夏30日 ヴァニラ 恋する乙女はロコツンテヘペ
お兄ちゃんはせっせと彼女との仲を深めていってるというのに、あたしはなんでダルマの上に乗って猿並みのバランス感覚を披露してるのかな。
さすがにあたしだって、「これも愛よね!」とは言わないよ。
ヒューさんと二人だけの共同作業には違いないけどさ。
思えばヒューさんとの共同作業って、村長の髪を抜く作業とこれだけなのよね。
今さらながらつくづく、合宿のカレー作りで同じ班になれなかったことが悔やまれるよ。お兄ちゃんめ。
ところでダルマの上って、なんか悟り効果でもあるのかもしれない。
ヒューさんと二人きりなのにこの落ちつき。
もうヒューさんと同じ空気を吸っていると思うだけで動悸と息切れがしちゃうあたしじゃないのよ!
ダルマ落としの朝練から戻ると、店のテーブルでルリが本を読んでいた。
朝練って言っても九時からの練習で、終わった今は十時。ルリがいても全然おかしくない時間。
うん、『朝練』って言ってみたかっただけね。
ミズキさんが話してくれた異世界の恋愛王道シチュエーションに、憧れの先輩と二人きりで自主朝練っていうのがあるって聞いて、ちょっといいなと思ってたのよね。
二人きりで練習して、タオルを忘れた先輩に「よかったら使ってください」って自分のタオルを手渡したりして……きゃー!
ヒューさんは汗を自分のシャツで拭っちゃってて、あたしのタオルの出番なんてなかったけどね!
でも腹筋! シャツを引っ張った時に見えた腹筋!
浅黒い色の腹筋が眩しかったです! 朝練っていいね!
「あたしは色恋の類は本の中だけで十分って思ってるけどさ、
ヴァニラは恋愛したいわりには詰めが甘いよね」
ダルマ落としの練習に行っていたことをルリに話すと、ルリが眠そうな目でどうでもよさそうに言った。
生まれつきそういう顔つきでそういう口調ってだけで、ルリは結構面倒見も付き合いもいい。
お母さんがあれだと、面倒見もよくなるよね。
「恋愛したいんじゃなくて絶賛恋愛中なのよ!」
片思いだけど! 片思いも恋のうちだよ!
今日はついに歓迎会の日。
一昨日、昨日、そして今朝とヒューさんと練習した成果もあって、ダルマ落としは十中八九成功するようになっている。
夕方会場設営が始まる前に、最後にもう一度練習する約束をしてるのよね。
「せっかく二人で行動してるのにさ、ダルマの頭の上でバランスとってるだけなんて、
恋する女としてそれでいいの?」
「う……それは……」
たしかにルリが言うとおり、全然女子力も好意もアピールできてない気はする。
ていうか、してた。あたしも気づいてた。
アピールできてたのは猿力だけだよ。
舞台で猿の物真似をするのは嫌だ、乙女のピンチだってあれだけ思ってたのに、結局猿力アピール中とか。しかも想い人のど真ん前で。
動悸も息切れも克服したなんて悟ってる場合じゃないよ!
自分の不甲斐なさに落ち込んで黙り込むあたしと、言いたいことは言い切ったのかお茶を飲み始めた
ルリの間に沈黙が落ちる。
そんな静かなホールに、厨房から話し声が聞こえてきた。
そういえば、今日はリーンが郵便配達の仕事を休んでうちに手伝いに来てるんだよね。歓迎会の料理をたくさん作らないといけないからって。
本当はお兄ちゃん一人でもなんとかなるはずなのに、一緒にいたいからってリーンにわざわざ手伝い頼んだんだよ、お兄ちゃんめ。
「ん……やっ……ダメだよロバくん……」
リーンの甘ったるい声が響いてくる。お兄ちゃんめ。
まあ衛生には気をつかってるから、厨房で滅多なことはしないと思うけど!
でも、お兄ちゃんめ!
たぶん、リーンは辛いものが苦手だから「そんなに唐辛子入れちゃダメ」とかそういう意味なんだろうけど!!
でも、お兄ちゃんめ!!
「ヴァニラに足りないのは、あの色気とあざとさだと思う」
ルリが厨房の方向とあたしを見比べた。
言いたいことはわかるけど。
「ん……」って言えばいいの? 首を傾げればいいの?
