者の必殺技を避けることなく喰らい、効力に比例して傷み、悶絶して見せた。対戦相手に自信を与え、百パーセント以上の実力を引き出し、成長を促すとともに、試合自体を盛り上げるために。だが、決して負けることはなかった。最後の最後には、対峙したものには、上には上がいることを認識させるだけの実力を見せつけ、見守るものには、愚直なまでに同じ言葉を、自らの肉体によって語りきった。「どんな困難にも耐え、屈することなく立ち向かえば、必ず最後には勝利出来る」と。

“耐えて勝つ”。後に盛況を呈する、ヤクザ映画と呼ばれる一連の作品群に登場する主役たちの姿に他ならないが、実は、彼らはリング上のジャイアントを模倣したに過ぎないのである。

こうして、ジャイアントは、人民にこれまで以上の感動を与えるとともに、それまでまったく無縁だった“致命的ダメージ”というものを体に蓄積していくことになった。ジャイアント・パパの本人の意図しない、どころか望まない神格化と、ゼニニッポンプロレスの宗教団体化の嚆矢も、実は、ここに求めることが出来るのである。



ではまた次回。

もう長期休暇はありません。多分。

ちゃんと終わりまで行きます。

宜しくお願いします。

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