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僕がいない世界に、彼女が取り残されることだけはない

 吸血した時間は数秒くらいだったろう。


 鮮血の味というと、鉄さびに似たような味かと思ったんだが……今の僕には全然違う味に感じた。まるで、極限にまで凝縮された美味さのエッセンスみたいなもので、どんな味かと訊かれても、妥当な形容を思いつかない。


 ただ……確かにこれは、相当な精神力で制御しないと、病みつきになるだろう。

 ヴァンパイアが恐れられるのも、当然だ。


 だから、数秒で身を離したことに対して、自分を褒めてやりたかったほどである。





「……でも、まさか亜矢まで気持ちよさそうにしてるとは思わなかった」


 僕と同じく頬を紅潮させた亜矢を見て、僕は首を傾げた。

 目がいつも以上にトロンとしているし、どう見ても吸血を喜んでいるように見える。

 おまけに足に力が入らないのか、座り込んだばかりの椅子から立とうとして、ガクガク身を震わせた挙げ句、またとさっと座ってしまった。


 僕がルナに吸血された時は、別になんともなかった気がするんだが。


「大丈夫……だよな? どこか具合が悪いとかある?」

「い、いいえ……ただ……吸血して頂いた瞬間、頭の中でなにかが爆発したように……弾けてしまい」

「なにが弾けたのかな?」


 僕がそっと尋ねると、亜矢はいつもの冷静さが消え、潤みまくった瞳で見返した。


「……か、歓喜が……です」

「えぇーーっ」


 それは……ちと大げさなような。

 しかし、亜矢は僕に対してのみ、通常とは違う反応を見せるのも確かだ。

 だから吸血がどうのより、「吸血されて守さまの使徒にして頂いた!」という事実に、歓喜したという意味かもしれない。


 それでも、僕が「大きく深呼吸してみて。それを何度も繰り返す。そうしたら、段々落ち着いてくるよ」と指示してやると、律儀にすぐさま実行し、ようやくいつもの冷静さを取り戻してくれた。


「ご迷惑おかけしました。もう大丈夫です!」


 ゆっくりと立ち上がり、輝くような笑顔を見せる。




「改めて……使徒としての私も、よろしくお願いします」


 深々と一礼した後、「これで、守さまがいない世界に取り残されることだけは、絶対に有り得ません。数年来の心配事が、そっくり消えましたっ」なんて、夢見る少女みたいな表情で言ってくれた。


 もちろん彼女の場合、お愛想ではなく、本気で言ってるのである。


 そういえば、通常はそうなるはずだな、ヴァンパイアが噛んだんだから。

 僕が死ねば、亜矢もその瞬間に死ぬ。確かに、僕がいない世界に彼女が取り残されることだけはない。

 ……その逆は有り得てしまうけど。


 最初に頼みごとをされた時は、まさかここまで深い関係になるとは思わなかった。

 だけど僕は亜矢の額にキスして、新しい人生を祝ってあげた。

 その方が、亜矢が喜ぶだろうから。


「僕は身内には優しいんだぜ? 万事、僕に任せてくれ」

「はいっ」


 やたらと元気になった亜矢を従え、僕はようやく最上階を目指した。





 最上階の控え室は、元は塾の講師が授業時間まで休憩する場所である。

 ノックしてからそこを覗くと、すぐにルナが立ち上がった。

 ……のはいいが、僕と亜矢を見比べた後、大きく息を吸い込む。


「その子、使徒化したの!?」


 まさか、一発でバレるとは思わなかった。

 でも、今の雲の上を歩くような表情の亜矢を見れば、誰でも異変くらいは感じるか。


「まあ、本人たっての希望で」


 僕は肩をすくめて、愚にも付かない言い訳をする。


「それに、忠臣に等しい彼女が不死身化したら、僕としても心強いからね。別に盾にする気はないけど」

「いえ、盾にしてくださった方が嬉しいですっ」

「いや、しないって!」


「はぁああああ」


 僕らの愚にも付かないやりとりを聞いて、ルナは深いため息をついた。


「まあ……八神君の身の安全を思えば、使徒が大勢ついてくれた方が心強いのだけど……できれば、男の使徒の方がよかったかも」

「いや、それは僕がちょっと異議を唱えたい」


 大真面目に反論した途端、隣ででっかい喚き声が聞こえた。




『んだと、こらっ。やんのか、おうっ!?』

『やかましいっ。てめぇ、どこの組のモンじゃいっ』


 そして、大勢が叫ぶ声と、悲鳴も。


「……メンツにヤクザがいるとはいえ、少しくらい大人しくできないものかね」


 僕は顔をしかめて嘆息したが、それでもルナに向かって手を差し伸べる。


「なにはともあれ、あんなでもルナの臣下達だ。さあ、行こうか」

「わかったわ」


 気を取り直したのか、ルナが僕の手を取って立ち上がる。

 ただし、亜矢の件は二人きりになった時に、また改めていろいろ言われそうだ。


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