恋に落ちた日
「事件の概要」は第一話と一緒にしました。
こちらは「新」2話です。
憲兵隊詰所は石造りの建物なので、全体的に質素だ。
タインと付いて入った聴取室も、基本は変わらない。
ただ、逃げられぬよう 、窓は小さく鉄格子が嵌められ、扉も容易く蹴破られないように重たい金属で出来ていた。
キイ……バタン。
灯りが揺れる。
音をたてて閉まる扉を背に、セリアは部屋の中央を見る。
両サイドに見張りの隊員を従えて、男が椅子の背もたれに両手を縛られながらうつ向いて座っていた。
「奴がハインツです」
案内した担当者が説明すると、タインは頷いた。
男と対面になるよう、一定の距離を置いて置かれた椅子に彼は座り、セリアはその後ろに立って紙と筆記用具を準備する。
タインも己の膝に紙と筆記用具を用意し始める。
その間、セリアは容疑者の男を観察した。
拘束時、全身が血まみれであったとの事だが、流石に身を清められ生成りの服に改めさせられていた。
体はさほど大きいわけではないが、隣に立つ兵士と同じくらいの鍛えられた体をしている。
肩で切られた袖から伸びる腕は、筋肉質でたくましい。
…ううん、兵士より、勇ましい感じがする。冒険者だからかな。
そんなハインツは、項垂れたままだ。
長髪ではないが、伸びっぱなしの髪は水を含んで垂れている。少し畝っているのは、生来の髪質なのかもしれない。
その前髪の間から見えるのは閉じられた瞳。
表情までは見えないから、彼が今、何を思っているのかはわからなかった。
「ーそれでは容疑者ハインツへの聴取を始めます」
意識を切り替えた。
セリアと壁際に控えた憲兵隊の担当者はタインの声を合図に、さらさらと書き始める。
早夏の月、7日、午前。容疑者聴取、第1回、と。
「この事案を担当する検察官は私。名をタインと申します。今、この場にいる者は名乗りを上げなさい」
セリアが検察官側として名乗りを上げれば、憲兵隊側も名乗ったので、それも書き記していく。
「……ハインツ。今回は先ほど名乗りをあげた者が立ち会い、聴取致します」
タインは規定に則った宣言をしたが、ハインツは反応しない。
セリアは、見習いが外れてから様々な聴取の現場に立ち合っている。容疑者の反応は様々で、ハインツがこのような態度でも気にはしなかった。
もちろん、先輩タインも同じ。淡々と言葉を紡ぐ。
「…本日は初回ですから、事実の確認のみ行います。本日早朝…」
タインは事件の概要を説明していく。
セリアは「タイン検察官、事件概要を説明」と書き記した。
「…現場には、被害者の他にはあなたしかいませんでした。発見時にあなたが剣を抜いていたこと、その剣や体には被害者のと思われる血が大量についていたこと、駆けつけた憲兵隊の拘束に抗議しなかったこと。これらが主な理由として、あなたを容疑者としています。……何か、言いたいことはありますか」
「………………」
「あの現場で、何が起こったのか、お話できませんか」
「………………」
「族が侵入した、ということはないのですか」
「………………」
「…あなたが、被害者に手をかけた、ということで良いのですか」
「………………」
タインはそれからも質問を投げ掛けるが、ハインツはぴくりとも反応しない。
さてどう攻め込んでやろうか、とばかりにタインが、頬に手をあて少し首をかしげた。
セリアはその仕草を知っていたので動かなかったが、知らぬ兵士は違う意味にとらえて反応してしまった。
「この…っ!検察官殿に、お答えせぬかっ!」
隣に立つ兵士の一人が乱暴にハインツの髪をつかんで引き、露になった顔に拳を叩き込んだ。
タインは思わず腰を浮かし、セリアが息を飲んだその前で、派手な音を立ててハインツは椅子ごと床に倒れた。
「なんてことを…っ!」
「おい!何をしている!」
慌ててもう一人の兵士が暴力を振るった兵士を取り押さえ、担当者がハインツに駆け寄る。
「あっ!頭を打っているかもしれません。急に起こしてはなりませんよ」
拘束を解くわけにはいかないのか、椅子ごと起こそうとした担当者を、タインは止めた。
「…申し訳ございません、我が隊の者が」
