007『プリン消失事件』
「プリンがありませんわ!」
いつもの放課後、いつもの生徒会室、そして若王子市子。
「そんなわけないでしょ、私はちゃんと料理部の子が、冷蔵庫に入れたのをこの目で見たもの」
ことの発端を話すには、一時間ほど時を遡る必要がある。
一時間前、私は一人で生徒会室で仕事をしていた。いつもなら、市子も一緒に居るのだけれど––––その日の市子は、補習を受けていたため(小テストの結果が壊滅的だったらしい)、居なかった。
そこへ料理部の女生徒が差し入れを持って来てくれた。
内容は、プリン二つと、コーヒーゼリー二つ。プリンは底にカラメルのある普通のやつで、コーヒーゼリーは上にミルクのかかっているものだった。どうやら、生徒会メンバー全員分作ってきてくれたらしい。
四月の下旬に入ったばかりだというのに、今日はとても暑い。なので、冷たいデザートの差し入れは正直とても嬉しい。
だけど今日は、井斉先輩と、司くんからは、『来れない』と連絡を受けていた。
なので、私はそのことを話し「プリンとコーヒーゼリーを一つずつ貰うわ」と言ったのだけれど、料理部の子は「それなら、プリンとコーヒーゼリー両方食べてください!」と、勧めてきた。
まあ、せっかく作ってくれたのだからと、私はその申し出に甘えさせてもらうことにした。
料理部の子は、一つずつとは言ってはいるものの、どうせ市子のことだから、
「わたくしはプリン二つがいいですわ!」
という希望を口にするのは見え見えのため、とりあえず、私はコーヒーゼリーを一つデスクに置いてもらい(ちょうど、仕事の手が離せなかったからだ)、残りのプリン二つと、コーヒーゼリーは、料理部の子に冷蔵庫にしまってもらった。
この生徒会室には、戸棚の奥に冷蔵庫と冷凍庫があり、時々こうやって利用している(主に、市子と井斉先輩のおやつ入れとして)。
戸棚の奥にしまっている理由としては、生徒会室にそういうのがあったら他の生徒に示しが付かないと私が判断したからなのだかれど、料理部の子は生徒会室に冷蔵庫があるのを知っている。
さて、それはなぜでしょう?
ヒントは、そうね……この二つは元々料理部にあった––––って、これはヒントじゃなくて答えね。
というわけで、回答は今述べた通り––––冷蔵庫、ならびに冷凍庫は、料理部から貰ったものなので、料理部の子は大体知っているというわけだ。
まあ、それはさておき。
その後、私は仕事をひと段落つけてから、デスクに置いてもらったコーヒーゼリーを食べた(物凄く美味しかった)。
なので、冷蔵庫の中にはプリン二つと、コーヒーゼリーが一つ入っていなくてはおかしい。
しかし、
「ほら、見てくださいな! ありませんわよ!」
ないらしい。
私は溜息をついてから、冷蔵庫の中を見てみた。
「……本当に無いわ」
市子は「だから、そう言いましたわよ!」と目で訴えてくる。
しかも、プリンが無いだけならまだしも、コーヒーゼリーまでもない。
冷蔵庫に入っているはずの三つの容器が、そっくりそのまま消えている。
市子は怪しむような視線を、こちらに向けた。
「おーとーはーちゃーん?」
「違うわよ」
「プリンは美味しかったですか?」
「コーヒーゼリーは美味しかったけれど、プリンは食べてないから分からないわよ」
私は本当に、コーヒーゼリーを一つしか食べてない。そもそも食べたとしても、料理部の子に「後で容器を返してください」と言われているので、容器ごとないのはどう考えてもおかしい。
そして、この部屋には、市子が来るまで誰も立ち入ってないし、私が部屋を空けることもなかった。
つまり、これは『密室プリン消失事件』と言っても過言ではない。
「音羽ちゃん、わたくし怒りませんから、白状してくださいな!」
市子の疑いの目は、相変わらず私に向いている。
「食べたとしても、『後で容器を返してください』と言われてるから、空の容器が無いとおかしいでしょ」
「音羽ちゃんが隠したとか」
「だから、食べてないって言ってるでしょ。それに隠す理由もない」
「食べたのを隠蔽工作していますわね!」
「してない」
市子はここで、私の口元を注視する。だけど、プリンなんて付いているわけがない。コーヒーゼリーは付いてるかもしれないけど。
「音羽ちゃん」
「何よ」
