貴女の記憶を少し覗くだけです
これがもし、吉岡だけの話なら別だが、今の彼女には、おそらく守も関わっている。
となると、迂闊に返事をするのは危険だし、このままこの男を帰すのも危険のはずだ。なぜなら、彼女を通して、守にもなんらかの被害が及ぶかもしれないからだ。
少なくとも、校門の脇で人捜しをするような男に、健全な用事があるとは思えない。
――という、実に彼女らしい考え方で一瞬でそこまで結論付け、亜矢はわざとらしく首を傾げた。
「うちの学校じゃないですけど、この人はつい昨日、見かけました」
「それは、まことですかっ」
独特の言い回しで、彼は身を乗り出す。
いきなり碧眼がぎらりと光ったのを見ても、吉岡を探す意図に黒いものを感じずにはいられない。
まあ、亜矢は吉岡については特になんの興味もない――。
どころか、守と一緒にいるのを見ると、亜矢には珍しく心が騒ぐのだが、とにかくその安否自体は、亜矢の優先事項ではない。
なにを置いても、まず守のことである。
そして、どうもこの男にはきな臭いものを感じる。結局吉岡だけではなく、回り回って守にも被害が及びそうな、そんな予感がするのだ。
だから亜矢は、素知らぬ振りをして、頷いた。
「ええ、確かに見かけました。だって、こんな目立つ人、あまりいませんし」
「ふむ。して、どこで見かけましたか?」
「今、思い出そうとしているんですが……なかなか」
額に手を当てて、亜矢は必死で思い出そうとする演技をした。
あわよくば彼の連絡先を尋ね、「思い出したら連絡します」と持っていくつもりだった。連絡先さえわかれば、後は一旦別れてから、守に報告すればいい――はずだったが。
しかし、さすがに奇妙な写真を持つだけあって、彼の言い分はふるっていた。
「失礼だが、私と一緒に来て頂けませんか? ここは人目に付きすぎるので、もう少し人気のない場所へ……記憶を取り戻す方法なら、私が心得ています」
……これはなかなか、普通人の返事の範疇を越えているのではないだろうか?
自分のことは棚に上げ、亜矢は素早く考えた。
相手が返事を待っているようなので、時間稼ぎのために「魔法とかですか、もしかして?」などと笑顔で言ってみる。
すると彼は驚いたように目を瞬き、こう言った。
「この世界には、魔法など存在しないと思っていましたが?」
「ああ……いえ、そうとも限りませんが」
魔法は知らないが奇跡は存在するし、奇跡の固まりのような方だって存在する。ただし、「普通の人」は、そうは考えまい。
つまり、これはいよいよ怪しい。
危険だけど、この際は彼が望むように人目のない場所へ移動しましょうか……と亜矢が思った途端、男の方から馬脚を現した。
つまり、着崩したスーツの懐から、見慣れない銃器を出して亜矢に突きつけた。
「申し訳ない……他の通行人の目につかないよう、移動してください」
「まあ」
亜矢は大いに慌てた様子を見せつつ、彼の指示に従って歩き始めた。わざとらしく震えて見せると、横を歩く彼がひどく申し訳なさそうにまた言った。
「貴女の記憶を少し覗くだけです。我々が探す相手の記憶さえ見れば、後は解放しますから」
「の、覗くって……どこでっ」
内心では落ち着き払っていたが、亜矢はあえて怯えきったように尋ねた。
「……近くの教会までです。縁があって、今はそこにお邪魔してますので」
では、そこに着いたら行動を起こしましょう。
亜矢は素早く決断した。
だが、あいにくその判断は間違いだった。男が自分達の背後を見て、驚き顔を見せたかと思うと、亜矢の耳にひどく短い言葉が聞こえた。
まるで詠唱にも似たセリフを聞いた刹那、彼女はその場で意識を失ってしまった。




