016 『音姫様』
「そういえば、どうして音羽ちゃんは『音姫様』と呼ばれていますの?」
いつもの放課後、いつもの生徒会室、そして若王子市子。
市子はいつものように私の仕事の邪魔をしてきたが、今回はかなりイージーと言っていいと思う。
だってそれは、市子が悪い(まあ、私も悪いんだけど)。
「いや、市子に『音羽ちゃんは姫カットとか似合いそうですわね!』と言われて、ついうっかり姫カットにしちゃったからでしょ」
しかし、井斉先輩は「それは違うと思うぞ」と首を振る。
「どうしてそう思うんですか?」
「いや、雲母坂が姫カットにしたのは、確か、三月とかじゃなかったか?」
「そうですね、その辺りだったと思います」
「私の記憶が正しければ、雲母坂がそう呼ばれ始めたのは、二月だ」
となると、髪型が姫カットだから、『音姫様』というのは成立しない。私は、他の理由で『音姫様』になっているという事になる。
「でも、雲母坂の姫カットはよく出来てたよな。あれ、どこで切ってもらったんだ?」
井斉先輩は、今日もどこからか貰ってきたと思われるお菓子の箱をぺりぺりっと開けながら尋ねてきた。
「鳳さんにしてもらいました」
「あぁ、あの人か。確かに美容系はなんでも出来そうだもんな」
嬬恋鳳、私と市子がお世話になっている第二女子寮の寮長先生。簡単に言うとギャルの人。明るい髪色に、刺さったら痛そうな爪に、小麦色の肌をしたギャルのお姉さんだ。
「というか、私は萌舞恵に入学して以来、ずっと鳳さんにやってもらってるわ」
「あ、わたくしもですわ」
と市子も手を挙げる。
「まあ、近くに上手な人がいるならそれがいいのかもなー」
もちろん、井斉先輩の言う通りでもあるのだけれど、実はもう一つ理由がある。
「なんか、知らない人に髪の毛を触られるのって、嫌じゃないですか?」
「雲母坂って、結構潔癖症だよな」
「自覚はあります」
「あっ、つまりわたくしには心を許しているってことですわね!」
「市子は知らない人じゃないでしょ」
というか、もういつものことなので放ってはいるのだけれど、市子は私の髪の毛をイジるのが好きらしく、もう暇さえあれば、私の髪の毛で遊んでいる。おかげで、私の髪型は午前と午後で変化する(ちなみに今日はポンパドールだ)。
もう大分前からこんな感じで、多分中等部にいた頃から、私の髪の毛は市子のおもちゃと化している。
言ってしまえば、市子に会ってしまったのが私の運の尽きだ。
「でも、若王子は本当にヘアアレンジ上手いよな」
井斉先輩は妙に感心した様子で、私の髪を見た。
対して、市子は大きな胸を張って威張る。
「えっへんですわ!」
私は心の中で、「威張らなくていい」とツッコミを入れた。
「それで、それも鳳さんに教わったのか?」
「基本的にはそうですけれど、動画とか見て自分でも研究していますわ」
「その熱心さを勉学の方に生かして欲しいものね」
まあ何かに打ち込めるのはイイことだと思うので、私からは特に何も言うまい。市子のおかげで私の髪型がオシャレなのは本当なのだから。
でも、姫カットが原因でないとするなら、何が私を『音姫様』にしたのだろう?
