弥生時代のカレー屋さん
ネット通販でカレールーを1箱注文したら、なぜかダンボールいっぱいのカレールーが届いた。
1箱とは何か。
単位は「箱」と表記されていたのだが、「ダンボール」ということだったのか。1ダンボール、驚きの256円。
通販会社に問い合わせたところ、「弊社のミスなので受け取ってほしい」とのことだった。
食品だから返品されても困るという判断だろう。
ラッキーと言うべきなのだろうか。
カレーは飲み物とはいうが、一年かけても食べきれなさそうな量のカレールー。
こちとらオッサン独身男、彼女なし、八畳のワンルームアパートの一人暮らし。
1つだけのコンロでせっせと毎日毎食カレーを作って食べるのは正直しんどい。
炊飯器にお米をセットして、野菜を切って、煮込んで。調理に1時間はかかる。
忙しい現代社会にそんな時間はない。
たまの休日くらいだ。
しかも毎日カレーを食べてカレーの匂いをプンプン振りまいていたら、会社の人間から「カレー係長」とかいうアダ名をつけられはしないか。
嗚呼、カレーの神さまよ!
いかにしてこのカレーをさばきたもうたことか!
考えても仕方ないので、カレー第1号を作成する。
冷蔵庫にあった玉ねぎとしめじと冷凍豚肉を入れてグツグツと煮込む。
じゃがいもと人参はない。
明日、会社帰りに買うとしよう。
パックのごはんをチンして、ごはんの半分を寄せあげる。パックにできたスペースに出来立てのカレーを注ぐ。
美味い。バーモンノカレーはどう調理しても美味しい。
カレーの口福に酔いながら、ワンカップ焼酎で晩酌をした。その日はそのまま万年布団に横になった。
***
ーーここ、どこだ?
わらでできた天井。
土の上。隣には土間。
煙の匂い。
そこはまるで小学校の社会科見学で入ったことのある竪穴住居の中のようだった。
なんだなんだ??
酩酊してホームレスにでも絡んでしまったか??
状況がいまいちつかめない。
とりあえず外に出よう。
ん?なんか見覚えのあるダンボールと、鍋があるぞ?
大量のカレールーと、カレーの入った鍋だ。
わかった!酒に酔った俺は、ホームレスにカレールーを配ろうとしたんだな。
状況を整理しようとしたその時だった。
「うわっ!!」
竪穴住居の入り口に、口ひげをたくさん生やしたの初老の男が立っていた。頭はボサボサ。体はガリガリ。着ているものも薄汚れてボロボロだ。
きっとこの竪穴住居のホームレスだ。
「あのー、すみません、オレ酔っててここで寝てたみたいです。お詫びにカレー置いて行きますね」
怖くなった俺は、カレールーを置いて一目散に逃げようとした。そのとき。
「あがばばごだだざべばぶぎがーーーーッ!」
初老の男が叫んだ。
「ぴゃっ!」
思わず変な声が出た。怖え。怖ええよ。ホームレスをすり抜け、竪穴住居を出て外へ出る。
「なんじゃ、ここ……」
顔を上げると、同じような竪穴住居が点々と並んでいる。奥には田んぼだろうか。水が朝日を反射してキラキラ光っている。あたりを見渡すと、林を壁とした小さな集落のようだ。
人がわらわらと出てくる。
教科書で見たことのある縄文人か弥生人かという格好をしている。
撮影所にでも来てしまったのだろうか。それとも、いま流行りのタイムスリップ……?
「だだごばばんば!」
怒った声で初老の男が近づいてくる。
他の住民も30人くらいだろうか。
稀有なものを見る目で俺を見つめている。
よくわからないけど、いまの俺の武器はカレーとカレールーだけだ。
最悪な状況だ。しかし、最高の状況でもあるかもしれない。
バーモンノカレーのウマさは、人類皆共通だ!
「あの!良かったら食べてみませんか?」
「?」
初老の男は、いぶかしげな警戒するような眼差しで見つめてくる。
「えーと、イットイート……って英語じゃダメか。食べて!食べて!」
なんか皿はないかな?
