004 『一つだけ匂いの違う芳香剤』
「お手洗いの芳香剤が一つだけ、市販されているものとは違う匂いがしますの!」
いつもの放課後、いつもの生徒会、そして若王子市子。だけど、今日はかなりマシな方である。なぜなら、井斉先輩はサボりで来ておらず(『行けたら、行く』とは言っていた)、さらに頼りになる会計が来ているからである。
「会長さん、それなら自分も知ってますよ、確か五百円くらいするやつです。とてもオシャレで、インテリアにもなりそうなやつですよ」
と、司くんが教えてくれた。
坂辻司。一年生なのに会計を任せれている司くんは、『司』という名前からよく男の子に間違われるけれど、ちゃんと女の子である(女子校なので、当たり前だけど)。まあ、間違われる要因になっているのは、名前だけではのだけど。
身長が大きいのだ。とてもとても大きい。私も女子としてはそこそこ大きい方で、百六十五センチはあるのだけれど、司くんは私より大きく、現在百七十六センチだと前に教えてくれた(この学園で、もっとも高身長だ)。
それに顔立ちもキリッとしていて、運動部に所属しているため、とても筋肉質であり、スタイルもいい。
私は、ファッション誌などは読まないので知らないのだけれど––––よく読む市子曰く、司くんは『イケメン女子』というやつらしい。
そのため、彼女のことを『司くん』と呼ぶ生徒も多く、私もなんとなくそう呼んでいる。
司くんは一年生ではあるのだけれど、生徒会役員に立候補し、多数の投票を集めた。中高大一貫校なので、目立つ生徒の名前は、上級生、下級生問わず知っているのも大きいかもしれない。
ただ本人は当選するとは思っていなかったらしく、もうすでにバスケ部に入部してしまっていた。なので、生徒会の仕事は難しいという話ではあったのだけれど––––今年の生徒会の編成がヤバすぎるので、私が頼み込んで、時間のある時は来てもらえることになった。
そう、今年の生徒会はヤバいのである。はっきり言って、私と司くん以外は、無能と言ってもいい。
市子はくるくるぱーだし、井斉先輩は基本的に頼りにならない。
なので司くんは、私にとって唯一頼りになる存在であり、唯一の希望と言っても誇張表現にならない。
なのに、市子ときたらせっかく今日は生徒会の仕事が捗りそうなのに、いつも通り邪魔をしてくる。
「どうして一つだけ、違う匂いがするのでしょうか?」
「そんなの私じゃなくて、美化委員に聞きなさい。そういうのは全部任せてるから、私は知らないわ」
市子を軽くあしらうと、なぜか司くんが元気に手を挙げた。
「なら、自分が聞いてきますよ」
「いいえ、こんなくるくるぱーの言うことを聞く必要はないわ」
「わたくしはくるくるぱーではありませんわ!」
「そう、なら邪魔をしないでその辺で遊んできなさい。今日はいい天気だから、お外で遊んできなさい」
「なぜですのー! なーぜーでーすーのー!」
「はぁ……」
ため息。市子はこうなると、もう何も聞かない。お菓子をあげても無駄だし、おもちゃを与えても無駄だ。
なので。
本当はしたくないけれど、本当にしょうがなくなのだけれど、ちょっとだけ付き合ってあげることにした。
「そもそも一つだけいい匂いがするって、それもう好みの話よね」
「だから、違いますの! 市販されているラインナップには無い匂いですの!」
「他のメーカーのを使ってるとかじゃないの? ほら、詰め替え用とか売ってるじゃない」
「それが上手く言えませんが、市販されているものとは明らかに香りのタイプが違いますの!」
「香りのタイプが違うなんて言われても、私は調香師じゃないんだから、そんなこと分からないわよ」
「そうではなくて……」
市子は続けて何かを言おうとはするが、上手く言語化出来ないようであった。
