守の言葉は神託にも等しい
靴音がすぐそばで止まった瞬間、亜矢はポケットから抜き出した小型のアイテムを持って跳ね起きた。
それは、一見して小さな懐中電灯に見えるし、ちゃんと電灯としての機能もついているが――実は、小型のスタンガンである。
元々「亜矢は、普段から護身用具を持っていた方がいいな」と守に勧められ、専門店で購入して持ち歩いていたものだ。
今更だが、あの方はいつも正しい!
「な、なんだっ」
亜矢は無言で、驚いたように棒立ちになった青年の右腕を掴み、背中の方へねじ上げた。
それと同時に、首の後ろにスタンガンを突きつけ、問答無用でスイッチを入れた。
この防犯具には、素のままでは一瞬で人を気絶させる力などまずないが、当てる箇所によって効果は大きく異なる。
狙い目は、首筋と腰だよ――そう聞いた覚えがあるが、これも守の言った通りだった。
青年は断末魔の悲鳴かと思うような声を上げ、そのまま床に頽れた。
構わずにそのままスタンガンを離さずにいると、やがて痙攣したまま動かなくなった。
そこまでやってから初めてスイッチを切り、亜矢は代わりに持っていたハンカチで手早く彼を後ろ手に縛った。
ハンカチはあくまで緊急用で、もう少しマシなものを後で探せばいい。今はとにかく、制圧することが目的だった。
もしもここで第三者が見ていれば、亜矢の素早い行動と、黙々と必要なことをやってのける大胆さは、訓練されたものと映ったかもしれない。
確かに、(これも守に言われて)前に道場通いはしていたが、実際にこの場面で役立ったのは、武道の心得ではない。
ふとしたきっかけで前に守が語ってくれた「人を攻撃する必要が生じたら、一切、ためらっちゃ駄目だ」というアドバイスだろう。
「ためらうくらいなら、最初から他人を攻撃しようなんて考えちゃいけない」
……守は以前、そう教えてくれた。
亜矢にとって、守の言葉は神託にも等しいので、ただ愚直にその指示に従っただけにすぎないのだ。
とにかく、一時的に青年を無力化すると、亜矢は彼の武器を懐から抜き出し、それを持って祭壇まで行った。思った通り、祭壇上の机上に、亜矢の鞄があった。それと、神父が用意したらしき、ロープも。
せっかくなので有り難く使わせてもらい、今度は青年の拘束をさらに完全なものとしておく。念のため、足も縛っておいた。
そこまで終えると初めて、亜矢は鞄から自分のスマートフォンを出して守に連絡を入れた。
七~八分後、ようやく青年が気付き、目を見開いて亜矢を見上げたが、彼女は無視した。起き上がろうとして自分の足が縛られていることに気付いて何か言いかけたが、素早く彼の銃を向けて制止した。
「動かないで、そのまま俯せになっていてください。無理に起き上がろうとすると、無力化を考えないといけなくなります」
静かに宣告すると、相手は眉根を寄せたものの、とにかく動きは止まった。
亜矢の顔が冗談を言っているようには見えなかったためだろう。事実、冗談の気はまるでない。
「幸い、あの方は車で帰宅途中だったらしく、この近くにいらっしゃいました。だから、さほど時間を置かずに来てくださいます。後の判断は、その方次第ですから」
あくまでも守の名前は出さず、そう伝える。
顔をしかめた青年がまた何か言おうとしたが、不思議な形の銃を額に向けると、大人しくなった。そして、なおも待つこと五分……いきなり教会横手のドアが開いた。
守かと思って亜矢がそちらを見たが、入ってきたのが黒衣の神父じみた服装をした男だとわかり、ぱっと立ち上がった。
片足で倒れた青年の背中を踏みつけて固定し、銃は神父らしき中年に向ける。
「そのままゆっくり中へどうぞ。……余計な動きをすると、撃ちます」
「……やれやれ」
心底うんざりしたように、神父は首を振った。
「縛り上げようとした時に止めるから、こうなる。――それで」
ひさしの長い帽子の下から、じろっと亜矢を睨んだ。
「君には、本当に撃つ覚悟があるのかね?」
「十分すぎるほどに」
亜矢は冷静に即答した。




