ノーブラの件か?
タフな男もさすがに呻いて動きを止めたが、辛うじて僕を振り向いて睨みつけた。
「貴様……わかっているのか……こいつは……化け物だぞ?」
両足がガクガク震えているし、囁くくらいが関の山で、もはや動く気力はないらしい。
気でも狂ったか、と言いたそうな目つきだった。
「化け物じゃなくて、ヴァンパイアだろ?」
銃を構えたままで、僕は言い返す。
「同じ……ことだ……馬鹿め」
軋むような声と共に、男の手からぶっそうなナイフが滑り落ちる。
「人間のくせに……どうなっても知らん――」
最後の力を振り絞って言いかけたが、そこまでだった。
「――邪魔よっ!」
展開の早さに呆然としていた吉岡が我に返り、男を片手で押しのけたのだ。
本人が剛力のせいか、痩身の男は軽々と吹っ飛び、割と遠くに倒れた。もはや動かない……万一、まだ生きているとしても、もう虫の息だろう。
そもそも撃たれた時点で勝負はついていて、あそこで動けるくらいなら、僕を振り向く手間などかけなかったはずだ。
そして吉岡当人は、もはやハンターなど見向きもせず、初めて見せる感激の表情で僕の眼前に立っていた。
今にも胸に飛び込んできそうに見える。
この時ばかりは、かなり普通の女の子に見えた。
「ありがとう! とても意外で……そして、とても嬉しかったわっ」
「どう致しまして。吉岡のためなら、軽いもんさ」
わざと調子のいいことを述べると、僕は拳銃をベルトの背中側に挟み込む。
セーターで隠せば、まあ大丈夫だろう。
それから屋上の手すりまで行き、ささっと周囲を見たが、暗い街はしんと静まったままだった。そもそもこの近辺はビジネス街の外れにあたるので、住人自体が少ないお陰だろう。
発砲したのはまずかったが、聞いた瞬間に「これは銃声だっ」と思う日本人は、実は少ないはずだ。おまわりさん御用達であるニューナンブの銃声は、予想よりは小さかったし。
とはいえ、とっとと逃げた方がいいに決まっている。
僕はぼおっとこちらを見たままの吉岡に、「そろそろ引き上げないか?」と声をかけた。
後はあの死体だが――
「あのね、や、八神君」
死体のそばに駆けつけた僕に、ついてきた吉岡が言う。
「あの……もしもの話だけど」
いつも冷静な吉岡が、頬を赤くしている。
「もしもわたしを守ってくれるなら……今後わたしは、貴方のものになるわ」
夜空に輝く満月をバックに、彼女は決然と言った。
冗談ごとではなく、彼女にとってはとても大事なことを持ちかけているのだと、さすがの僕にも理解できた。
僕達のそばには、今度こそ死体になったらしいハンターが横たわっていたが、僕も彼女も、多分あまり気にしてなかった。
「……喜んで引き受ける」
手を差し伸べると、彼女はゆっくりと近づき、僕の腕に中に抱かれた。
長いまつげを伏せて、そっと囁く。
「契約は成立したわ……今からわたしは、貴方のもの」
彼女の髪の香りが濃く立ちこめ、僕は思わず目を閉じた。抗議する気はさらさらないが、恐るべきことに、この子の制服の下はノーブラだった。
抱いた時に感じた胸の感触でわかる。
――次の瞬間、腕の中で吉岡が「あっ」と声を上げた。
「どうした?」
ノーブラの件かと思ったが、違った。
目を開けた僕は、脇に転がった死体が少しずつ薄れていくのを見てしまい、自分も唸り声を上げた。
今や、死体を通して屋上のコンクリートが見えている。
僕らが見守る中、ハンターとやらの死体は瞬く間に全て消えてしまった……自分が流した血ごと、綺麗さっぱり。