それを見て司くんが、いい提案をしてくれた。
「それなら備品リストから購入した物を調べてみてはどうでしょう? 何か分かるかもしれませんよ」
「さすが、司くん。頼りになるわ」
私は司くんの言う通り、パソコンを使い、備品リストから何を購入したかを調べる。直近の美化委員会の購入品に、芳香剤がある。コレに間違いない。
内訳は、同じメーカーの物が三種類。
「三種類あるわよ、そのうちのどれかじゃない?」
「見せてくださいな」
市子はそう言いながら、私の後ろに回り込み、いつものように胸を私に押し付けながら覗き込んできた。正直に言うと重い。
「ローズ系と、グリーンフローラル系と、シトラス系ですわね」
「よく分かるわね」
「買ったことがありますので」
そういえば、市子の部屋はいつもいい匂いがしていたのを思い出した。私は、市子本体がいい匂いの元だと思っていたけれど、違うらしい。
まあ、それはさておき。
「それで、この中にない匂いがするってこと?」
「そうですわね」
備品リストを見るに、他のメーカーの物を購入した記録はない。個人的に買ったのなら可能性は無くはないだろうけど……。
「ちなみにその一つだけ匂いの違う芳香剤は、どこにあるのかしら?」
「美化委員室の前にある、お手洗いですわ」
市子の言う通りなら、美化委員会は自分達の所だけ別の芳香剤を使用していることになるが、それを問題にするような私でもない。
というか、大体の予想はついた。
「きっとそれ、オリジナルのフレグランスよ」
「オリジナルというと、自作したってことですの?」
「そうよ、おそらく糺ノ森先輩の自作フレグランスよ。前に糺ノ森先輩が淹れてくれたオリジナルハーブティーを飲んだことがあるのだけれど、とてもいい匂いがした記憶があるわ」
糺ノ森みたら。この学園の美化委員長を務める人物だ。
三年の先輩で、井斉先輩ととても仲がよく(井斉先輩が『幼女キャラ』を演じているのも知っている)、私もその繋がりで何度かお茶をした事がある。
とても丁寧な話し方をする人で、物腰も柔らかく、人望もある人だ。
私は困った時や、仕事に行き詰まった時など、ほとんどの場合迷わずに糺ノ森先輩に相談することにしている。
その度に、毎回お手製のハーブティーを振舞われて、それはとてもいい香りがしたのを覚えてる。
まあ、ハーブティーと芳香剤の匂いの作り方が同一だとは思わないけれど、糺ノ森先輩なら、それくらいは出来ると思う。
実家は老舗の花屋さんだと前に教えてくれたし、インスタのフォロワーが三万人くらいいるし(これはあんまり関係なさそう)。
しかし、市子は納得していないようで、「それはあり得ませんわ」と首を横に振った。
「どうしてよ?」
「確かに糺ノ森先輩は、オリジナルのフレグランスを作れなくはないと思うのですけれど––––あの香りはいくらなんでも、学生が作れるものではないと思いますの」
「それは、ほら、糺ノ森先輩の技術力がプロ級みたいな」
「あの香りはブランド物の香水並みですわよ。しかも、他の芳香剤と比べましても明らかに匂いが違いますわ––––それにもしあのレベルの芳香剤を作れるのでしたら、全てオリジナルにすると思いませんか?」
確かに、市子の言う通りかもしれない。市販品よりいいのが作れるのなら、そうするに決まっている。
ふと、市子は思い出したように腕を組む。胸の下で。萎めばいいのに。
「……そういえば、あの匂い……どこかで嗅いだことがある気がしますわ」
「お手洗いじゃない?」
「別の場所ですわよ!」
「それは、学校内かしら?」
「そうですわね、確か…………糺ノ森先輩の近くで嗅ぎましたわ」
「ちょっと待って、どうしてあなたは糺ノ森先輩の匂いを嗅いでるのよ」
「いい匂いでしたので」