普段なら市子の話は気にもしないのだけれど––––自分のこととなると、流石に気になる。
「そもそも何故『姫』なのかしら……」
「いや、雲母坂はどこからどう見ても姫だろう」
「そのうち絵本とかに出てきますわよ」
「なんで日本昔話に出なきゃいけないのよ」
「『音姫様』と言いましたら、やはり竜宮城のお姫様である、『乙姫様』を想像しませんか?」
「それは分かるけれど、字が違うでしょ」
音と乙。『音』の読みは、音読みは、『イン』『オン』で、訓読みは『おと』『ね』だ。
対して『乙』は音読みは、『オツ』で、訓読みは、『きのと』『おと』だ。他には、『イツ』と読むこともある。
こう考えると日本語というのは、かなり難しい言語だというのを実感できる。
そもそも、平仮名、片仮名、漢字と、三つも文字が存在する時点で大ハードな気もする。
平仮名、片仮名はともかくとして、漢字に至っては、全ての漢字の書き方と、読み方を網羅している人がいるのかさえ怪しい。
難読漢字という言葉があるくらいなのだから、その難易度の高さは測定不能だ。
それに私の苗字でもある、『雲母坂』だってそうだ。『クモハハザカ』で、『雲母坂』だなんて、一体誰が読める。
トップオブ難読漢字とは言えないが(個人的には、『酸漿』がトップだと思っている)、難読漢字ベスト100には間違いなく入る。
もしかしたら、読み間違いという説はないだろうか?
例えば元々は、『音姫様』ではなくて、『音姫様』とか、『音姫様』とか。
それが段々と変化して––––いや、無いな。
うん、ないない。大体どこから『音姫様』という文字が出てきたのだろう?
「ねぇ、そもそも音の姫様と書いて、『音姫様』って、どこから出てきたの?」
「そこまでは分かんねーよ、気付いたらそうなってたーって感じだ」
文字を使用しているところを見るに、怪しいのは新聞部だ。
この学校の新聞部は、もっとも古くからある部活の一つで、出来たのは八十年以上前だと聞いている。
毎月出している新聞のバックナンバーはもう少しで千に届くほど多く、この萌舞恵女学院において、もっとも伝統と歴史のある部と言っても間違いではない。
そこの新聞部が、最近私のことをよく取り上げている気がする。
それは、生徒会長だから当たり前と言ってしまえば当たり前なのだけれど––––『音姫様は、早朝ランニングでスタイルキープ!』なんて見出しを見た日には、流石の私も頭を抱えた。
どうやら、今年の新聞部はそういう記事が好みらしい。
新聞部部長、九十九廿楽。三年生で、伝統ある新聞部の部長を務める人物だ。
新聞部という野次馬集団を率いている人物としては、少しおっとりとしている人で、なんだかいつも眠そうな目をしている。
余談だが、彼女の顔を顔文字で表すと、
『(,,廿_廿,,)』
こんな感じだ。ジト目だ。
だけど、仕事は出来る人物らしく、彼女が部長に就任してからは月一だった新聞が、月二で出るようになった。
単純に考えて、倍の仕事と言っていい。
新聞の内容も面白く、(私の記事以外は)楽しく読めるものばかりだ。
少し私に関する記事を書き過ぎな気もするが、まあそれはさておき。
「ねえ、最近の新聞部についてどう思う?」
「『音姫様』大人気って感じだ」
「それ以外でお願いします」
「新聞みたいなもんに興味の無い私みたいな生徒でも読んじゃうくらい、魅力的な新聞だ」
特に今年からはと、井斉先輩は付け足した。
確かに、それはあるかもしれない。私も去年まではあまり、興味がなく(新聞部には申し訳ない)、読んでいなかったのだけれど、今年から––––つまり、四月からはよく読んでいる。
「市子はどうかしら?」
「そうですわね……、たまにわたくしが画像提供した音羽ちゃんの写真が乗っていますと嬉しくなりますわ」
「あの写真市子だったの⁉︎」
新聞部の新聞には二種類あって、一つは普通の紙の新聞、もう一つは学校のホームページで公開されている、ネット新聞だ。
紙の新聞の方はスペース上、乗っている画像は少ないのだけれど––––ネット新聞の方は、画像が複数枚添付されている事があり、たまに、私の画像が大量に載っている。
しかもかなり近い距離のものが。
