このことを忘れた者には死を与えます
廊下を少し進むと、この元学習塾が健在だった頃に、教室として使われていた部屋がある。
石田氏がその前で立っていて、タバコなど吸っていたが……僕とルナの姿、とりわけルナの姿を見て、慌てて廊下にタバコを捨てた。
「中で喧嘩になってるな」
足でタバコを踏みにじりつつ、他人事のように言う。
そんな……通りすがりの猫でもわかるようなこと言われても。
「なんで石田さんは廊下にいるんです?」
「マスターを待っていたに決まってるだろ。だいたい、俺はガイキチ共は嫌いでね。巻き添え食いたくない」
現在進行系で汚職警察官なのに、なかなか笑える返事だった。
「……まあ、いいですけどね」
石田氏からボストンバッグを受け取り、僕は肩をすくめる。
おもむろにスライドドアを引き、中へ入っていく。
背後からルナと亜矢がついてきたが、ルナの「あなたは、しばらくわたしから離れてて!」という声を聞き、くすっと笑ってしまった。
しかしまあ、せっかく広々とした教室なのに、この殺伐としたことはどうだ?
警官らしきグループの真ん中にこの街の警察署の署長が立っていて、ヤクザ関係者らしきグループに向かって、ガンガン喚いている。
喧嘩は今や、ヤクザ対警察に様変わりしたようだ。
もちろん、警察だからといって、ヤクザさんもしゅんとしたりはしない。
あと、残りの良識ある生徒さんやその他は、遠巻きにして眺めていた。
「貴様達、まさか計算して使徒になったのではあるまいなっ」
「はあっ? ボケてんのかおっさん」
「お、おっさんだと! わしを誰だと思って」
「もう関係あるかっ」
サングラスと白いスーツという、いかにもな格好の上級ヤクザ(仮名)が、べっと教室に痰を吐く。うわぁ。
「俺達の盟主は元からサツなんかじゃないが、今や人間なんか超越した方だっ。サツがどうした、こらっ」
うむ、と僕は一人で頷く。
ここに集う者達は、石田氏を除いて誰もルナと直接会ってないが、事情は全員に僕が説明しているし、電話でルナに簡単な挨拶もさせた。
それだけでも、ちゃんと使徒だって自覚は出来ているわけだ。
結構、結構。
……それはそれとして、この馬鹿騒ぎは頂けないな。
僕は空いた席の椅子を一つ掴み、廊下側の窓に向けて思いっきりぶん投げた。
これなら、椅子は廊下に落ちるし、破片も外に飛び散らない。
……と思ったけど、既にヴァンパイア化した僕の腕力は以前とは大違いで、ドガャアアアアンンッなどという、言語道断な破壊音がした。
当然、唾を飛ばして喚いていた連中はもちろん、静かに眺めていた一般人さん達まで、ぎょっとしたようにこちらを振り向いた。
教室が静まり返ったことは、言うまでもない。
僕は彼らの反応を無視して、悠々とバッグのチャックを開け、適当に武器を見繕って手にする。……お、マイクロウージーか。いいな、これはお気に入りだ。
単発じゃなくて、連射も可能なサブマシンガンだし。
微笑して、早速、安全装置を外しておく。
弾はもう詰めてあるので、弾倉だけ何個かベルトに差しておいた。
「お、おいっ。なにする気だ?」
白スーツのヤクザさんが張り詰めた声で尋ねた。
「……別に。ただ、なんとなくこうしたい気分なんです。でも、いつでも撃てるようにしたし、気分次第で貴方を蜂の巣にするかも。……使徒と言えども、なかなか痛いですよ?」
僕は独白のように言い放った後、ようやく顔を上げた。
「余計な騒ぎは控えてください。今日は貴方達が仕えるべき女性も来ているんですから」
僕がルナの方を見ると、彼女は悠然と歩を進め、僕の横に立った。
ルナの人間離れした美貌と堂々たる態度は、こういう時にはひどく効果的かもしれない。
育ちのせいか、絶対に一般人には真似できないものがある。
「まず一番最初に、あなた達に告げます。これは、とても大事な命令です」
元が貴族でもあるルナは、当然のように述べた。
そしてそれがまた、ごく自然体である。マスターとしては、実に頼もしい。
ただ、言葉の後に僕の腕にそっと自分の腕を絡めた……これは余分じゃないかな。
「わたしと同じく、この八神君の言葉にも、きちんと従いなさい。八神君を軽く扱うことは絶対に許さない。この人の命令はそれがどんなものであれ、わたしの命令と同じと知りなさい。このことを忘れた者には死を与えます――いいですね?」
冷酷そうな表情でぐるっと見渡すと、亜矢と僕を除く全員が――その場で恭しく跪き、頭を垂れた。
よろしい、なかなかよい顔合わせになりそうだ。