「はぁ……」
「あっ、音羽ちゃんの方がいい匂いがしますので、落ち込まないでくださいな」
「そういう問題じゃないわよ!」
「寝る時は音羽の五番を着て寝る感じですわね」
「それ、意味分かる人あんまりいないと思うわよ」
「全裸で寝てるってことですわね」
「えっ、会長さん、何も着ずに寝てるんですか⁉︎」
市子のせいで、司くんに要らない誤解を与えてしまった。私は「市子は嘘を言っているから、信じなくていい」と司くんを諭してから、脱線した話を元の軌道に乗せる。
「市子の言う通りなら、糺ノ森先輩と、その芳香剤が同じ匂いがするってこと?」
「確実とは言えませんが、近しいとは思ってますわ」
同じ匂い、ね。ちょっとだけ、引っかかる。
「ねぇ、その芳香剤は他の芳香剤と匂い以外の違いはなかったかしら? 例えば、違う容器を使用しているとか、スティックが別物とか」
「……うーん、よく覚えていませんわ。香りの方にばかり気を引かれてしまいましたので、入れ物の方はちょっと……」
まあ、これは別に期待はしていなかった。ただ、もし入れ物が違うとしたら、確実に思い当たる節がある。
そう考えていると、司くんが再び手を挙げた。
「それでしたら、自分が確認してきましょうか?」
「別にそんなことまでしてくれなくて平気よ」
「あ、いえ、この書類、職員室に持っていくのでそのついでに見てきますよ」
司くんはホチキスで止めた書類を振ってみせた。美化委員会が使用している教室と、職員室はとても近い距離にある。
「悪いわね、それじゃあ、ついでにお願い出来るかしら」
「芳香剤の容器と、スティックでしたよね、任せてください」
司くんは書類片手に、生徒会室を早足に出ていった。なんだか、後輩を使いっ走りに行かせたようで気は進まないけれど、司くんはそういう役を自ら買って出るので、私はついそれに甘えてしまう所がある。
「というか、そういうのは市子が行きなさいよ」
「わたくし、職員室苦手ですの」
「どうしてよ」
「よく怒られていますので」
「はぁ……」
ため息。市子はおバカゆえ、その成績の悪さを時々咎められ、補習を受けさせられている。まあ、市子のおバカは治るようなものではないと思うのだけれど、その治らないおバカに真摯に付き合ってくれている先生方には、頭の下がる思いだ。
私は使いっ走りに行ってくれた司くんを労わる気持ちと、あと休憩も兼ねて、コーヒーを入れることにした。
「市子は?」
「お砂糖フルマックスで!」
「はいはい」
カップを三つ用意して、それをドリップマシンにセットして、順番にスイッチを押す。
出来上がったコーヒーを、応接用のテーブルに置いた頃に、司くんが戻ってきた。
「おかえり、コーヒーを入れたわ。少し休憩にしましょう」
「あ、すいません、会長さん。ありがとうございます」
「ふー、疲れましたわ!」
「いや、市子は何もしてないでしょ」
私達がソファーに座り、コーヒーを一口飲んだ所で、司くんの報告が始まる。
「スティックは同じ物でしたが、入れ物は似てはいましたが、違う物でした。それと、若王子先輩の言っていた通り、あれは市販されている芳香剤の香りじゃないですよ。三つ全て確認してきました」
「そこまでしてくれなくて良かったのに……」
「それと、糺ノ森先輩の匂いも嗅いで来ようと美化委員室を尋ねたのですが、留守のようでした」
「司くん、そこまでしなくていい」
司くん唯一の弱点を上げるとすれば、真面目過ぎる所だ。真面目過ぎるが故に、時々市子みたいなことをやりだす。というか、市子が悪い。
司くんみたいな真面目な生徒に、悪影響を与えないで欲しい。
ただ、これでハッキリとした。一つだけ違う匂いのする芳香剤、その理由は––––
「あっ、その顔、さては答えが分かりましたわね!」
