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夏29日 リーン 記憶のわたしとロバくんとわたし

特別避けていたわけじゃないんだけど。

たまたま火曜日はロヴァ亭宛のお手紙がなくて、昨日はお仕事がお休みの日だったからやっぱり行く用事がなくて、二日間ロバくんに会わないでいたら、


「やあ」


朝、ホセくんのところでロバくんと鉢合わせしました。

いつもどおりニコッとしてくれたけど、なんだかいつもよりも不自然な感じです。


「お、おはよう……。ここで会うなんて、めずらしい、ね?」


避けていたわけじゃないんだけど。

でも本当はちょっと会いたくないような気分だったから、やっぱり避けていたってことになるのかも。

なんとなく後ろめたくて目を逸らすと、逸らした先でホセくんが店の奥へ入っていくのが見えました。

ん……厄介ごとと思われて放置されたのかも。


「待っていたからね。今日、リーンの仕事が終わったら少し話そうか」

「んと……はい」


まだちょっと気持ちの整理に時間がほしいだなんて、微妙に威圧感を漂わせているロバくんには言えなくて、わたしは仕方なく頷きました。



でも、考え方によってはこれで良かったんだと思います。

気持ちの整理なんていつになったらつくのかわからないし、つかないままずるずる時間だけがたっちