第三十二話
何故かボクが学校に行くことになってしまった。
それも命がけなことで良くも悪くも有名な、ライルメア学園冒険科である。
そもそもボクは触手だ。所謂エロ触手という種類の魔物であって、人間ではない。
いや、エロ触手だと見つかっただけで殺されかねないから、人に擬態して頑張って生きてるのだ。
幸い、理解のある人が色々誤魔化してくれているのでなんとか生活できているのだが、その人が「おもしろそうだから、学校とか言ってみない?」なんて言い出さなければ、ボクは平穏に研究対象として一生を終えられたのだ。
やれやれ。
とにかく今は大人しく学生をするしかない。そう、青春を、青い春というぼっちなエロ触手には辛すぎるワードの真っ盛りに、自分から、特攻するしかないのである。
よくよく考えれば、一番そこが憂鬱なポイントかもしれない。……よそう。考えれば考えるほどブルーになってくる。
うん……別にボッチと決まりきったワケじゃないんだ。希望は……多分、ある。いや、待て待て……ボクって触手だから、かわいい女の子を見かけたら反射的に産卵プレイに移行しかねないよね? うん? するとボクは女の子にはなるべく近づかないように生活しなければ拙いんじゃなかろうか。
……イヤだなー。学校行く理由本当にない。モチベーションがあがらない。女の子と触れ合えないとか、見てるだけとか、それもうエロ触手に死ねと?
ボクを匿ってる人? 女性だけれど襲ったら拙いって生存本能が理解してるからやりませんとも。
真新しい制服に身を包んでおきながら、溜息しか出てこない。
「そもそも、学校に行くのになんでメイド服なんですか……?」
意味が分からなかった。
……
ライルメア学園の学園長室にて。
「ああ、君がシエル君だね? 話はリディから聞いているよ。今日から君には学生寮……女子寮の寮母さんのお手伝いをしてもらうよ。リディからは家事が得意だって聞いているから、期待しているよ」
学園長の言葉を聴いて、メイド服の意味が分かった。
(嵌めやがったなあのエルフ……!)
「その代わりに学費免除で学校で授業を受けられる。なに、寮母さんのお手伝いといっても、夜の後片付けや休日の掃除くらいだ。そうハードなものじゃない。頑張ってくれ。それと……」
学園長の視線が、ボクの顔から下に下がる。
「その服が君の特別制服として認可されている。学園内ではそれを着て行動してくれたまえ」
久方ぶりにあのエルフをぶん殴りたい衝動に駆られたのであった。
……
目立っている。
(すごく、目立ってます……)
そりゃ、周りの生徒が基本制服で、そうじゃない生徒も冒険者としての役職が反映されていような服装なのに、そんな中でメイド服だ。目立たないわけがない。
(帰ったら絶対ぶん殴ります)
そう誓い、気合を入れると少しだけやる気も湧いてきた。
まあ、メイド服で送る学園生活なんて、そうそう味わえる物でもない。逆に楽しもう。
それにしてもまあ、女の子のレベルが高い。
どこを向いても可愛い子が二三人は見つかる程だ。全体的に生徒の外見偏差値が高いんだろう。男子もイケメンが多い。
外見操作は本気で拘ったから、ボクの容姿もそんじょそこらの美少女には負けないけれど、それでもやっぱりちょっと落ち込む程度に美少女祭りだ。いや、触手のクセに外見で落ち込むも何もない気がするんだけれど。
(これは、産卵衝動抑えるのに必死にならざるを得ないですね……)
やれやれと首を振っていると――ゾクリと、背筋が凍りついた。
「――――ッ!?」
ボクの他の生徒は気がついていないようだけれど……アレは、拙い。
本気でヤバい代物だ。
アレがその気になれば、この場に居る全員を発狂させて、殺し合いを始めさせることさえ可能だろう。
そんな化け物が――背後に居る。
(なんで、なんでこんなヤバいのが学園なんかに紛れ込んでいるんですか……!?)
ダメだ。息ができない。
喉が引きつる。全身の筋肉が硬直している。冷や汗が止まらない。ざわざわと背筋を死神が撫でていっているようだ――
振り向けない。
直ぐ後ろから来るそれに、視線を向けることができない。
本能と理性が恐怖に飲み込まれ、拒否反応を起こしている。見たくない、見たくないと悲鳴を上げている。
かつん、かつんと、軽い硬質な足音が後ろから迫る。
同時に強くなる圧迫感。
直ぐ後ろに居る。
そこで足音が止まる。
心臓が跳ねる。
なんで? なんでここで止ま――
「気付いているの?」
「ッ!」
耳元で、小さく囁かれた。
触れると息の熱さがやけに強く感じる。
思ったよりも可愛らしい、けれども落ち着いた、静かな声。
「……コドク。やっぱり、いきなり後ろから話しかけるのはよくない」
『いや、わたしも半分冗談だったんだけれど……まあ、次から気をつけましょ』
何を言ってるんだろう?
というか、誰と話しているんだろう?
気になる。
それに、なんだか怖い感じが無くなったような……?
恐る恐る、振り返ってみる。
その瞬間、再び心臓が跳ねた。
ついでに脳天に雷が落ちて、視界が明滅した。
魂が、喝采と咆哮と産声を現在進行形で上げている。
まあ直訳しますと、
恋に落ちました。
ええ、それはもうあっさりと。
つやつやとした、背中の中ほどまで伸びている黒髪。
優しげながら、どこか妖しい色合いの桜色の瞳。
人形じみた、と形容できてしまえるほどに整った顔。
ほっそりと華奢で、儚げな小柄な肢体。
可愛い。
どうしよう。
全力で好みだ。
「初めまして、お嬢様」
気がつけばボクは、上品に名前も知らぬ彼女にお辞儀をしていた。
「わたくしはメイドのシエルと申します。よろしければ、お嬢様のお名前をお聞かせ願いませんか?」
「わたし?」
「はい。あなた様です」
「……アンリ」
「アンリ様、ですね?」
「ん……」
アンリ、アンリ――彼女によく似合う、いい名前だ。
もう一度お辞儀をして、ボクは随分と突拍子もないことを告げる。
「よろしければ、わたくしをアンリ様に仕えさせていただけませんか?」
次の瞬間、アンリ様が凍り付いてしまったのは言うまでもない。




