008 『外出許可が出ない』
「どうして、わたくしにだけ外出許可がおりませんの⁉︎」
いつもの放課後、いつもの生徒会室、そして若王子市子。
生徒会室にずっといることが多いので、どうしても季節感が感じられずに忘れてしまいがちなのだけれど、明日からゴールデンウィークである。
なので、今のうちに仕事をしておきたかったのだけれど––––市子のバカはそれを阻む気満々らしい。
まあ、今日は井斉先輩もいる事だし、黙っていれば井斉先輩が市子の話し相手くらいになってくれるだろう。
そして、その目論見は当たった。
「なんだ、若王子、ゴールデンウィークにどこか行きたいのか?」
「そうですわ! ですが外出許可がおりませんの!」
萌舞恵女学院は、全寮制の女子校である。なので、学外に出る際には教員、もしくは寮長先生の許可が必要だ。
「鳳さんに頼めばいいだろ?」
「それが、ダメって言われましたの!」
「はぁ? 何でだよ?」
市子は軽く咳払いをしてから、モノマネをするような口調で話し出した。
「『ごっめーんっ、いっちーはさぁ、前回の小テストで赤点だったしょー? それで補習だからさー、外出許可とか出せないんだよねぇ』って言われましたわ」
「あぁ、若王子はバカ王子だもんな」
「えっへんですわ!」
「いや、褒めてねーし、あと胸揺らすな」
「あ、今日ノーブラですの」
「なんでだよ!」
「……えっと、閑話休題ですわ!」
「若王子のくせに難しい言葉知ってるな」
「音羽ちゃんに教わりましたわ」
「意味もちゃんと分かってるのか?」
「それはさておき」
「合ってるな、うん」
「話を戻しますわね。えっと、補習といいましても、一日中というわけでもないですし、少しくらいは大丈夫だと思うんですが……」
「そりゃ、あれだ日頃の行いが悪いからだ」
「わたくしは、品性方向、無事息災ですわ!」
「若王子は品性方向じゃないし、無事息災なのは関係ないだろ」
「正直、今言った四文字熟語の意味はあんまり分かりませんわ!」
「お前と会話するの難易度高すぎるわ!」
井斉先輩がため息をつきながら、こちらに「助けて」と視線を送ってきた。仕方ない。
「市子、こっちにいらっしゃい」
市子は、まるでフリスビーを目にした子犬のようにこちらにかけてきた。
「なんですの、音羽ちゃん!」
「一回だけ、アルプス一万尺をやってあげるから、大人しくしていてね」
「わたくしは、小学生ではありませんわよ!」
「はい、じゃあ行くわよ」
私が両手を合わせると、何だかんだ言って市子も手を合わせた。「せーの」の掛け声で、始める。
『アルプス一万尺、小槍の上で、アルペン踊りを、さぁ、踊りましょ、ランラ、ラン、ラン、ラン、ラン、ランラ、ラン、ラン、ラン––––』
「お前らちょっと、アルプス一万尺速すぎねぇ⁉︎」
市子とアルプス一万尺に興じていると、なぜか井斉先輩が驚いた顔で声をあげた。
「別に普通ですわよ」
「そうよ、普通よ」
「もっと速く出来ますわよ」
「プロかよ! お前らアルプス一万尺のプロかよ!」
私と市子は、井斉先輩が何に対して驚いているか分からずに、顔を見合わせた。
「井斉先輩、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねーよ! 速すぎるんだよ、手の動きが! 見えねーよ! 若王子なんか、胸揺れまくりだよ!」
市子の胸が揺れてたのは確かだが、私はそのことは無視する。
「糺ノ森先輩は、もっと速いですよ。私でも着いていくのがやっとです」
「なんで、みたらの奴までアルプス一万尺やってんだよ……」
「というか、みんなやりませんか?」
「いや、やっている人がいるのは知ってるし、私も小学生の頃はやった覚えがあるが、ここは高校だぞ、やらないだろ、普通!」
市子も不思議そうな表情で首を傾げた。
「アルプス一万尺、ホイスト、ピクショナリーは萌舞恵三大ゲームとして、昔から親しまれてきたものですわよ」
「すまん、アルプス一万尺しか分からない」
井斉先輩は「だめだ、こいつらには付き合いきれん」と再びため息を付きながら、今日もどこからか貰ってきたであろうお菓子を口にした。
「雲母坂も食べるか?」
「要らないですよ」
「じゃあ、若王子は?」
「いりま……せんわ」
なんだか、市子にしては歯切れの悪い返答だった。それに、市子がお菓子を要らないなんて言うのも珍しい。
まあ、ダイエット中とかだろう。って、こんな予想をしている場合じゃない。仕事、仕事。
私は資料を引き出しから出して、再び仕事に取り掛かろうとしたが––––市子はそれを許さなかった。
「おーとーはーちゃーんっ」
「……何よ」
「何かお忘れではありませんか?」
もちろん覚えてはいるが、私はシラを切る。
「あぁ、そういえばゴールデンウィーク中に井斉先輩は帰省する予定でしたよね」
