014 『一本麺のうどん』
「学食のうどんが、一本麺になっていましたわ!」
いつもの放課後、いつもの生徒会室、そして若王子市子。
今日も市子が何かを言っているが、私は無視して書類にペンを走らせる。
だけど、司くんは気になったことがあったようだ。
「若王子先輩、一本麺ってなんですか?」
「全部の麺が一本に繋がっているうどんですわ!」
「それは、すごいですね。それで、どのような意味があるのでしょうか?」
「分かりませんわ!」
うん、だと思った。なので私は、ペンを置いて、少しだけ補足する。
「基本的には縁起物よ。太くて長いうどんを食べると、長生き出来る––––みたいな」
「会長さんは、本当になんでも知っていますね」
「そんなことないわよ」
「音羽ちゃんは、別名『歩く広辞苑』と呼ばれていますのよ」
「呼ばれてないから」
これ以上変なあだ名を増やさないで欲しい。ただでさえ『音姫様』と呼ばれて、苦労してるのに。
「それで、どうして一本麺になりましたの?」
「知らないわよそんなの……学食のおばちゃんにでも聞いてきなさい」
私が市子を冷たくあしらうと、司くんが手を挙げた。
「なら、自分が聞いてきましょうか?」
「司くん、こんなくるくるぱーの相手しなくていいから」
「わたくしはくるくるぱーではありませんわ!」
「一本麺のことは、そのうち学食のおばちゃんに聞いておいてあげるから、大人しくしててちょうだい」
作業に戻ろうとすると、市子が突然歌いだした。
「ぶるん、ぶるん、ぶるん、はらちりがらとろぶる〜」
「…………」
無視、仕事に集中。
「おろいりけれのろ、まらわらにりいり〜」
「…………」
気にしない、仕事に集中。
「おろはらならがら、さらいりたらよろ〜」
やっぱり無理!
「分かったから! 考えてあげるから! 水の中で歌っているような『はちがとぶ』を歌うのをやめなさい!」
「ふふん、作戦成功ですわ!」
まんまと市子にやられた。そして、謎に司くんは今の歌に感心していた。
「面白いですね、まるでエコーがかかったような歌でした」
「歌詞の後に、『らりるれろ』を付けますのよ!」
「……なるほど、確かにラ行は日本語において、唯一『流音』に分類されますからね」
「りゅうおん? ってなんですの?」
「流音というのは、ラテン文字において––––」
「司くん、市子にはそれ説明するだけ無駄だからやめておきなさい」
市子は私に「むっ」と膨れっ面を向けるが、『そり舌接近音』だとか、『そり舌側面接近音』とか言われても絶対に分からないだろうし、司くんの話ぶりから察するに、絶対そういう説明になる。
司くんは妙に博識な所はあるが、正直、バカにも分かるように説明するのは苦手なのだ。
まあ、それはさておき。いつも通りの閑話休題。話を戻そう。
「それで、一本麺だったわね」
「そうですわ! 全部繋がっていますの!」
「司くんは、食べたことある?」
「多分無かったと思います」
市子は「とっても美味しいのに……」と、くちびるを尖らせた。
まあ、私も何回か食べたことはある(一本麺は無いけれど)。正直、美味しいとは思った。
萌舞恵の学食は基本的に全て美味しいのだけれど、いくつかの当たりメニューがあるのは確かだ。
そして、このうどんはそこに入れていい気もする。
とするならば、まずは売行きを調べるのがいいかもしれない。
私がマウスを手にパソコンを操作し始めたのを見て、市子が後ろに回り込み、いつものように胸を私の背中に押し付けてきた。重いからやめて欲しい。
「音羽ちゃん、何をいたしますの?」
「うちの学食ってね、券売機の売れ行きから、人気メニューが分かるようになってるのよ。それで、うどんが売れているか調べるわ」
学園のアーカイブに接続して、目的のページを見る––––うどんは、そんなに売れていない。
「人気ないみたい」
「どうしてですの⁉︎」
市子は憤慨しているが、司くんは冷静に自身の考えを述べる。
「やっぱり、汁が飛ぶからではないでしょうか?」
「カレーうどんとか飛んだら洒落にならないもんね。ねっ、市子」
「そ、そうですわねー」
市子は、よくワイシャツに黄色いシミを付けている。おまけに、隣で食べる私にまで飛ぶので、最近は「カレーはやめなさい」と、口酸っぱく忠告している。
「後は、うどんって結構カロリーが多いのよねー」
