何事も初日が辛い
「やあ、待っていたよ」
扉を開くと、かけられたのは出迎えの言葉。
愕くべきはその言葉ではなく、発した人物。
綾也はその人物にも覚えがあった。
「こんばんは、千鶴姉さん」
「千夏、私のことは桐島先生と呼べと言っているだろう」
「そんなことよりなんで志筑君を工房に案内したのよ」
「心外だな、伯母としての配慮だよ」
親族であるらしい二人は第三者を置いてけぼりに口論を始めだす。
「そんなのいらないわよ、ていうか魔術は隠匿すべきものじゃなかったの?」
「それは魔道書の言葉であって、秩序ではない。それに彼は才能が無いわけでもないしな」
以前呆けている綾也に二人の視線が移る。
先生は優しげに、同級生は怒気を孕んだ視線で……。
「━━状況が全く飲み込めないんですけど」
力なく肩を落としながらも綾也は説明を求めた。
「はは、それもそうだな。━志筑君、君は魔女に対する知識はどの程度かな?」
魔女……彼女達の服装はこれ見よがしに、魔女である。
"貴方達みたいな格好の人"━━という言葉を飲み込み
「猫と喋れたり、悪魔と契約したり、魔法が使えたり、あとは大釜で何か作っているとか━━ですかね?」
と自分の知識を総動員させるが、自信なく答える声は震えている。
「そんなに恐がらなくてもいい、取って食おうという訳でもないんだ。結論から言うと私たちはその魔女だ。この話はできれば内密にしてほしいところではある」
人差し指を口に添え、"千夏はまだ見習いだがね"と桐島先生は悪戯に微笑む。
その背後では「喋ったら殺す」と言わんばかりに睨み付ける千夏……。
「私も君の父親同様過保護でね、姪っ子一人をこの工房に住まわせるのは少々心苦しいのだよ。
そこで君に提案だ。この子の手伝いをしてくれないだろうか?勿論、相応の報酬は用意させてもらう」
「必要ないわよ、そんな奴の手助けなんて」
空かさず全否定する彼女に対し、桐島先生は肩を戦慄かせ、笑顔というには無理がある表情で綾也に謝罪の言葉を述べた。
「すまない、志筑君。少々時間を頂くよ」
その動きは疾風の如く、彼女の首根っこを掴んだかと思うと奥の扉へと姿を瞬く間に消した。
閉まった扉から聞こえてくる彼女の声は阿鼻叫喚を極めていた。
その悲鳴をよそに、綾也は父親との会話を聞かれていたことに恥ずかしさを覚えて身悶える━━。
しばらくして、扉から戻ってきたのは桐島先生一人。もう一人入っていたはずだが綾也は気にかけるのをやめた。
「すまなかったね、では話を戻そうか」
落ち着きを取り戻した先生は事も無げに話を進め出す。
「君の魔女の認識は概ね間違ってはいない。猫とも喋れるし、悪魔とだって契約する。ただ我々が使っているのは魔術であって魔法ではない。その違いは君にとってはあまり関係ないことなのだがそう覚えておいてくれ。あとは━そうだな、魔女は魔術を探求する者で生涯を賭けて解き明かしていく。熱狂的な科学者と言ったほうが君には理解しやすいかもしれないな」
腕を組み、必死で理解しようとはしているものの、綾也にはどこか空想の話のように聞こえて仕方が無く、それが表情に出てしまっていたとしても、仕様が無いことだった。
「百聞は一見に如かず━━か。然しながら魔術を見てしまえば後には退けなくなる、私としては性格上、合意の元で話を進めて行きたいのでな、君の意思に任せたいと思うのだが」
引越し早々、奇妙奇天烈な話を聞かされ、その上その手伝いまでも負う事になるはめになることは彼の高校デビューにとって負担にしかなりえない。
自分自身を変えたいとは思っていても、それはあまりにも変わり過ぎていた。
「……断ったら、どうなるんですか?」
恐る恐る尋ねる綾也に魔女は答える。
「どうということはない、君の記憶から今日の出来事がなくなるだけさ。それと、夜なべして作った私のくじ引きの努力も共にな━━」
くっと、下唇をかみ締め悔しがる魔女。ただその仕草は一瞬で、すぐに凛とした態度に戻り、話を続けた。
「君が気にすることではないしな、断ったところで君に危害を加えるつもりなど無いのだ。安心して断ってくれても構わない」
その言葉に安堵し、綾也はそれじゃあと言葉を切り出そうとする。
「その忘却の魔術式、私にやらせて」
咽まででかかった言葉を遮ったのは、折檻を受けたであろう千夏である。
痛むのか頻りにお尻を擦りながら、彼女は涙目で戻ってきた。
「千夏にはまだ忘却のルーンは教えていない。任せられるはずもないだろう」
「私だって一人で魔術の勉強してるわよ。忘却のルーンだってこの前覚えたわ!」
━━この時、綾也に悪寒が走る!彼にはこの先の展開が読めてしまった。
桐島先生は確実に、最終的には折れるだろう。過保護だと自分で認めてしっている上、可愛がっている姪っ子の頼み。聞き入れるなという方が無理であろう。
そして彼女、「若葉 千夏」は折れないタイプの人間だ。それは綾也の憧れている部分でもあり恐れている部分でもあった。
彼女らとは知り合って未だ一日も経っていない間柄なのだが、彼は人の目を気にして生きてきた故に、人間の観察眼はずば抜けていた。
予想通りに、早々と桐島先生は折れ意気揚々と準備を始める千夏。
その光景を目の当たりにした綾也は、本日何度目になるか分からないため息を深く吐いた。
━━父さん、一人暮らし初日に電話をかけたくなりました。