下着の色から、進路まで
僕が長話を終えて一息つくと、固唾を呑んで聞いていたらしい吉岡が、囁いた。
「それで……八神君はどうしたの?」
全く怖がっている様子はなく、むしろ興味津々の顔付きだった。
僕は意地悪く「はっは! 全部冗談さっ」とか言いたくなったけど、茶化すのはやめておいた。それにこれまでのところ、冗談どころか、まだ控えめな表現を多用していたほどだ。
「どうしたって? もちろん、調べたさ……転校はしたけど、別に何百キロも先じゃないし、亜矢とは連絡を取り合って。幸いその頃の僕は、『まだ通学せず、休んでいていい』ということで、家で待機状態だったしね。亜矢の母親を調べる時間は、たっぷりあった」
僕は笑顔で残りのコーヒーを飲み干した。
だいぶほろ苦い味がした。
「亜矢の父は既に亡く、問題の母親はデザイン関連の会社社長で、遠方に住む亜矢の祖母を除けば、分家筋が多い桜井一族で、一番の実力者らしかった。それを知った上で、わざわざ深夜に桜井家まで調査に行ったけど、亜矢の言う通り、彼女は虐待されていた……そりゃもう、ひどいもんだった」
あの晩、忍び込んだベランダ越しに見たことを、僕は詳細に思い出した。
「虐待と言われても、どれほどのものかあまり想像つかなかったんだけど、その晩の亜矢は、すっ裸に剥かれて柱に縛り付けられた挙げ句、竹刀で何度もぶっ叩かれていた。あれほどわかりやすい虐待も、そうそうないだろうね」
ついでに言うと、女の子の裸を見たのも、その時が初めてだったんだが……まあ、これは余計なことなので僕は黙っておいた。
「今すぐにも誰かが介入しなきゃ、亜矢が早晩殺されるのは、確実だったと思う。僕は当初、亜矢の祖母にまずこの現状を教えるつもりだったんだけど……現場を見てしまった以上、そのまま帰ることはできなくなった。だから、改めて屋内に侵入し、亜矢の母親と対峙した」
いつの間にか少し身を乗り出している吉岡を見て、僕は苦笑した。
「……ご期待に背いて悪いけど、別に僕があの母親を手に掛けたわけじゃない。彼女は確かに死んだけど、死因は事故死だったよ」
「事故死?」
意外そうに吉岡が言う。
「そう、事故死。別に言い訳する気もないからあっさり白状するけど、確かに僕には殺意があった。それは認める。しかし、あのおばさんはサディストのくせに、恐ろしいまでに根性ナシでね。僕がナイフ持って前に立った途端、脱兎のごとく逃げちまったんだ」
え、娘にそれだけのことをしたくせに、今更逃げるのかあんた?
と僕はむしろ、驚いたほどでさ。
……家から走り出た彼女は、後から僕が追いかけてくるのに気付いて、恐怖に顔を歪めた。
不幸なことに桜井家の屋敷は、他に住宅もないような辺鄙な場所で、彼女は国道へ向かってまっしぐらに駆け出し――そして、あろう事か道路に飛び出して、事故死した。
だから死んだのは僕のナイフが原因じゃなく、その時に偶然爆走してた、暴走族の集団が原因ってことになったわけだ。
「言うまでもないけど」
念のために、僕は吉岡に告げた。
「いくら直接の死因がそっちでも、僕が出て行かなければ、あのおばさんは事故に遭わなかった。だから、その点で言い訳するつもりは全くない。吉岡を殺そうとしたハンターを撃った時と同じく、あのおばさんは僕が殺したのも同然だ。悪いことしたとか1ミリも思ってないんで、自首する気なんかまるでないけど」
「そうね、八神君は全く悪くないわ」
吉岡も大きく頷いてくれた。
「相手は人間だし、そんな親が何人死のうと、気にすることないと思う」
ヴァンパイア少女の倫理観が、僕並にゆるゆるで有り難い。
「だよな?」
明るく笑って、この時は亜矢の話題はそこまでだった。
とはいえ、多分吉岡は、亜矢と僕の関係を本当の意味では理解していないと思う。
今の説明だけでは、とても理解が及ばないはずだ。
なにしろ僕本人だって、今朝再会するまで、「さすがにもう、僕はお役御免になった」と思っていたくらいなのだから。
……しかし、それはとんでもない誤りだと証明された。
だいたい三年前だって、亜矢は僕を追いかけてあっさり中学を移っているのだから、まさしく今更である。
相変わらず僕は、亜矢の人生全てに責任を負っているらしい。それこそ、毎日着替える下着の色から、彼女の進路まで。
ちなみに、僕の最後の指示を守っているとすれば、おそらく今日(金曜日)の下着は純白だったはずだ。