「ぎくっ」
妙にたどたどしい市子。まあ、大体の予想はつくけど。
「市子、太っ––––」
「ってないですわ!」
「…………」
「太ってないですわ」
私は市子のお腹周りを見る。すると、市子はその視線に気が付いてお腹を隠した。……ちょっとからかってみよう。
「市子」
「なっ、なんですの?」
「私この前理事長にいい入浴剤を貰ったの」
「よっ、良かったですわねー」
「だから、今日は一緒にお風呂に入りましょうか」
「……えと、その」
「ほら、いつも一緒に入りたいって、私の部屋によく押し寄せてくるじゃない。最近は来ないけど」
「それはですね、音羽ちゃんが嫌がりますので……」
「そう、私は全然嫌じゃないわ、今日は一緒に入りましょう」
市子はしばらく悩んだ後、観念したのか、
「……音羽ちゃんのいじわる」
と小さな声で呟いた。何これ、ちょっと可愛い––––って、市子で遊んでいる場合じゃなかった。
私は脱線した話を元の軌道に乗せる。
「まとめると、うどんは美味しいけど人気ないってことね」
「では、人気を出すために、変わりものである一本麺にしたということですか?」
「可能性はあるけれど、一本麺を選択する理由にはならないわ」
「人気を出したいのなら、この宣伝隊長、若王子市子の出番ですわね!」
「市子はいつから宣伝隊長になったのよ」
仮にそれをするなら、井斉先輩の方が向いている気もする。
「『うどんを食べたら、こんなに胸が大きくなりましたわ』と言いますわ」
「嘘はダメよ」
でも、宣伝効果はそれなりにある気はする。私なんか、一回くらいは多分食べちゃうと思う。
でも、脂肪が付くのは胸じゃなくて、お腹っていうオチになるのは容易に想像がつく。
「一本麺になった理由じゃなくて、一本麺のメリットを考えた方が良さそうね」
「はいですわ!」
市子が元気よく手を挙げた。
「司くん、何かある?」
「どうしてわたくしを無視しますの⁉︎」
「……じゃあ、市子」
「麺に汁がよく絡まるからですわね!」
「麺の本数が多い方が絡まると思うわ」
「一本だと、吸うのが楽しいですわ!」
「めんどくさいの間違いでしょ」
「じゃあ、なんか楽しいですわ!」
「それは答えでもなんでもなくて、ただの感想でしょ」
全く子供じゃあるまいし。
「司くんはどう?」
「そうですね……食べやすさの観点から見ますと、個人的には食べ難いと思います」
「まあ、すすりきれないものね」
「それに、レンゲなどに乗せるにしてもどこかで切らないと乗り切らないので、猫舌の人などは、さらに食べ難いんじゃないかと思います」
「そう考えるとデメリットの方が多いわね……」
「あっ、むしろデメリットの方を言ってしまいましたね」
「大丈夫よ、参考になったわ」
とは言っても。
先程から色々考えてはいるのだけれど、答えは全く思い付かない。というか、市子はそろそろ私に聞けば大体何でも分かると思うのを卒業して欲しい。
子の親離れをして欲しい。若王子だけに、雲母坂離れして欲しい。
「ねぇ、味はどうなの?」
「美味しいですわよ」
「そうじゃなくて、コシがあるとか、チュルンとしてるとか」
「そうですわね……コシは確かにありますが、チュルンというよりかは、モチモチしてますわね」
そうやって聞くと、食べたくはなる。
「あっ、でも、最初は麺の太いラーメンかと思いましたわ」
「なぜ、そう思ったのかしら?」
「一本麺のうどんはスープが中華風ですの。なんていうか、ちょっとピリ辛系の」
学食にはうどんが何種類かある。キツネとか、たぬきとか、カレーとか。市子の言い方からすると、一本麺のうどんはそういう種類別の中の一つと見て間違いない。
というか、中華風ということは、
「それ、うどんじゃなくて、市子の言う通りラーメンの可能性もあるわ」
「へっ?」
「中華街に行くとね、一本麺のラーメン屋さんって割とあるのよ」
しかし、市子は「いーえ、違いますわ」と首を振る。
「何でそう思うのかしら?」
「だって、食券に『うどん』と書いてありますもの」
「…………」
そう言われてしまったら、それはうどんだ。100%ラーメンだったとしても、うどんだ。
中華風のうどんと言うと、肉うどんが近い気もする。いや、近いだけで似てはいない。
実はラーメンだけれど、学食のおばちゃんがうどんだと思っているパターンはどうだろうか?