「あたしだってセクシー悪女を目指したこともあったけど」
「あったね、そんなこと」
「でも、ヒューさんを前にすると舞い上がってテンパっちゃうんだもん」
「その前にセクシー悪女は無理があったと思うけどね」
「その通りだけど!」
セクシー悪女になるには、ちょっと身長が足りなかったのよね。
ちょっとね。身長がね。
……そういうことにしておいて!
「でもさ、今回は結構二人きりで練習してたのに、今でも正気を失っちゃうの?」
正気を失うって、危ない人みたいな言い方はやめてほしい。
でもそうだった。悟っちゃったあたしは、もうヒューさんを前にしてもテンパらないのよ!
「い……いけるかも……」
あたし、あざとくアピールできちゃうかも。
考えた作戦は、ダルマの上から足を滑らせたふりをして「きゃっイターイ☆ ドジしちゃった(コツン☆」っていうドジッ子アピール。
悪女はムリでもドジッ子はいける!
イケると思いたい!
「ドジッ子はちょっと……」
とルリは渋ったけど、それはルリのお母さんがドジッ子だから微妙に感じるだけよ!
「ヴァニラはすでにドジなんじゃ」
って、ルリったらいったいどこを見ているのかな。
あたしは酔っぱらいのあしらいも鮮やかな、しっかり者の看板娘だよ!
そして今、あたしはまたダルマの上に立っている。
この練習が終わっちゃったらまた二人きりになる機会なんていつ来るかわからないし、ここで決めなきゃ乙女じゃない。
な……なんか緊張してきたー……。
ええと、えと、ワザと転ぶってどうすればいいんだっけ……?
右足から? 左足から? あれ、どっちが右でどっちが左だっけ?
お箸を持つのが右手でフォークを持つのは左手で、それが足になると、ええと、えっと……?
「いくぞ」
下でヒューさんがダルマ落とし用のハンマーを構えた。
ヒューさんは左利きだから、構えも左利きの構えで、つまり左ってどっち――!?
「あ」
足元がぐらりと揺れて、右足と左足を出したりひっこめたりしていたあたしは、バランスを取り切らず
二メートル下に落下した。
あ、これでドジッ子アピールできるじゃーん、なんて、落下しながらやけにゆっくりと流れる視界の中で考える。
体に衝撃があって反射的に目を閉じた。
思っていたより痛くない。
よし、言うよ! 「テヘペロコツン☆」って!
あれ……なんか台詞違ったような……ていうか、なんか背中あったかくない?
「大丈夫か?」
背中から体中に響くみたいに声が聞こえて驚いて目をあけると、逆さに覗き込むようにあたしを見つめる
ヒューさんの顔があった。至近距離に。
こ、これってもしかしてもしかしなくても、あたし今ヒューさんに背後から抱きかかえられてる――!?
「あばば……あばばばば……、テヘ……ヘペペペ……」
気が付くと、自分の部屋のベッドに腰掛けていた。
足首に湿布が貼ってあるし、軽く捻挫したのかちょっと痛い。
部屋の書き物机の椅子で、ルリが本を読んでいた。
「あ、正気に戻った?」
あたしの視線に気づいたルリが、本を閉じてこちらに向き直った。
「人を危ない人みたいに言わないでほしいけど……。でも……うん……」
「ヒューが、正気を失ったヴァニラを背負って病院につれていったんだよ」
「え? そんなに危ない人だった!?」
街にしかない精神病院を勧められるレベル!?
「いや、怪我してるかもしれないって。
まあ、ずっと『ロコツンテヘペ』っていう謎の単語を繰り返し呟いているから
頭も打ったかもしれないって、そういう心配もしてたけどね」
『ロコツンテヘペ』って……。
テンパりつつもなんとか頑張って言ったらしい『テヘペロコツン』は、まるで効果を発揮しなかったわけね。
はあ……悟ったと思ってたのに、やっぱり全然ダメだなあ、あたし。
またテンパって迷惑かけちゃったなんて。
「でもまあ、あたしの家までと、ここまでのおんぶを手に入れたんだから、
ヴァニラにしては頑張ったんじゃないの?」
「ふぇ……おんぶ……?」
うっかり聞き流してたけど、あたしヒューさんのお背中に乗ってしまったのね。
……うーん……それはなんか、クーになったみたいで微妙かも。
でもでも、ダルマから落ちた時は背後から抱えられてたわけで……あばば……あばばばば……。
「ああ違った。うちに来た時は横抱きだったね」
ルリのお姫様抱っこ発言に止めをさされて正気を失ったあたしは、歓迎会が無くなったことさえ知らないまま、夜の宴会を迎えるのだった。
ロコツンテヘペ。




