召喚
絢爛豪華な円卓に座り、一人の魔女見習いは鼻唄交じりに札にルーンを刻み付けていく。
それを後ろから見守る魔女と一人の高校生。
「大丈夫なんですか?」
不安そうに尋ねる綾也に魔女は笑いながら答える。
「大丈夫さ、千夏は手先が器用でね。知識さえあれば彼女が失敗することはないだろう」
"親の目は贔屓目"という諺もあるが故に、綾也には幾分かの不安が見られる。
「でーきた!」
その心配も他所に、魔女見習いの千夏は忘却のルーンを完成させた。
「心配ない、あのルーンは正確だ」
綾也には確認し得ないその魔術式を見て、魔女は太鼓判を押す。
「それじゃあ志筑君、覚悟は良い?」
彼にとって流され続けたこの現状では覚悟も何も無いのだが……。
「お、お願いします」と答えて綾也は目を瞑る。
下手に出ることを厭わない彼の性格が功を奏したのか、彼女は札を掲げ「おやすみなさい」と優しく告げた。
━━目を開けて見えたのが天井であれば良かったと思ったのは、彼にとってこれが初めての出来事である。
急激な睡魔に襲われること、意識が途切れてしまうこと、このどちらか二つを覚悟していた綾也は未だに意識がある。
恐る恐る目を開けると、彼の目に映ったのは片手で頭を抑える魔女と、涙目でこちらを見つめる魔女見習い……。
「すまない志筑君、君には本当に申し開きようも無い結果となってしまった……」
「なんで……なんでよ━━」
「えっ━━?」
何が起こったのか理解できない綾也は説明を求める。
「えっと、すいません。どうなったのか説明してもらえますか?」
「そうよ、私が失敗したのよ!はい、失敗しました!なに?文句ある訳!?」
理不尽にヒステリックに癇癪をあげる魔女見習い「若葉 千夏」。
ああ、やっぱりか━━と、ある程度の予測はしていた綾也は、可哀想なものを見るような視線を失敗の原因である彼女へと投げかけた。
「なによその目は!あんたは失敗なんてしたこと無いわけ!?そりゃ人生大成功ね!末永くお幸せにっ!!」
結婚式でしか頂けない祝辞を貰い受けつつ、綾也は魔女である桐島先生に目で説明を訴えかける。
「その、なんだな。歯切れの悪い言い方はしたくないからな。千夏の魔力がルーンを焼き切ってしまってな、失敗した」
桐島先生の最後の一言で、ぐぅっと音も出さずに少女は蹲る。
「それで、僕はどうなるんでしょう?」
落ち込む彼女を尻目に、自分の心配をする綾也を攻められる者は居なかった。
「魔術というものは身体が覚えてしまうものでね、私が君に新たに忘却のルーンを使っても効果がでないんだ」
それは綾也にとっては納得のいく説明ではなかったのだが、専門的な知識も無い自分が反論するのも躊躇いを覚え"そうですか"と力なく返事をする他なかった。
暖かく飾られたその一室の三人の気持ちは沈んでゆく。
その沁みっ垂れた空気に誘われるように地下室に一羽の烏が舞い降りた。
「おいおいどうした御三方。こんな空気は烏もろくに喰えないぜ」
「ラウ、来てたのか」
ラウと呼ばれる烏は翼を再び羽ばたかせ、呼びかけた魔女の肩に止まる。
「一体全体どうしたってんだい、姐さん」
「色々あったんだ」
珍しく歯切れの悪い答えをする魔女にラウは驚く。
その光景に驚きを隠せない人物がもう一人。ごく普通の高校生「志筑 綾也」である。
開いた口が塞がらず、喋る烏を指差して愕然としていた。
「なんだい坊主、俺様とやろうってんなら相手になるぜ」
綾也の態度に喧嘩腰で返す烏はみるみるうちに人型へと姿を変えてゆく。
身の丈2メートルはあろう巨漢に成り変り、黒一色で統一された服装は如何にも堅気とは取れそうもない、極道のソレに近い雰囲気を醸し出している。
顔を前面に押し出しながら綾也に近づいてゆき威圧する。
それを見かねた魔女は拳でラウの後頭部を殴りつけた。
「やめろ、そいつは私の生徒だ。手を出したら消し炭にするぞ。お前は千夏の相手でもしておけ」
鈍い音と共に巨漢は床に倒れ、ボンッと煙と共に烏の姿に戻る。
烏は何事もなかったかのようにキョロキョロと首を振って辺りを見回し、部屋の隅のほうで蹲る千夏を見つけ「お嬢!」と叫びながら飛んでいった。
その光景を未だに愕然としながら見ている綾也に魔女は謝罪する。
「すまない、恐い思いをさせてしまったな。あいつは私の使い魔のラウムという悪魔でな。使い勝手は良いんだが、少々気性が荒い奴なんだ」
「そ、そうなんですか」
はは、と苦笑いを浮かべることが精一杯の綾也。
「そうだ、志筑君。君も使い魔を召喚してみないか?」
突然の誘いに反応に困る綾也。
先程びびりあがってしまった悪魔を自分の使い魔に?無理!
