初めての特別な日
星々が自らの光を漆黒の中で示す様に輝く。
そんな星空にまん丸と浮かぶ満月の夜、一人の少年と一人のエルフは血の契約をした。
「私の名前はエイン=フレイ。天啓により貴方様の守護を任されました」
少年に対し傅くは、長く綺麗な藍色の髪をした女性。さらさらと流れる髪からはピンと尖った耳が突き出していた。
「これは驚いた、まさかエルフを召喚してしまうとはな」
感嘆の声を漏らす魔女。
その声に、エルフは睨みを利かせて立ち上がる。
「主の敵は貴様か、醜悪なる魔女め」
腰に下がった細く長い剣を鞘から引き抜き、構えを取る。
エルフの台詞が琴線に触れたのか……ニヤリと魔女の口は吊りあがる。
「ほう、私に喧嘩を売る気か?生憎と売られた喧嘩は買う主義でね」
ボキボキと拳を鳴らし、応戦する構えをとる。
「えっ…?」
またしても置いてけぼり状態の少年。
「行くぞっ!」
先制を仕掛けたのはエルフであった。
風の魔法で初速を上げての切り込み一閃。
それに対して、魔女は剣を素手で受け止める。
ガキィンという金属音が山に響き渡り、衝撃で風が走る。
「化け物めっ!」
悪態を吐き距離を取るエイン。
「ははっ、エルフを相手にするのは初めてだ、楽しませてくれよ!」
笑みを浮かべながら地面を蹴飛ばし、魔女はエルフとの距離を瞬時に詰める。
━━そんな彼女達の戦いは、少年にはごく一部分しか見えず、ガキンガキンと金属音が木霊しているかと思えば、なにもない中空から火やら雷やらが降り乱れ、空気の震えで襤褸屋敷がひどく悲しい声をあげているのを腰を抜かしながら見つめることしか出来ずに居た。
「止めなくて良いの?あんたの使い魔死んじゃうかもしれないわよ」
極めて他人事のように綾也に問い掛ける千夏。
「止める?あれを?」
綾也は呆然と聞き返す。
「あんたの使い魔なんだからあんたの命令には従うわよ、なんだったらあの中に飛び込んで身を挺して止めてみるのもありかもね」
"あわよくばそこで死ねばいいのに"とまで聞こえてきそうなその台詞に身震いを覚えるも、綾也は力無げに腰を上げた。
頭の回転の遅い彼にもわかる、この戦いは間違っている。
召喚を手伝ってくれた魔女と、召喚された彼女が戦う理由は無いのだから。
"平和な日常を願ったはずなのに……"と愚痴を零しつつ、震える身体に力を入れなおして平和とは無縁の光景に向かって走り出していく。
「うおおおおおおおおお!!」
生まれて初めての叫び声を上げながら走る!生い茂る雑草が鬱陶しいことも気にせず走る!
そう、彼はヤケクソであった。今夜の理不尽で、不条理で、摩訶不思議な出来事に対して怒りをぶつけるかの様に最大限の声量で叫ぶ。
「やめろーーーーーーー!!!」
一世一代の彼の叫びは山の中で木霊する。先程までの轟音や衝撃は也を潜め、深夜の山中にはいつもどおりの静けさが戻ってきた。
「主様、いかがされましたか?」
空から降りてくるエインと名乗る女性は不思議そうな顔で彼に尋ねる。
「いや、なんというか…その━━」
要領の得ない彼の言葉に彼女は頭をかしげ考え込む。
「━━面目ない」
気恥ずかしそうに三角帽子の鍔を深めに被せながら魔女も空から降りてくる。
「貴様、主様に近づくなっ!」
再び柄に手を被せ臨戦態勢を取ろうとするエインに、魔女は静止を手で呼びかけて言葉を続ける。
「すまなかったな、紹介が遅れた。彼は君の主人だが、彼は私の教え子でもある。つまり君と私は味方と言ったほうが早いな」
「なっ……」
状況が飲み込めずに混乱するエイン。
「それでは…私は主様の味方に…剣を…?」
自分の行いに後悔を抱き、肩を落とすエイン。
「我が失態には我が身を持って!━━如何なる罰も!」
くっ、と涙を振り払いながら彼女は腰に下げていた剣を鞘ごと掴んで綾也に差し出した。
綾也は"まあまあ"と宥めるようにその物騒なモノを押し返すが、エインも強情に再び剣を差し出す。
「はあ、そこらへんにしてもらえないかしら」
そのやり取りを退屈そうな目で中断させたのは千夏である。
「もう志筑君の召喚は終わったんでしょう?次、私の番だから」
と言い残して千夏は踵を返す。
その後を魔女である桐島先生は"すまんな"と軽く手を上げて綾也に謝り、彼女に着いて行った。
ポツンとその場にはエインと綾也の二人が残された。
エインは頑なにその場に傅き、剣を差し出している。
「えっと、エインさん…だっけ?流石にそれはちょっと…」
「私をさん付けなどで呼ばないでください、主様。エインとだけで」
深く頭を下げるエインの声は先程の慌てた雰囲気は残っておらず、罰せられる覚悟を示しているようにも見える。
「そっか……うん、じゃあエイン。その剣は受け取れないし、罰するつもりもないよ」
不恰好ながらも従者の関係を意識して綾也はそう告げた。
「それでは、私の気が……」
「うーん……。それじゃあ罰を与えよう!これからは僕のことを主様と呼ぶことを禁ずる」
「そ、それではどのようにお呼びすれば?」
「綾也。僕は志筑 綾也。そう呼んでくれると嬉しいです」
主従関係のことは既に頭から消え去り、いつものように敬語へと戻る綾也。
「綾也様ですか。承知致しました」
ちょっと違うんだけどな……と思いつつも、自分の使い魔を繁々と見つめる。
端整な顔立ち、雪のように白い肌、彼を一心に見つめるその瞳は蒼く澄み切っている。
これがエルフか━━と見蕩れている綾也にエインは表情を曇らせながら問い掛けてきた。
「どうかなされましたか?」
「えっ━━。ああ、いやエインみたいな使い魔が来てくれるとは思っていなくて」
綾也が予想していた使い魔は動物であった。平和の象徴の鳩まで描いて、平和を願えば悪魔だけは来ないと踏んでいたからである。
「綾也様の願いが私の願いと重なっただけのことです。平和な日常を願う綾也様の願い、我が命を賭して守り抜きます」
「あ、ありがとう」
真摯に、誠実に答えるエインに対して感謝の言葉でしか答えられない自分に幾許かの不満を抱き、彼は切り出す。
「僕にできることがあったらなんでも言ってくださいね」
「いえ、そのようなことは━━」
エインの言葉は一瞬止まり、少し間を空けて彼女は慎むように願いを申し出た。
「もしよろしければ、私は"使い魔"という言葉をあまり好めません。ですので綾也様の"守護者"として御仕えしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
綾也にとって呼び方の違いなどは気にするものでもなく、彼女にとってそれは気になることであったのならと即答した。
「ありがとうございます。貴方のような主に仕えることができた今日という特別な日に感謝致します」
━━こうしてエインと綾也の特別な日の1日目は幕を開けた。