「キスをしましょう」
「何でよ!」
「キスをして、プリンを食べたかどうか調べますわ!」
「そんなことしても、コーヒーゼリーの味しかしないわよ!」
「いえ、こうなったら徹底的に調べますわ! もう、キスではなく、ベロチューで口の中まで念入りに––––」
「いい加減にしないと、市子が中等部の頃に右手に包帯巻いたり、左目に眼帯付けてた話をみんなにしちゃうわよ」
「それは絶対に秘密と約束したではありませんか!」
「なら、少し大人しくしてなさい。私は、プリンを探すから」
私は、市子の戯言を無視して考える。誰かが入って来たという覚えはないし、気が付かないというのもあり得ない。
私の座っていた場所からは、この部屋に一つしかない入り口が見える。しかも、最近立て付けが悪いのか、扉を開くとキィーと音がするので絶対に気が付く。
窓からの侵入はもっとあり得ない。ここは四階だ。
料理部の子が、冷蔵庫に入れないで持ち帰った––––なんてのもあり得ない。先程も言ったが、私は彼女が冷蔵庫にプリンをしまうのをこの目で見ている。
……となると、考えられる可能性は一つ。
私は、席を立ち、冷蔵庫ではなく、電源の入ってない冷凍庫の方を開いた。
中には案の定、カップが三つ入っていた。
「ほら、あったわよ」
「本当ですわ!」
「きっと、冷蔵庫と冷凍庫を間違えちゃったのね。この二つは見た目も似てるし、別々の戸棚に入ってるから」
私は「戸棚の奥に冷蔵庫があるから、そこに入れてもらえる?」とお願いした。多分、料理部の子は冷凍庫の方の扉を開いて、そっちに間違えて入れてしまったのだろう。私も遠くからだったので、入れたのは見えたけど、そこまでは見えなかったので、その間違いを指摘出来なかった。
これで、問題解決––––と思いきや、
「音羽ちゃん! プリンがありませんわ!」
と市子が、再び先程と同じセリフで騒ぎだした。
「いや、冷凍庫の中に入っているじゃない」
市子は「見てくださいな」と三つの容器を取り出した。
そこにある容器の中身は、三つともコーヒーゼリーだった。
「……そんな、ありえないわ。確かに見せてもらった時には、プリン二つと、コーヒーゼリー二つだったわよ」
「見間違いではありませんの?」
「間違えるわけないじゃない、色が違うでしょ」
プリンとコーヒーゼリーが入っている容器は白っぽいセトモノ製であり、横からは色合いが見えないが、上からはっきりとその色の違いを確認している。
プリンは卵の黄色味を帯びた色で、コーヒーゼリーはミルクがかかっていたため、白だ。
まあ、今は冷凍庫の電源が入っておらず一時間近く常温で放置してしまったため、ゼラチンが少し溶けて、コーヒーゼリーとミルクが混ざり、茶色っぽい色になってしまってはいるが。
とりあえず、このままでは、全部溶けてしまうため、私は三つのコーヒーゼリーを冷蔵庫にしまった。
「音羽ちゃん、いったいこれはどういうことですの?」
「……全く分からないわ」
「いとおかしですわ!」
「なんで急に室町るのよ」
「音羽ちゃん、『いとおかし』は平安時代の言葉だったと思うのですが……」
し、ししししまった、私としたことがプリンが無くなってコーヒーゼリーが三つになっているといういとおかしな時代……じゃなくて、事態に気が動転して、間違った知識を教えてしまった。
普段から市子に対して、おバカ、おバカと言っている手前、こんな失態を認めるわけにはいかない!
なんとか誤魔化さないと……!
「た、確かに『いとおかし』という単語は、平安時代を代表する小説、『枕草子』によく出てくる言葉ではあるのだけれど––––その意味はね、平安時代までは『明るく知的な美』という意味だったのだけれど、実は室町時代に入ってからは意味が変わったのよ。ほら、『おかし』と言えば、まずは『おかしい』って意味を連想するでしょ。でも、平安時代はさっきも言ったけれど、『明るく知的な美』という意味だったの。それが、室町時代に入ってから、『こっけいな』と言う意味になってね––––」
いや、待って、こっけいなのはどう考えても私だ!
何、今の! 文法はめちゃくちゃだし、市子の『いとおかしは平安時代の言葉ではありませんの?』に対する回答としては、不適切かつ、筋違いなことを言ってしまっている!
早々に軌道修正しないと!