綾也は即座に全力で首を横に振り乱して拒絶の態度をとる。
「召喚される使い魔は悪魔だけとは限らない、動物や妖精、神獣やらと様々だ。主に召喚者の性格に依存するのだがね」
綾也の全力の否定を軽く受け流しつつ、説明を始める性格が悪魔的な魔女。
「千夏の失敗のせいで君には迷惑をかけてしまったからね、伯母としての責任を果たしたいのだよ。受け入れてはくれまいか?」
家族愛を盾にされては、頑なに拒絶していた綾也もついと反応を緩めてしまう。
「こうなってしまった以上、私には君がこの工房に来て良かったと思ってもらうしか償う方法が思いつかない。この召喚が君にとって良い出会いになることを願っているよ」
優しく伸ばされた綺麗な手を掴み、綾也は覚悟を決めた。
やってみないとわからないこともある。そう自分に言い聞かせて、彼は魔女の後を着いて行った。
*
案内されたのは意外にも、屋敷の外であった。
時刻は午後十一時を既に廻っている。
未だに制服姿の綾也にとって、外の寒さは少々堪えるものがある。
草木も生い茂る庭を見渡しながらいつかはここも掃除しないとな、などと暢気に考えている綾也を他所に、魔女はなにやらせっせと準備している。
暗闇で詳しくは見えないが、至る所に光る石を置いている様だ。
「志筑君。こっちに」
ちょいちょいと手招きをする魔女。
「少し面白いものを見せよう」
"ふふっ"と笑いながら魔女は右手を掲げると、先程置かれたのであろう光る石は輝きを増していく。
その輝きは黄色から金色へ、金色から赤色へと変化してゆく。
円形に等間隔に置かれていた石は、点を線で繋ぎ光の輪を作る。
赤く光るその円形は不思議と綾也に寒さを忘れさせてくれる。
━━いや、熱い!
途端にメラメラと炎が円形に燃え広がり雑草を燃やしてゆく。
あっと言う間に、そこは灰すら残さずに10円禿げの如くぽっかりと茶色い肌を露にされた。
「さて、下地は出来た。あとはそうだな。一本で良い、木の枝を拾ってきてはくれまいか?」
木の枝?と一瞬戸惑うも、もう何も考えまい。
目の前の出来事が説明できないことなんて一体今夜だけで何度あったことだろう……。
言われた通り、綾也は近場に生えてある木から手頃な太さの枝をポキリと折って魔女の元へ持って行った。
「まずはここに魔法陣を描いてもらう。どんなに不恰好でも構わない、君の好きなように描いてくれ」
魔女の言葉は「今日の夕飯何が良い?」に対して、「何でも良い」と返ってくることと同じだ。つまり、それが一番難しい。
「魔法陣」というのだから円形だ。とりあえずは円を描く。
彼の知りうる魔術的な形を探して出てきた「六芒星」を円の中に一筆で描く。
そしてその六芒星の中心に平和の象徴である鳩を描き、彼の粗末な魔法陣は完成した。
「ぷっ、なにそれ」
冷ややかに嘲笑をするのは、いつの間にか立ち直って見学しに来たのであろう千夏である。
肩には烏のラウを乗せており、蔑んだ目で綾也を見下していた。
むうっ、と自分が必死で描き上げた魔法陣をけなされた綾也は彼女に抗議の目を向けるものの、肩に乗ったラウが睨みを効かせており敢無くその視線を下げるほかなかった。
そんな二人と一匹をやれやれといった表情で見つめる魔女、兼先生はパンパンっと両手を叩き話を戻す。
「よし、魔法陣はできたな。志筑君、少々指を貸してもらえるかな?」
"指を貸す"という聞きなれない言葉に戸惑いを覚えるも、綾也はこうですか?と人差し指を差し出す。
魔女は差し出された人差し指をあむっと口に咥えた。
「へあっ!?」
突然の出来事に宇宙警備隊の様な声をあげると共に、指には痛みが走る。
ちゅうちゅうと指を吸われて痛みが引いてゆく。
魔女の唇が指を離れる頃には、痛みは完全に無くなっていて、指には傷一つ残っていなかった。
まじまじと自分の指を見つめる綾也。
「━━あんた、その指を口に咥えたら殺すわよ」
不意に掛かる千夏の声は殺気を含んでいる
「し、しないよそんなこと」
慌てて否定するものの、考えていなかった訳でもない純情な男子高校生は深く自分を嗜める。
魔女は彼から吸った血を綺麗な小瓶に収め、魔法陣の周りに白い粉を振りまいてゆく。
「これで準備は整った。魔法陣の前に立ってくれ」
言われるがまま綾也は自分の描いた不恰好な魔法陣の前に立つ。
「目を瞑って。両手を前に━━」
瞼を閉じて両手を掲げる。
「自分の理想を頭の中で作り上げろ。強くイメージするんだ」
”願え、欲しろ、対価を持って!”
熱の篭った台詞に呼応するように身体は脈打つ。
彼が願うのは平穏な日常、彼が欲するのは明るい未来。
その場の魔力がピークに達した時、魔女は先程の小瓶から数滴の血を魔法陣に垂らした。
ボンッ━━。
聞き覚えのある爆発音と共に辺りには強烈な風が吹き付ける。
尻餅をついた綾也は砂煙の中に人影を見る。
人影は徐々に近づいてくると、こちらに手を差し伸べてこう告げた。
「貴方の願い、我がエイン=フレイの名を賭して、守り抜くことを誓います」