そのへんに落ちていたフチの欠けた陶器に鍋に入っていたカレーをのせる。
異文化コミュニケーションには、まずは自分が食べてみせるのが鉄則のはずだ。陶器に入ったカレーを食べる。ウマいっ!鍋に入っているのは、俗に言う「2日目のカレー」だ。
「どうぞ!」
俺は初老の男にカレーを差し出した。
初老の男はカレーの入った陶器を怪訝な顔で受け取って指でぺろりと舐めた。
どうだ?バーモンノカレーはうまいだろう。
「あががばばびどどぐぐう!」
「へ?」
住民の屈強な男5、6人から鉄器製の槍で囲まれた。
初老の男は「毒を盛られた!」と言っているようだった。
男の舌には辛かったのだろうか。
そのとき、颯爽と俺に近づいてきた女の子がいた。16歳くらいの若い女の子だ。女の子は凛とした姿勢で「皿をよこせ」という手ぶりをした。
「はい、どうぞ」
陶器に新しくカレーをそそぐと、女の子は受け取ったカレー皿を一気に飲み干した。
村の男はみな「あばが」と言って何とも言えない声をあげた。
「こばし」
なんとなく、女の子は美味しいと言っているのだろう。女の子はとても良い顔をしていた。
それから、住民たちはカレー鍋に人が殺到した。
「はいはい、並んでねーっ!」
あっという間に行列ができて、カレー鍋のカレーはなくなってしまった。
最初に味見してくれた女の子は、いつの間にかお皿の用意などのアシストをしてくれていた。
なんとなく、俺はこの女の子に安心感を覚えていた。
鍋の中身がなくなったのを住民に示すと、集落の厨房のような場所に連れてこられた。初老の男は俺にカレーをもっと作れというようなことを言って去っていた。
「さて。新しく作らなきゃ。材料、あるかな?あと、お米もあったほうがカレーは美味しいんだよな。あるかな?おこめ」
「おこめ?」
「あの、田んぼから収穫されるやつだよ。コメ」
俺は田園を指差しながら言った。
「くめ?」
これのこと?とでも言いたそうな仕草で、女の子はコメを見せてた。玄米だ。しかもなんだか粒が小さい。炊飯器がなくて俺に炊けるだろうか。
悩んでいると、
「あっぴてとうーぅ」
女の子が私が炊くからいいわ、とでも言っているような手振りをした。郷に入りては郷に従え、だ。玄米を俺が炊くのは諦めた。
「これ、よろしくね」
俺が笑顔を見せたら、女の子は笑顔になった。ちくしょう。弥生系女子、かわいいぜ。
女の子はこの集落では人気のようだ。健康的な眉に、黒い大きな瞳。小麦色の肌。細くも太くもない身体。長い髪を耳元で巻き上げている。女の子と仲良くしていると、屈強な男たちの視線が痛い。
女の子は家族からイスズと呼ばれていた。
「えーっと、イスズ……、ちゃん?カレーの材料を探したいんだけどなんか良い野菜ないかな?」
名を呼んで見つめると、イスズの顔がみるみる赤くなった。
あれ?これって、なんだ?えーと。その。
イスズは視線を下にはずして、モジモジとしながら恥ずかしがった。
「ならだとぴせ…だま」
イスズは厨房から飛び出して行った。
なんて言ってるかわかんねーよ!
なになに?なんか地雷踏んじゃった?
しばらくすると、イスズは帰ってきた。
たくさんの山菜とドングリ類、なんの動物の肉かわからない肉を抱えていた。ウサギ……かな?
じゃがいも、人参、玉ねぎ……なんてありそうになかった。
うんうん。この状況。スーパーなどはなさそうだし、しかたない!
バーモンノカレーの包容力を見せてあげよう。
鍋に食べ物を入れて水を入れる。
コンロはないので二本の木の棒に鍋を吊るして焚き火をあててグツグツ煮る。
ルーを入れてまたしばらくグツグツ煮たら完成だ。
あるだけの食材で作ったカレー。
どんな材料をも家庭のカレーとして昇華してしまうバーモンノカレーは尊い。
できた弥生カレーをひとくち味見する。
食材は山菜とドングリとウサギで十分だ。むしろ、コンロで煮るよりもおいしかった。直火だからか。まるでキャンプのときに食べたカレーのようだ。弥生カレーは絶妙なハーモニーを奏でていた。
味見をした皿にもう一度カレーを注いで、イスズに渡す。
「美味しいよ、食べて!」
イスズはコクリと頷いて丁寧にカレーをすする。イスズの薄い唇にカレーが流れこむ。
「よせち」
イスズはぱっと笑顔をみせた。
健康的な八重歯がのぞいた。
可愛いな。誰かからこんな屈託のない笑顔を与えられたのはいつぶりだろう。
その日は日が暮れそうだったで、イスズは家に帰った。
俺は初老の男の家に居候させられることになった。
土の上にゴザのようなものを敷いて、ゴザのようなものを掛けて眠った。
ここの集落の夜は本当に真っ暗だ。
電気もない。そりゃ当たり前か。
というか、ここどこだよ。何時代だよ。
俺の適応力の高さに感服する。
いや、半分くらいバーモンノカレーのおかげだけど。
翌日も弥生カレー軒は大盛況だった。
集落の住民はよそ者の俺に豊穣の舞なんかも披露してくれて、まるでお祭りだ。
イスズもアシスタントととしてよく働いてくれていた。
俺がイスズを「イスズ」と呼ぶと、住民は冷やかしてきた。
イスズはまんざらでもないしぐさをしていた。
どうやら、家族以外で名を呼ぶのは人生の伴侶だけらしい。つまり……?
