第三十三話
『よろしければ、わたくしをアンリ様に仕えさせていただけませんか?』
昼間の衝撃的なセリフが、気付けばまた脳裏に浮かんできてしまっていた。
……意味が分からなかった。
最初はただ単に、コドクに気がついた人がいたようだったから、話しかけてみただけだったのだ。
なのに……いきなり、メイドとして仕えたいだなんて言い出してきた。
「……やっぱり、学校に行くなんて、早すぎたかもしれない」
「うーん、早いと言えば早いんだけど……でもまあ、流石にあれは予想できないわよ」
「怖くて逃げちゃったけど、大丈夫、かな……」
「アンリが逃げたいって思ったんだし、それでいいんじゃない? 相手も随分非常識だったんだから、こっちが非常識でも文句ないでしょ」
そうは言ってくれるが、いきなり回れ右しての逃走は流石に申し訳ない気がする。
振り返らずに部屋に駆け込んだから、結局あの子がどんな表情をしていたのかも分からない。
……悲しい表情をさせてしまったかもしれない。
そう思うと、何故か少し憂鬱になってしまう。
別に、彼女をなんとも思っていないはずなのに。
(……シエル、って言ってたっけ)
ベッドの上で、静かに目を閉じる。
(あの子、パパと同じ匂いがした……)
父親と似た気配を感じさせるメイドの少女が、酷く気にかかった。
……
翌朝。
なんともいい匂いにきゅうとお腹がなって、目が覚めた。
「んぅ……」
眠気の残る瞼を擦りながら、辺りを見回してみる。
コドクが起きて、朝食を作っているのかと思えば、刀の姿のままそこに居るし、刀から抜け出して人型になっている様子も気配もない。今も『ご主人様はもう少し真人間として……』といった寝言が聞こえる。
……では、一体誰が料理をしているのだろう?
まだぼんやりとした頭でそこまで辿り着くが、不信感には辿り着かない。
とても、安心できる雰囲気がそこにあったからだ。
「パパ……?」
寝ぼけていたからかもしれない、思わずそう呼んでしまった。
……ついてこないはずのパパが、居るわけがないのに。
「あ、おはようアンリ」
「え?」
……
いやー、ちょっと寝ぼけ気味の愛娘も可愛いなぁ。
学園に旅立って早一ヶ月、当然俺もフェリンも我慢なんて出来るわけが無くて、
「なんで居るの、パパ」
「それは当然、パパがこの学園の先生だからです」
にっこりと笑って、随分懐かしいそれを掲げる。
漆黒のコドクとは違う、深紅の刀。
分龍刀・片刃。
随分昔の知り合いの、もう一つの姿である。
レッドドラゴンさん、久しぶりにお世話になります。
「実は随分前から誘われてはいたんですよ。ここの学園長先生とは顔見知りでしたから」
レイン・スラッシャー。
切断の全権を持つダークエルフである。
剣求の全権を持つリイレさんの夫であり、かつての魔王との戦いで勇者と共に戦ったことになっている一人でもある。
あれ以来時々話をする中で、リイレさんの惚気話に延々付き合わされたのはいい思い出だ。今度俺のにも付き合ってもらおう。
まあそんなワケで、中のいい酒飲み友達とかそんな感じの関係なのだが、いつの間にか学園長なんて大層な役に納まっていた。
当時の彼は我が家(森の中の小屋の方)で酒を飲みながら不安を口に出していた。
『俺にさ……こんな大役が務まるとは思えないんだ。うちの子供の面倒を見るだけで手一杯の俺が、人様の子供相手に、一丁前に教鞭をとって勉強を教えるだなんて、なんの冗談だってんだよ……』
『まあまあ、俺みたいなダメ触手が魔王倒したり世界を丸一年炎の世界にしたりできるんですから、きっと大丈夫ですよ』
『やー、流石にアレンさんと一緒にされても反応に困るな……。あんた、自分がどれだけ規格外か理解出来てるよな?』
……最終的に『まあ、あんた程面倒なことにかかわることもないだろうし、頑張ってみるさ』とすっきりした顔で帰ってきたから、きっとあの酒盛りは成功だったに違いない。
うん、やはり少々釈然としない物を感じるが、問題はないな。
『なんだか、最近学園の周りで妙な雰囲気を感じるんだ』
そうレイン君から告げられたのは、凡そ一年前のこと。
『できればどんな形でもいいから、学園に来て調査をしてくれないか? 探知にかけてはミリアの嬢ちゃんが一番だろうけど、もういないヤツに頼るわけにもいかないだろ?』
そんなワケで、お誘いはずいぶん前からあった。
今回はしっかりとメールなんかで連絡を取り合い、俺を先生として雇い入れることを仮に決定させてもらい――ちょっとアンリが一人で学園生活という状態を容認できそうにないので、正式決定させてもらった上で学園に来たのだ。
「今日から授業ですよね? よろしく、アンリ」
ぽんぽん、と頭を撫で笑いかける。
しかしながら、我が家の天使は何故かおもしろくなさそうな顔をしている。
というか、あからさまにほっぺをぷく〜っと不満げに膨らませてるな。可愛い。
「着いて来ないでって、いった」
「言われましたね。ええ、着いて来てはいませんよ。これは必要事項です。……娘の学び舎に出没する不穏な影など、即刻消滅させなければいうけませんからね」
にっこり微笑みかけても、やはり不満げな表情のアンリ。
まあ――
「安心してください。どうせ教師といっても極々少数の授業しか受け持ちません。学園内で行動する限り、俺とアンリが顔を合わせることは少ないでしょう」
「そう、なの?」
「ええ。あくまで本分は調査、警戒です。流石に全権持ちレベルが動いていることは考えづらいのですが、それで万が一億が一があってしまっては、悔やんでも悔やみきれませんから」
「ん……、分かった。聞き分ける」
「ありがとう、アンリ」
「んーん。大丈夫。……そういえば、ママは?」
「別の部屋ですよ。本当はパパもママと一緒の部屋で過ごしているのですが、今朝だけはアンリの顔を見たくて朝食の準備も込みで会いに来たんですよ。ママも明日来ますよ」
「……あんまり会うのは、」
「分かってますよ。親子として接するのは、学園、寮内でこれきりにするよう心がけます。……先生の授業は厳しいですよ? しっかりついていってくださいね?」
愛しの生徒に笑いかけ、俺はエプロンを畳む。
俺の朝食はフェリンさんが部屋で用意してくれるはずだから、こっちで食べていくことはない。
「頑張りなさい、アンリ」
それだけを言い残して、俺は部屋から出て行った。