市子はムッとした表情を浮かべたのに対して、話をふられた井斉先輩は「そうだ」と頷いた。
「若王子は補習があるからともかく、雲母坂は帰らないのか?」
私は積んである書類を一枚取って、振ってみせた。
「仕事があるので」
「ほっときゃあ、いいのに」
「そうもいきませんよ。それに、私は実家が田舎なので、帰るのに半日くらいかかるんですよ」
「そういえば、言ってたな。広島だったか?」
「新幹線に四時間くらい乗って、その後乗り換えて、駅から車で三十分くらいですね」
「うわぁ、私ならそれ一生こっちにいそうなやつだ」
「私も帰るのは、ちょっと億劫です」
私が田舎から都会にあるこの萌舞恵女学院に来たのは、別に田舎が嫌いだったとか、都会の暮らしに憧れていたとか、そういう理由ではない。
おばあちゃんが、「萌舞恵に行きなさい」と言って聞かないから、そうしただけに過ぎない。
私のおばあちゃんは、とても優しくて、私のことにとやかく口出しをする人ではないのだけれど、進学先だけは絶対に譲らない様子だった。
私も、別におばあちゃんに逆らう気は無かったし、元々おばあちゃんっ子でもあったので、素直にそれを聞いて、中学からこの萌舞恵女学院に進学した。
ちなみに市子とは、第二女子寮を探して迷っている時に出会った(萌舞恵の敷地はちょっと広すぎる)。
市子の第一印象としては、丁寧な言葉使い、気品溢れる立ち姿が印象的な、見るからにお嬢様という感じだったのだけれど––––すぐに中身がおバカだと分かった。
私は心の中で、このことを『第一印象詐欺』と呼んでいる。
「おーとーはーちゃーんっ」
「うるさい、第一印象詐欺」
「急にどうしましたの⁉︎」
仕方ない……まあ、今日もちょっとだけ、本当はしたくないし、やりたくもないのだけれど、少しだけ市子に付き合ってあげることにした。
「それで、何だったかしら……あぁ、そうそう。『外出許可が貰えない』だったわね」
「そうなんですの!」
これは理由はともかく、すぐに解決出来る。とても簡単に。
「じゃあ、私が一緒に頼んであげるわ」
「構いませんの?」
「生徒会長である私が、『私も一緒に行きます』と言えば全く問題ないでしょ」
これで解決––––と思いきや、市子は途端に浮かない表情を見せた。
「それは……ダメですわ」
「どうしてよ、まさか私が一緒だと嫌なの?」
「あっ、いえ……嫌というわけではないのですが……」
私は井斉先輩とアイコンタクトを取る。井斉先輩も私と同じことを考えているようだ。
「……若王子、何か隠してるな?」
「そ、そそそんにゃことありませんわ!」
「そんにゃことないってさ」
井斉先輩は、ニタリと笑う。うん、明らかに怪しい。
「ねぇ、どこに行って何をするつもりなの?」
私が問いただしても、市子は小さな声で「買い物……」と答えるだけだった。間違いなく、何かある。
「どこで、何を買うつもりなの?」
「……それは、内緒ですわ」
怪し過ぎる。これで怪しむなって方が難しい。
仕方ない、少し強めに聞くしかない。もちろん、それは市子のプライベートを暴くためではなく、萌舞恵女学院の生徒会長としてだ。
「はっきり言うけど、生徒会長として、詳細の分からない外出を許可することは出来ないわよ。もちろん、プライベートなことにまで首を突っ込むつもりはないけれど、私とあなたは長い付き合いなのよ? それでも言えないの?」
「い、言えませんわ」
意外であった。市子からこんなにも強い拒絶は始めてだった。
いつも、「音羽ちゃん、一緒にお風呂に入りましょう!」だとか、「音羽ちゃん、今日は一緒に寝ましょう!」と言われてきた身としては、市子の反応は、予想外の返答であった。
「なんで言えないのよ」
なるべく穏やかに言ったつもりだけれど、市子は少しビクっと身じろぎした。
しかし、何かを決意したのか、市子はこちらを気遣うように、
「その、音羽ちゃんのためですの」
と、口をもごもごと動かした。
「いや、私のためを思うなら言いなさいよ」
「きっと、その……後悔することになりますわ」
『後悔』とは変なワードのチョイスだ。普通、こういう場面では使用しないと思われる。言い間違いや、先程の四文字熟語と同様に意味を間違って使用した可能性もあるが、そんなことまで疑ってしまうと、市子の言っていること全てを疑わなくてはいけなくなる。
後悔、後悔すること……聞いたら後悔すること。
私が考えをまとめるていると、今までは私と市子のやり取りを注意深く見守っていただけの井斉先輩が、このタイミングで口を出してきた。
「その買い物ってのは、私や、司が一緒に行っても大丈夫なものなのか?」
「えっと、大丈夫だと思いますわ」
井斉先輩はニヤリと、「だってよ」とこちらに笑いかけた。
一体、どういうこと⁉︎ 何故私がダメで、井斉先輩と司くんは大丈夫なの?
