人を殺すために、一番大切なことはなにか?
(一般市民が撃たれる可能性が、今この瞬間に爆上げしたな)
心の中で、有益な忠告をしてくれた義妹に謝罪しつつも、僕はそのまま屋上へ入った。
吉岡が本当に僕を殺す気なら、今から逃げても手遅れのような気がするし――それに、あの銃が僕を殺すためのものと決まったわけでもない。
既に足元の死体に使った後かもしれない。
それでも念のため、近付いた僕は彼女にお願いしておいた。
「もしもその銃で僕を撃つ気なら、ここかここで頼むよ」
人差し指で自分の頭をとんとんと叩き、次に心臓部分をセーターの上から叩く。
「どうせ死ぬなら、痛みがない方が嬉しい」
「……えっ?」
吉岡は「今気付いたわ」みたいな表情で右手の銃を見やり、慌てて手を下ろした。
「ああ、これは違うの。制服を着た……この国の治安維持官みたいな人から、倒れてるそいつが奪ったらしいわ。前に無くしたハンターガンの代わりかしらね? どのみち、撃たれる前にわたしが始末したけど。本来は、生け捕りにする予定だったのに」
言い訳を聞きつつ……僕は笑いが込み上げてくるのを堪えた。
疑り深い僕は、どうやらずっと勘違いしていたらしい。
警官を、「治安維持官」などと呼ぶ日本人は、まずいない。となると、吉岡があの地下廃墟で語ってくれた身の上話は、真実なのかもしれない。
「じゃあ、その武器を見せてもらっていいかな?」
死体を避けて彼女の前に立つと、吉岡は笑顔で渡してくれた。
「どうぞ……火薬式みたいだけど、わたしにとっては、警戒するほどの武器じゃなかったわ。欲しかったら、八神君にあげる」
「いや、もらっても困るんだけどね」
上の空で銃をあちこち調べる。装弾数五発。まだ一発も撃たれていない。
銃口を嗅いでみたけど、特になにも臭わなかった。
「となると、前に聞いた話からして、こいつはハンターとやらかな?」
僕は、夜空を仰いだまま転がっている、長身の死体を見下ろした。
裾の長い、恐ろしく古ぼけた黒コート姿だったが、髪は金髪で日本人には見えない。まるで猛獣の爪で抉ったかのように、数本の深い傷が肩口にあった。
「そう。昨日、やっとここに潜んでいるのを見つけたところだったの。運が良ければ、こいつが最後の一人かも」
吉岡は、目を細めて僕を見た。
「前に話したことは、かなり信じ難い話だったかもしれないから、こいつを見せて嘘じゃないとわかってもらうつもりだったのよ。だから、貴方が来る前に拘束するつもりだったけど……結局、殺すしかなかったわ」
「そういえば、追っ手がいるって言ってたねー。その説明は改めてしてもらうとして、今はちょっと待って」
僕は顔をしかめてしゃがみ込もうとした。
なぜなら、問題のハンター氏の右手が、まだコートの懐にしっかり入ったままなのに気付き、不審を覚えてたからである。
――ここで急に話は変わるが。
人を殺すために、一番大切なことはなにか、わかるだろうか?
それは殺人の技量でもなければ、武器の精度でもない。一番大事なのは、殺す必要がある時に、一切の迷いを見せないことだと僕は思っている。
相手が本気だったら、一瞬の躊躇が即座に死に繋がるだろうから。
ガキのくせに、僕は日頃から「多分、僕の場合は必要な時が来れば迷わないだろうな」と思っていた。
正確には、僕がそう思うようになったのは、三年前からだけど。
しかし、どうやら僕の覚悟が本当に試される時が来たらしい。
なぜなら、そいつがいきなりかっと目を見開き、懐からゴツいナイフを出して飛び起きたからだ。
死んだ振りをしてたそいつは、敵は吉岡のみだと思っているのか、ナイフを手に迷わず彼女に襲い掛かろうとした。
お陰で僕の眼前には、そいつの無駄に広い背中が丸見えである。
僕は一切、躊躇しなかった。
いきなり銃を持ち上げ、そいつの背中に連続で発砲した――幸い、外す距離ではなかった。