盗撮をしているようには思えないし、不審に思っていたのだけれど、まさか身内に犯人がいるとは思わなかった。
「市子、新聞部に画像提供するの禁止」
「どうしてですの⁉︎」
「ダメなものは、ダメに決まってるでしょ」
「せっかく綺麗な音羽ちゃん写真を提供していましたのに」
「余計なことしなくていい」
「あ、ちなみに綺麗なと言いますのは、高画質という意味ですわ」
「無駄にハイクオリティにしなくていい」
うん、これ間違いなく私が『音姫様』と呼ばれるようになったのは、新聞部が深く関わっていると考えたほうがいい。
確か、初めて新聞部と関わりを持ったのは、立候補を表明した時だ。立候補した際のマニフェスト––––と言ったらおこがましいものだけれど、そんな感じのものが記事になったを覚えている。
時期は、一月。私が『音姫様』と呼ばれた時期よりも前だ。
原因になった何かがあったとしたら、そこに何かあった可能性はある。
例えば、新聞部が勝手に私にそういうあだ名を付けて、それが広まってしまった––––というのはありそうな筋だ。
でも、私はその記事を実際に読んでいる。自分のことが書かれていたのだから、当然だ。
読んだのはだいぶ前なので、もしかしたら、何か『音姫様』に繋がるワードがあったのかもしれない。調べてみよう。
新聞部の記事は、学校のホームページでも公開されているので、私は目的のページを探して、その記事を読んでみた。
うん、ちょー普通。無難に私の言ったことを原文のまま書いてあるだけだ。
だけど、そこに添付されている写真を見て、私が『音姫様』と呼ばれるようになった原因を悟ってしまった。この写真は、間違いなくネット版のみの写真だ。
私が見た紙の新聞には、この画像は無かった。
はぁ……、溜息。
「あっ、音羽ちゃん、さては何か分かりましたわね」
「うん、まあ、分かったわ……」
なんだか、ドッと疲れが出てきた。しかし、市子は私のそんな様子は気にもせずに、
「音羽ちゃん、今日はヒントありませんの?」
と私の顔を覗き込んできた。
「はいはい、ありますよー、出しますよー」
市子はそれを聞いて、今日も元気に「やりましたわ!」と胸を揺らした(物理的に)。私は今日もそれを見なかったフリして話を続ける。
「じゃあ、最初のヒント––––」
と言いつつも結構投げやりにヒントを出す。
「市子が悪い」
「それはヒントって言いますの⁉︎」
「次のヒント、市子が全部悪い」
「だから、それはヒントって言いますの⁉︎」
憤慨する市子に対して、私の後ろからパソコンの画面を覗き込んできた井斉先輩は答えに気が付いたようだ。
「あー、こりゃあ、間違いなく『音姫様』だ」
「私もこれはそう呼ばれてしまってもしょうがないと思います」
私はそう嘆息してから、
「じゃあ、最後のヒント」
と言う。まあ、ほぼ答えなのだけれど。
私は先程市子に結んでもらったポンパドールを解いてから、髪の毛をまとめて見せた。
「はい、これがヒント」
市子はそれを見て、何を思い出した様子で、スマホをいじり出した。
そして、数秒後に市子が見せてきた画像は、ネット新聞の記事に添付されている画像と同じものであった。
休み時間に市子に髪の毛をいじられて、頭の上にハートマークを乗せた、『乙姫ヘアー』になっている私だった。
要するに、この画像を市子が新聞部に提供して、それがネット新聞の方にだけ公開されていたって事だ。
通常の新聞の方は、スペースの都合で入らなかったのだろう。
そして、この髪型の私が、あり大抵に言えば、バズった。まあ、本人からしたらバズったと言うよりも、ハズいって感じだけど(この言葉を教えてくれたのは鳳さんだ)。
「さて、市子、どういうことかしら?」
「えーと……」
市子の目はかなり泳いでいる。
「あっ、じゃあ、ちーちゃん帰るねっ」
そして、井斉先輩は何かを察知したのか、急ぎ足で生徒会室を後にした。
「あっ、ちーちゃん先輩! わたくしも––––」
「待ちなさい、市子」
逃げ出そうとする市子を呼び止めると、市子はビクッと動きを止めた。
「……ななな、なんですの、音羽ちゃん?」
「何か、私に言うことあるわよねぇ?」
その日の私は、市子曰く『音姫様』ではなく、『怒姫様』だったそうだ。