……落ち着きなさい、雲母坂音羽。大丈夫、何か理由があるはず。考えれば分かる。
まず、こういう場合に一番最初に思い浮かべられるのは、私が誕生日とかで、市子がそのプレゼントをこっそり買いに行くパターンだ。『後悔』というワードにも該当する。
でもこれはあり得ない。私の誕生日は、十二月二十五日。クリスマス当日。まだまだ先である。
他に思い浮かぶのは、市子が私のものを勝手に壊したり、使ったりして、紛失した場合だ。
でも、これは市子が先程言った『後悔』というワードに該当しない。後悔というよりも、懺悔って感じだ。
分からない。全く分からない。
私は考えを一旦リセットする為に、席を立ち、コーヒーを淹れる。
コーヒーの香りが生徒会室に広がり、少しだけ落ち着いた気もする。
私は、淹れたコーヒーを一口飲んでから––––椅子に座り、もう一度考える。
私だけが、買い物に着いて来られると困る。そして、着いてこられるのは嫌ではないが、私は後悔することになる。
私は市子をもう一度見る。すると、市子は何故か胸を押さえた。
「何やってるのよ」
「あ、いえ……今日はブラをしていませんので」
「……ブラをしてない?」
その言葉がキッカケとなり、私は正解にたどり着いた。
分かりたくもなくて、知りたくもなくて、知ると後悔する答え。
それは––––
「……市子、ブラを買いに行くのね」
私がそう尋ねると、市子はコクンと頷いた。
そして、遠慮気味に話し始めた。
「最初は太っただけなのかなと思っていたのですが、どうやら違うようでもありまして……もちろん、体重が少しだけ増えましたので、太ったことにはなるとは思うのですけど……」
井斉先輩も意味が分かったようで、「ははん」と笑った。
「若王子、さてはまた胸がデカくなったのか?」
市子はこちらを見てから、再びコクンと頷いた。
「その、持っているブラのいくつかが、小さくなったり、ワイヤーが切れてしまったりしまして……」
「ワイヤーが切れたですって⁉︎」
ワイヤーって切れるものなの? あれって、切れるの⁉︎
私は市子の胸をまじまじと見つめる。うん、キレそう。二重の意味で。
「この半年は、六つのブラでローテーションしようと思ってたのですが、昨日全滅してしまいまして……」
市子は、いつも違う柄のブラを着けているなーとは思っていたけれど、それがまさか、着られなくなったから、違うものになっていたとは思わなかった。
「それでその、糺ノ森先輩に相談したのですが、オーダーメイドのブラというものがありまして……その、頻繁に切れるようなら、自分に合ったものを付けた方がいいと、勧められましたわ」
「あぁ、みたらのやつも若王子には負けるが、そこそこ大きいからな。なるほどなぁ、それで雲母坂には言えなかったってわけか」
私は自身の胸を見る。胸と呼んでもいいのか、分からない胸を見る。
市子の言う通りの結果になった。私はとても後悔している。市子に聞いてしまったことを。だから、市子は私には内緒にしようとしていたのだろう。
市子はそんな私を気遣って、
「そ、そういえば行こうと思っているオーダーメイドブラを扱っているお店では、サイズアップのブラの種類も豊富ですわよ! 音羽ちゃん、一緒に行きましょう!」
と言ってはくれたけれど、当分の間立ち直れそうにはない。
*
後日、第二女子寮、私の部屋にて、私は市子に向かって胸を張って言った。
「見て、市子! 谷間があるわ!」
「……よかったですわね」
「こんないいブラがあるなら、最初から教えなさいよ!」
「き、気に入って貰えたようでよかったですわ」
「これは間違いなく、Cカップくらいに見えると思わない?」
「そうですわね、見えると思いますわ」
「そういえば、市子は今まで聞かなかったのだけれど、何カップなの? アンダーが65なのは知ってるけど」
「どうしてカップ数は知りませんのに、アンダーは知っていますの⁉︎」
「私の部屋に泊まるのはいいけど、ちゃんと私物は持って帰りなさい。ブラを置きっ放しにするからよ。ちらっとアンダーだけ見えたの。カップ数まで見ちゃうと、後悔することになりそうだったから、見なかったけど、今ならイケる気がするわ」
「本当に大丈夫ですの?」
「大丈夫よ」
「後悔しても知りませんわよ?」
「しない、しない」
「じゃあ、教えますわね」
「いつでも来なさい」
私は「大丈夫」と自分に言い聞かせた。今の私には谷間がある。しかもCカップ相当だ(擬似だけど)。もちろんそれでも、市子との差は歴然だけれど––––そんなに離されてはいないと思う。
だから、大丈夫なはず……。
「Iですわ」
「……萎めばいいのに」
それからしばらくの間、私は市子の胸を見るたびに『後悔』という二文字を思い浮かべる羽目になった。