結局、ハインツをそのままにして、タインに向き合った担当者が詫びる。
「いえ。彼は彼なりに、私どもを気遣ってくださったのでしょう。しかし、暴力はなりませんよ」
「は。…おい、お前たちは外に出ろ。代わりの者を連れてこい」
もう、暴れる意思は見せてはいないが、件の兵士は大人しく同僚に抑えられたまま、二人そろって部屋を出ていく。
「いえ。今回は、これで終わりにしましょう」
「よろしいのですか」
「ええ。彼を見ても、これ以上はなにも望めぬでしょう。それでですが…」
タインは少し考える風に一瞬視線を下げた。
「代わりの方が来られるまでは離れられませんね。しかし、ここでは……。廊下に出ましょう。」
聴取室の扉を全開にし、担当者を促してから、タインはセリアを見た。
「セリア。あなたはここで彼を見ていなさい。我々は外で少し話をしますが、様子がわかるように扉は開けて起きますよ。今更暴れるとは思いませんが、安易に近づいてはなりませんよ」
「はい」
タイン達が部屋出たのを見て、セリアは紙と筆記用具を持ち運びしやすいようにまとめる。
ぼそぼそと部屋の外から二人の声が聞こえるが、内容ははっきりと聞こえない。
気にしても仕方ないので、言われた通り、ハインツを見張るべく向き合った。
変な感じだった。
部屋の中には、自分と男の二人きり。
たが、男は椅子に拘束されたまま倒れている。
しかも、なすがままにといった風に身を横たえ、ぴくりとも動かない。
流石に大丈夫かと不安になって、ちょっとだけ近づいて、ようやく露になった男の顔をうかがい見る。
無精髭に覆われた、日に焼けた肌の男は、やはり目を閉じていたが、よくよく見れば、唇がほんの少し開いて呼吸をしているようだった。胸も上下に動いていて、生きてはいるようだと、セリアは安心する。
しかし、どうしてここまで反応を見せないのか。
じっと男の顔を見ていると、兵士に殴られた側のこめかみから目元へと、じわりじわりと血が垂れていくのに気づいた。
「!」
見張りの兵士は革製ではあったが籠手を身に付けていた。何らかの理由で、傷を付けてしまったのかもしれない。
セリアは思わず懐から手巾を取り出して、男に近づいた。
男の顔を覆う髪をかき揚げ、血がにじむ傷口付近に手巾を押しあててから、タインの忠告を思い出してヒヤリとしたが、男が無反応のままであったから無視する事にした。
「………………」
「………大丈夫ですか」
少し調子に乗って、声をかけてみた。
もちろん、男は反応を返さない。
「あなたはまだ、容疑者です。先程は手荒な事をして申し訳ありませんでした」
ナイハチムの町は、比較的穏やかな町だ。
セリアはタインから、容疑者であれど、罪が確定するまでは軽率な扱いをしてはならないと教わっている。
他の町では、そうはいかないこともあろうが、今のところ、それは出来ている。
「もう、終わりですよ」
途端、ぴくりと男は反応を見せた。
セリアは驚いて、男の顔の前の床にもう片方の手をつき、顔を寄せた。
ゆっくりと開かれる男の瞳。美しい青色をしていたが、なにも写していないようだった。
「………終わり?」
初めて聞く男の声。
随分と口を閉ざしていたせいか、かすれぎみだったそそれは、何故かセレスの心をぞくりと震わせた。
そう、今日はもう終わり。
手荒な扱いをしてしまった彼を、医師にみせて休めるよう、タインは手配するだろう。
ざわついた心に気づかぬふりをして、男の問いに答える。
「……ええ。もう、終わりです。だから、この後は、ゆっくりと休んでください」
「……いいのか」
「はい。休んでいいですよ」
どこかうつろだった男の瞳に意志が宿る。
そして、セレスの目と視線がひたりと当たった。
「わかった」
そう言うと、床についたセリアの手に、まるで子供のように男は頭をすりつけてきた。
驚いて凝視したまま固まるセリアから見えるのは、男の口元だけ。
ほんの少しの時を置いて、すりつけられた手に水を感じた。
ー涙?
途端、男の口がほんのりと笑った。
そしてその瞬間、気づかぬ内に、何かに心を掴まれていた。