なぜあの子は呼び捨てなの?
「本当にアイドルになれたって? まだあれから数ヶ月だと思うけど」
「はい。全ては守さんのお陰です」
亜矢は、満開の桜みたいに華やかな笑顔を広げた。
「冬休みの間にオーディションに受かりまして、来週に初ライブがあるんです。私はメインのおまけですけど」
報告してから、もじもじと亜矢が肩を動かした。
今更だが、中一の死にそうなあの頃に比べて、今の「女子力」の爆上げっぷりはとんでもない。
アイドルになれました、とか聞いても「まあ、この子ならなぁ」と普通に納得できるほどである。
ただ、次の瞬間亜矢に、「ライブ……観に来てくだいますか?」と訊かれた時、返事に苦慮した。
「その時に用事なければ行くよ。せっかく、亜矢の努力が実ったんだしな」
「いえ、とんでもありません。全ては守さんのご指導のお陰です。他のこと同様、この恩義も一生忘れません」
……そういうことを大真面目で言うから、困るんだが。
「いやいや、亜矢がアイドル適性あったからさ」
だいたい亜矢の場合、僕の提案に乗って駄目だった場合は、「ああっ。私の努力が足りなかったばかりにっ」とか「私が守さんのご期待に応えられなかったのは、守さんへの信頼心が少し足りなかったせいだわっ」とこれも本気でそう思い、全部自分のせいにしまうのだった。
つまり、どちらに転ぼうと、僕は感謝されるか謝罪されるかしかない。
……宗教の教祖じゃないんだが。
考えている間にチャイムが鳴って、亜矢はまた一礼した。
長い髪がさらさらと流れて、よい香りがした。
「では、守さん。お先に失礼しますね……高校生活も、よろしくご指導お願いします」
前に十分に言い聞かせたので、噂にならないよう、亜矢は素早く先に引き上げた。
「はああああ」
思わず息を吐くと、背後で低い声がした。
「……どういう娘なの」
「おっとお!」
さっと振り向くと、屋上へ出る扉の前に、吉岡が定子のごとき目つきで立っていた。
つまり、僕の真後ろである。
いつからそこにいたのか、さっぱりわからない。
これも特殊能力らしい。
「さすがの僕も、ちょっと驚いたかな」
吉岡は、全く笑わなかった。
さらに低い声で同じことを訊かれた。
「それで、どういう娘?」
きゅっと眉根を寄せる。
「……だいたい、なぜあの子は呼び捨てなの?」
「いや、本人の要望なんで。これでも、妥協したんだ」
僕は両手を広げて言い訳する。
「最初はあの子、『奴隷扱いでお願いします』って、大真面目に僕に懇願した……大苦労して、それだけは回避したんだ。まあ、一種の病気でな」
「……病気?」
吉岡が美しい切れ長の目を細める。
パトカーに乗せられて連行途中の、見え見えの詐欺師を見るような目つきだった。
「そう、真面目に病気だ。依存性パーソナリティー障害より、数段上のひどい症状。自分が見出した特別な誰かに、全てを委ねようとしてしまう。……とにかく教室へ戻ろう。お望みなら、放課後にきっちり説明するよ」
「ぜひそうして」
階段を下り始めた僕にやむなく並びつつ、吉岡が念を押す。
「それから、わたしのことも、今後は月夜と呼んでね」
「……その件についても、後で話し合おう」
勘弁してくれ、と言いたいのを堪え、僕はそう答えた。
この妥協心が、そもそも駄目なのかもしれない……今更、遅いが。