いや、これもあり得ない。
学食のおばちゃん達は、料理のエキスパートだ。料理名を間違えるという初歩的なミスを犯すわけがない。
なんだか、まるで統一性のない新しいうどんの気さえしてきた。
「あの、会長さん」
「なぁに、司くん」
「確か学食のメニューって、学生のアンケートから新メニューを決める事がありますよね」
「あるわね」
「もしかしたらですけど、それで妙に一本麺が票を集めたという可能性はどうでしょう?」
「……そうね。調べてみる価値はありそうね」
さすがは司くん、市子と違って頼りになる。学食の新メニューが追加されるパターンは二つ。一つが、学食のおばちゃんの判断、メロンソーダはこれに当たる。
そして、もう一つは生徒にアンケートを取り、その中から人気の高い物が追加される。
アンケートを元に生徒会で会議を開いて決め、それを学食のおばちゃん達に可能か尋ねて、『OK』が出れば、メニューに追加される。
そして、学食のメニューが追加されるのは––––四月と夏休みを挟んだ九月の二回だったはず。
「市子、うどんが一本麺になったのは、いつぐらいか分かるかしら?」
「そうですわね……最後に普通のうどんを食べましたのは、前の学期だったと思いますわ」
となると、四月変更と見て間違いない。
四月変更ということは、管轄は前年度の生徒会になる。
前年度の生徒会は、すごい真面目だったように思う。生徒会長は模範的な人だったし、他のメンバーもそうだった。全員が三年生だったのもあるかもしれない。
そう思うと、今年度の生徒会のダメさ加減が目立つ。
……うん、考えるのはよそう。
確か、学食用のアンケートはファイルにしまってあるはずだ。
ファイルを取り出して(結構重い)、目的の資料を探す。
あった。
そして、私は題名を見て、全てを悟った。
思わず笑ってしまった。
全て手書きで、箇条書き。資料と言えるのかも怪しい資料。
何が真面目だ。いや––––真面目だったからこそ、こうなったのだろう。
「音羽ちゃん、どうしましたの?」
「分かったわ、一本麺の理由」
「本当ですの⁉︎」
「まあ、これを見なかったら分からなかったけどね」
と、私は資料を振ってみせた。
正直、ヒントを出しにくいものなので、私は素直に市子と司くんにその資料を見せた。
資料のタイトルは––––『生徒会で決める、好きなもの全部乗せうどん!』
「……つまり、これって、前年度の生徒会が勝手に作ったメニューってことですの?」
「そうなるわね」
私は「ほらここ」と資料の一部分を指差した。
『一本麺は面白い』『ピリ辛!』『担々麺!』『肉があるといい』
他にもいくつかの意見が書き込まれていたが、市子の情報から察するにこの辺の意見が採用されていると考えていいはずだ。
でも、司くんはまだ疑問点があるようで首を傾げる。
「どうして前年度の生徒会は、このようなことをしたのでしょうか?」
その質問は、私ならよく分かる。仕事を毎日嫌になるくらいやっている私なら、よく分かる。
「それはね、生徒会の仕事ってね、見返りが無いのよ––––だから、最後くらいふざけて、自分達の意見のみのオリジナルメニューを作ろうってなったんじゃないかしら」
「それはいいアイディアですわね!」
市子が謎に目を輝かせていた。まあ、何となくその思想は読める。
「わたくし達も、オリジナルのメニューを考案いたしましょう!」
「却下」
「どうしてですの⁉︎」
「彼女達はね、真面目に仕事をしていたのよ。この生徒会で真面目なのは、私と司くんだけじゃない」
「なら、わたくし今日から心を入れ替えますわ!」
「そう、楽しみね」
その後の市子がどうなったかって?
想像通りよ。