虐げられた公爵夫人は、醜悪公の真実を暴き出す
ドアマットヒロインに挑戦しようと思ったら思うだけだった。
丸い月を流れの速い雲が幾度も隠した。
その下、鬱蒼とした夜の森を駆ける三騎の姿があった。やがて森を抜けた彼らの前に、そびえ立つ巨大な城があった。帝国内最大の門閥貴族であり、その醜い容貌と冷酷さから『醜悪公』と呼ばれる公爵の居城である。
三騎のうち最年長の男が発言した。
「奴がいるのは間違いないだろうな」
彼の右後方に控える青年が答えた。
「はい、父上。密偵が確認しております」
その隣の年下の青年が不安そうに言った。
「フェリシアは無事でしょうか」
左目に眼帯をした男性は城を睨み、憎々しげに言った。
「奴にあのようなおぞましい嗜虐趣味があると知っていれば、たとえ陛下の命令であってもフェリシアを嫁がせたりはしなかったものを…」
帝国の国防を担う辺境伯親子は静かに怒りをたぎらせ、愛する者の救出のため、さらに馬を走らせた。
醜悪公の居城、最奥にある建物の屋根裏部屋の扉を一人の侍女が用心深く開いた。彼女は小声で主人に呼びかけた。
「奥様、ご実家から緊急連絡です」
窓際で空を見ていた公爵夫人は渡された紙片を開き、短い伝文を読んだ。
「お父様とお兄様たちが来られるようよ」
「では、遂に…」
絶句する侍女に頷き、フェリシアは窓越しの月を見上げた。
夜中の突然の来訪者に、城の使用人たちは右往左往していた。彼らを嘆かわしげに家令がたしなめた。
「見苦しく走り回るのは止めなさい。客間の用意は?」
「はい、すぐに」
「公爵様は?」
「間もなくこちらに」
呼吸を整え、家令は広間に赴いた。そこでは到着した辺境伯親子が城主を待ち構えていた。
「ようこそお越しを、辺境伯閣下」
丁寧な挨拶にも隻眼の辺境伯は無言で頷くのみだった。静かに怒りを充満させる彼の背後で長男が尋ねた。
「公爵は?」
「間もなくお見えになるかと」
その声が合図であったかのように扉が開き、『醜悪公』と名高い公爵が姿を現した。その名の通り短軀の不気味な姿を、辺境伯は片方だけの青い目で睥睨した。
「結婚式以来か、婿殿」
「ご無沙汰しております、義父上」
しゃがれた声の挨拶も耳の汚れとばかりに、辺境伯は来訪の目的を切り出した。
「今日はフェリシアを引き取りに来た」
「妻を? 何故でしょうか」
音を立てて剣先で床を叩き、辺境伯は殺意をみなぎらせた。二人の息子も父の両脇で戦闘態勢に入っている。
広間の隅に集まった使用人たちがおろおろしながら彼らを見守った。
迫力のある重低音で辺境伯が詰問した。
「ご存じかな、婿殿。帝国内で盛んに囁かれている噂を」
「噂とは…」
「どこぞの公爵閣下は新妻が気に入らず、屋根裏に閉じ込め、衣装を奪い、食事も与えずに下働きをさせているようだな」
公爵は明らかな挙動不審に陥った。
「そ、それは…、義父上、私にはそのような趣味など」
「黙れ!」
広間が震えるほどの声量で怒鳴ると、辺境伯は懐から出した紙を突きつけた。
「貴様がこれらの口にするのもはばかられるような書籍を帝国通販で大量購入した証拠があるのだぞ!」
そこには『い・ぢ・め・て♥ ダーリン』全六巻を始めとする、タイトル音読だけで軽く死ねそうな書名が羅列されていた。公爵は青ざめた。義理の息子にずいと近寄り見下ろして、辺境伯は宣言した。
「そこまで我が娘を嫌悪するならフェリシアは連れて帰る。異存はなかろうな」
ぶるぶる震えながら、それでも公爵は踏みとどまろうとした。
一触即発の中、鈴を転がすような可憐な声が広間に流れた。
「お父様…」
「おお、フェリシア! 可哀想にこんなに窶れ…て?」
辺境伯の言葉は語尾が不自然に跳ね上がったまま途切れた。彼の目の前にいる公爵夫人は、金糸の髪と湖色の瞳を持ち「辺境の妖精」と謳われた辺境伯令嬢時代と何も変わっていなかった。
彼の背後から長男が耳打ちした。
「父上。普通に健康そうに見えるのですが」
「いや、我々の来訪を察知してのブロイラーの結果かも」
次男が異論を唱えると、辺境伯は唸った。
「うーぬ、何と姑息な…」
そして、取りあえず愛娘に状況確認をした。
「フェリシア、父と兄はお前がこの醜悪公に惨たらしく虐げられていると聞き、急ぎ駆けつけたのだぞ」
「……ああ、そうですね…」
首をかしげる姿も可憐な公爵夫人は、ちらりと夫を見た。辺境伯の眉間に深い皺が刻まれ、彼は娘に説明を促した。
「怖がることはないから教えてくれ。屋根裏に閉じ込められているというのは本当か?」
「そうですわね、初日に『お前にはここで充分だ』と言われて屋根裏に入れられた時は驚きましたけど、翌日にはリフォームされて、冷暖房完備で高級家具付きのインペリアル・スイートになっていましたわ」
しばしの沈黙の後、やや混乱する父親は次の事項を持ち出した。
「では、食事も与えられないというのは」
「確かに正餐室に行くとお前に食べさせるものはないと言われました。屋根裏に戻るとフルコースが用意してありましたけど」
「で、では服を捨てられたのは」
「はい、こんな物お前には必要ないと持ち込んだ服を捨てられました。翌日には帝都の最新流行のドレスでクローゼットが満杯でした」