……まあ、市子はおバカだから歴史のことなんか知らないだろうし、適当なこと言って誤魔化しちゃお。
「––––そこから、『烏骨鶏』という意味になったのよ。ほら、今日のプリンは烏骨鶏の卵を使ったそうよ」
嘘だ、実際なんの卵を使ったのかは知らないし、そもそもこっけいが烏骨鶏なんて、小学生でも笑わないような冗談だ。
「烏骨鶏のプリン⁉︎ それは本当ですの⁉︎」
「……え、えぇ! そう本当よ! だから、早く探した方がいいわ!」
市子の単純さに救われ、私はホッと胸を撫で下ろす。なんとか誤魔化せた。よかった、よかった。
話が元に戻ったところで、市子はもう一度冷蔵庫を開けて、中に入っているコーヒーゼリーを見る。
「ですが、コーヒーゼリーしかありませんわよ。本当は、最初からコーヒーゼリー四つだったのではありませんか?」
「さっきも言ったでしょ、二つずつだったわ」
「料理部の子がすり替えたとか」
「なんのメリットがあるのよ」
「……えと、イタズラ好き?」
「生徒会長にイタズラをする勇気のある生徒がいると思う?」
「いなくは無いと思いますわ」
無くはないとは思うけれど、その可能性は低いと見ていいと思う。
そもそも、料理部の子が差し入れを持ってきてくれるのは、これが初めてというわけじゃない。前にもクッキーとか、バームクーヘンとか、色々なお菓子を差し入れてくれている。みんな優しくて、素直な子たちだ。
そんなことをするようには、とても思えない。
私は開けっ放しになっている冷蔵庫の中をもう一度確認する。間違いなく、コーヒーゼリーだ。
密室で、プリン二つをコーヒーゼリーにすり替えるなんてことが可能だとは到底思えない。となると……あぁ、そういうことね。
「音羽ちゃん、もしかしてプリンがどこにあるのか分かりましたの?」
「そうね、分かったわ。プリンは––––」
「ストップですわ!」
市子は今日も私の眼前に、手をパーにして差し出している。
「自分で当てたいですわ!」
「はいはい、じゃあ今日もヒントを出してあげるから」
市子は「やりましたわ!」と胸を弾ませた(物理的に)。私は今日もソレを見なかったフリして、話を進める。
「じゃあ、最初のヒントね。冷蔵庫……じゃなくて、冷凍庫に最初に入っていたのは、プリン二つ、コーヒーゼリー一つに間違いないわ」
「ですが、コーヒーゼリーが三つ入ってましたわよ! まさか、中に入っている間に変わっちゃった、と言いますの?」
「そうよ」
「……音羽ちゃん、暑いので頭がおかしくなっちゃいましたの?」
「あぁ、それが二つ目のヒントね」
「……暑いのがヒントですの? むぅ、分かりませんわ!」
「じゃあ、最後のヒント」
というか、答えなのだけれど。
私は、休憩も兼ねて、コーヒーを淹れる。そして、普段はあまり入れないのだけれど、コーヒーにミルクを垂らしてみせた。
コーヒーの色と、ミルクが混ざり、色は茶色になる。
「それのどこがヒントですの?」
「これと同じ現象が起きたわ」
「それは、コーヒーゼリーを見れば分かりますけど……」
「それは、プリンにも起こったのよ」
市子はそれを聞いて、ハッとした様子で急いでスプーンを取り、三つのコーヒーゼリーを一口ずつ食べた。
その後、二つのカップを指差す。
「この二つがプリンですわ!」
「三つとも口を付けるなんて、お行儀が悪いわよ」
市子の行動を注意したものの、私は別にそんなに気にはしていない。いつもの事だし。
まあ、私だから良かったものの、他の人の前でそういうことをしないように今度から注意深く––––って、私は市子のお母さんじゃないわ!
市子は私のそんな気も知らずに、興奮気味に、
「音羽ちゃん! どういうことですの⁉︎」
と、私に詰め寄ってきた。
「さっきので分かったんじゃなかったの?」
「このうちの二つがプリンだという事は分かりましたが、色が同じに変化した理由までは分かりませんわ!」
「プリンを感知するセンサーの感度は高いようだけれど、回答に対する意識は、低いようね」
「早く教えてくださいな!」
さっきは『自分で当てたい』と言っていたことを、もう忘れてしまっている。
まあ、いっか。別に意地悪してもしょうがないし、素直に教えてあげることにした。
「それはね、プリンが溶けてカラメルと混ざったものの色合いが、コーヒーゼリーとミルクが混ざったものに、そっくりだったってことよ」
カラメル色と、プリンの黄色が混ざって茶色。反対にコーヒーゼリーとミルクの色が混ざって茶色。
プリンと、コーヒーゼリーが溶けて、それぞれ、カラメル、ミルクと、混ざった色が同じ色であった。二つとも同じ色に変色してしまったため、気が付かなかった。
「ですが、どうして溶けてしまいましたの?」
「それはほら、最初に電源の入ってない冷凍庫に入ってたでしょ。しかも、今日は割と暑いし、一時間も常温保存したら、流石に少し溶けちゃうわよ」
「なるほど、そういうことでしたのね!」
なんと言うか、『冷凍みかんが、ただのみかんになっちゃったよ事件』を少しややこしくしたのような事件だった気もする。
まあ、これにて一件落着……と思いきや––––
「音羽ちゃん! このプリン本当に美味しいですわよ!」
「じゃあ、一口貰えるかしら?」
市子にあーんとしてもらい、私はプリンを頬張る。
……この味わい深いコク、甘みを抑えた上品な風味。前に一度、理事長の差し入れで食べたことがある。
これは間違いなく……
「烏骨鶏のプリンじゃない!」
「美味しいですわ〜!」
事件は、なんとも意外な幕引きで終わったのであった。