市子が急に、私の顔を覗き込んで来た。市子の私に対する距離感が近しいのはいつものことなので、私は特に気にせずに先程思い付いた答えを提示する。
「まあね。答えは––––」
と言いかけたところで、やはりと言うべきか、市子が「ストップ!」と割り込んできた。
「自分で当てたいですわ!」
「はいはい、じゃあ、ヒントを出してあげるから」
市子は「やりましたわ!」と今日も(物理的に)胸を弾ませた。私は揺れた胸を見なかったフリして、話を続ける。
「じゃあ、まず最初のヒントね。アレは間違いなく、糺ノ森先輩の自作した芳香剤よ」
「やはり、あの匂いを作ったといいますの?」
「それはちょっと違うわ」
市子は「むぅ」と表情を曇らせる。
「じゃあ、次のヒントね。入れ物の容器が違うのは、別にオリジナリティを出すためじゃないと思うわ」
司くんは、コーヒーを口にしてから首を傾げる。
「というと、別の理由があって、違う容器を使用したということですか?」
「使用したというか、そのまま使用したと言った方がいいかもしれないわね」
「あぁ、なるほど……さすが、会長さんです。目の付け所が違いますわね」
どうやら司くんは、今のヒントで分かったようだ。だか、市子はまだ分からない様子だ。
「司くん、分かりましたの⁉︎」
「はい。まあ、自分は実際に見に行って匂いも嗅いでおりますので……」
「わたくしも嗅ぎましたわよ!」
「市子は鼻はいいようだけれど、頭は悪いようね」
むっとした表情を向ける市子。仕方ない。おバカにも分かるように言ってあげよう。
「じゃあ、最後のヒント」
というか、答えなのだけれど。
「糺ノ森先輩と、その芳香剤が同じ匂いなのは、糺ノ森先輩が同じ香りを纏っているからよ」
「匂いを纏って……、芳香剤と同じ匂いを…………あっ、もしかして……!」
漫画的な表現をするなら、市子の頭の上にライトが点灯した所で私は言う。いつものように。
「じゃあ、答え合わせの時間ね」
*
場所は、美化委員室前のお手洗い。目の前には、一つだけ違う匂いのする芳香剤。
糺ノ森先輩のオリジナルの芳香剤。
香水の瓶を使用し作成された、オリジナルの芳香剤。
「まさか、香水の入れ物に直接スティックをさして芳香剤として使用しているだなんて、思いもしませんでしたわ」
「入れ物自体は、似てるしね」
目の前にある芳香剤は、香水の容器に、スティックを指してあるだけの芳香剤だ。
この芳香剤は、匂いを自分で作ったのではなく––––元からあるいい匂いのする香水を、芳香剤として作り変えたものだ。
市販品の芳香剤は五百円程度と司くんは言っていたが、この香水はおそらくもっと高い値段がすると思われる。
だから、自作だったとしても、コレを他の場所に置くことが出来なかったのだろう。
司くんは、その芳香剤の匂いを嗅いで、感心したように頷く。
「香水を芳香剤にしてしまうなんて、流石糺ノ森先輩ですね」
「だから糺ノ森先輩と、この芳香剤は同じ匂いがしましたのね」
「きっと、お気に入りの匂いを使ったんでしょうね」
「お気に入りの匂い……」
市子はそう呟くと、急に私の匂いを嗅ぎだした。
「何してるのよ」
「今度糺ノ森先輩に、音羽ちゃんの匂いのする芳香剤を作れないか聞いてみますわ!」
「やめなさい」
「ならせめて、生徒会室にも芳香剤を置かせてもらいましょう!」
「必要ないわよ」
私は抗議する市子を背後に感じながら、生徒会室へと戻る。
確かにいい匂いのする芳香剤は、あってもいいと思うし、私は別にそういう匂いが嫌いなわけでもない。
なら、なぜ置かないかというと、生徒会室には既に私の好きな匂いがあるからだ。
さて、問題です。
それはなんでしょう?
ヒントは、そうね……キリマンジャロかしら。