集落の風習も言語もまだまったくわからない。
しかし、ネット通販のカレールーがどんどんなくなっていったのは痛快だった。
誰かに食べさせることがこんなに楽しいものだったとは。
「ぎっ!」
その日、作業の合間にイスズが俺のために用意してくれた一杯のカレー。何か固いものが入っていた。口から取り出したのは、エメラルドグリーンの石ころ。
勾玉……?
これって、あの、結婚指輪を食べ物に忍ばせる的なアレですかね?
ふとイスズを見ると目が合った。イスズは顔を赤らめてすぐに視線を右下にはずした。そして何事もなかったように作業に戻っていた。
俺は勾玉をポケットに入れた。
俺は、カレーの神様のご縁で、この時代に生きるのかもしれない。
イスズを妻に?
確かにイスズは可愛い。
気がきくしよく働くし健康的だ。
集落の男から人気なのは頷ける。
しかし。
俺は見てしまったのだ。イスズの手や足には毛が、生まれたままの自然な体毛が生えている。現代人とは違う美的感覚。俺は受け入れられるのか。
1週間くらいだろうか。
イスズとカレーを作る日々が続いた。
毎日がカレー祭りだ。
残り少なくなったカレールー。最後のルーを使えば、集落での俺の立場は用無しだ。
俺は、焚き火の番をしているイスズに言った。
「もうすぐカレールーがなくなる。カレールーがなくなっても、俺と一緒にいてくれるかな」
イスズはとびきりの微笑みを見せてくれた。もちろん意味は伝わっていないだろう。
最後のカレールーを使うときがきた。
このカレーができあがったら、俺の気持ちをイスズに伝えよう。
俺はきっとこの集落で、ここにある材料だけで、カレールーの調合をして生きる。
イスズとともに。
最後のルーをグツグツと煮えたぎる鍋に入れたその時だった。白い湯気とともに俺の意識も混ざり消えた。
カレールーが溶けるように俺の精神も肉体も溶けていくような感覚。
カレーの神さまは残酷だ。
***
俺は片手にワンカップ焼酎の空き瓶を持った状態で、ワンルームアパートに戻っていた。カレー鍋とカレールーは、ない。
「イスズ!」
返事はない。
イスズのことは、夢だったのだろうか。
でも、はっきりとわかる。
イスズが俺のカレーに口をつけた瞬間から、俺はとっくに恋に落ちていたんだ。
ワンカップ焼酎の空き瓶に、見覚えのある緑色の石が入っていた。
イスズの勾玉だ。
カレーの神さま、お願いします。
もう一度、あの娘に会わせてください。
台所から物音がした。
「きゃん!」
台所を確認すると、コンロの上に人が乗っていた。毛深い女の子の生足。
イスズだ!
コンロの上でむくりと起きあがったイスズは、カレー鍋を抱えていて、キョトンとした顔をしていた。
神さま!
再会に感動した俺は、イスズを思わず抱きしめていた。
イスズが現代社会に居るには、戸籍とか言葉とか学校とかいろいろいろいろ問題があるだろう。
しかし、そんなことはどうだっていい。
俺は神に感謝した。
「おれ?」
そうか。俺はいつも俺のことを俺と言っていた。名前もまだ教えていなかった。
しかし、そんなこともどうだっていい。
「ああ。オレだ。イスズ、好きだ。ずっと一緒にいよう」
もう一度、俺はイスズを抱きしめた。