確かに、彼女が着ているのは瞳と同じ色の豪華なドレスだ。頭痛を堪える表情で、辺境伯はやけ気味に質問を続けた。
「それでは、下働きをさせられているというのは…」
「こき使ってやると言われましたので掃除でもしようかと思ったのですけど、『お前に絞らせる雑巾はない』と掃除用具を取り上げられて、刺繍針と刺繍糸しか持たせてもらえませんでした」
大きな溜め息をつき、辺境伯は振り向くと公爵の両肩をがしりと掴んだ。
「さて、聞かせてもらおうか、婿殿。貴公は何故にそのような至れり尽くせりの虐待に走ったのだ」
詰め寄られて顔を引きつらせながら、公爵は必死で答えた。
「その……、私の性格が外見以上に酷ければ、妻はこの顔をあまり気にしなくなるかと…」
「いや、平均点下げてどーすんだよ」
使用人の一人がぼそりと呟き、頷きのウェーブが周囲に広がった。
辺境伯は大型ネズミ取りに掛かったイボイノシシを見るような目で問いただした。
「それで、あのような本を」
「虐待のやり方が分からなくて研究しようと思って……、でも、叩くとか食事をさせないとか、可哀想で出来なくて…」
『…ヘタレ』
『ヘタレ』
『ヘタレだ』
使用人たちの心の声は輪唱状態だった。
金髪の公爵夫人は父と兄たちを見上げて呆れ声を出した。
「これで納得されましたか? 噂を鵜呑みにして無駄足でしたわね」
「いや、『醜悪公』が泣く子もひきつけを起こす魁偉と邪智暴虐の者であることは周知の事実だぞ」
父の言葉に息子たちも同意した。
「知っているだろう、帝国内では上は皇家の姫君から下は小金持ちの平民娘まで、醜悪公との縁談をほのめかされただけで修道院に駆け込んでしまったのだ」
「おかげで帝国の尼僧院はいずれもキャパオーバーという有様だ」
そうだそうだと辺境伯親子は大人げなく頷き合った。帝国きっての美形一族に貶された公爵は俯いてしまっている。
突然、辺境伯と息子たちの顔のすぐ横に三条の光が走った。彼らの頭髪が数本ぱらりと床に落ちる。前を向けば、据わった目のフェリシアが華奢な指にダガーを挟んでいた。辺境伯は口元を歪めた。
「ふっ、腕を上げたな、フェリシア」
「どんな教育してんだよ、辺境伯」
「あのナイフ、大理石の柱にぶっ刺さってっぞ」
「何の材質だよ、オリハルコンか?」
使用人たちはざわついた。
おののく外野には目もくれず、公爵夫人は低い声で糾弾した。
「……お父様も、お兄様たちも黙って聞いていれば、不細工だの醜男だの、顔面偏差値帝国最低だの、失礼にもほどがありましてよ!」
『言ってない、誰もそこまで言ってない』
使用人たちは無意識のうちに意思統一を成し遂げていた。
素早くダガーを仕舞うと、フェリシアは公爵の顔を両手で挟み、父と兄に見せつけた。
「ご覧になって! この中心から距離を取った控えめでつぶらなお目々、顔の端から端まで踏ん張っている健気なお口、あるか無しかの謙虚なお鼻、上下から圧縮したような慎ましい体型に微笑ましいガニ股……完璧ですわ!」
陶然しながら力説する公爵夫人に、辺境伯親子は囁き合った。
「フェリシアは本気なのか?」
「そう言えば、あの子が昔から小動物に目もくれず夢中になっていたのは…」
「…は虫類に両生類に深海魚」
彼らは公爵を振り向き、擬人化したオオサンショウウオのような姿をまじまじと凝視し愕然とした。
「…何と言うことだ、超どストライクではないか」
「これは、一応人類にカテゴライズしていたため見誤ったかと…」
「見解を変える必要があるのでは」
フェリシアが聞けばダガー第二波待ったなしだが、本人は幸せそうに夫の顔を撫で回していたため気づきもしなかった。甘い声で公爵に囁きかける。
「屋根裏部屋も面白かったですけど、そろそろ夫婦の部屋に移りますわね」
「……あの、フェリシア。君は私のこの姿が嫌ではないのか?」
「どうしてですか?」
「私は、その……これまでご婦人に好かれたためしがないのだ」
「それは幸運でしたわ。あなたを他の人に持って行かれるなんて我慢なりませんもの。安心なさって、権力に惹かれて飛んでくる羽虫は私が全て駆除しますから。でも、あなたが少しでもよそ見なんかなさったら私、衝撃のあまりどんな行動に出てしまうか分かりませんことよ、うふふ」
あ、これ絶対、奥様の方がヤバイ奴だと使用人たちは半歩後ずさり、辺境伯親子は放置一択で意見の一致を見た。
どうなることかと思われた辺境伯一行の乱入はこうして平和的な手打ちとなり、彼らはどこか中途半端な笑顔でドンマイ!と親指を立てて去って行った。
公爵夫人は上機嫌で夫と腕を組んで広間を出て行った。
「もちろん、夫婦の寝室は一緒ですわよね。今夜は寝かせませんわよ」
可愛いんだか物騒なんだか分からない会話に耳を塞ぎ、使用人たちは各自の持ち場に戻り仕事に励んだ。
深い森の奥にあるお城で、醜悪公は結構幸せな新婚生活を送るのだった。
まあ、よかったねで終わるだけの話です。あと、ハンザキくん(オオサンショウウオ)は可愛いです。指に爪も吸盤もないせいで大雨ですぐ流されてしまう所とか。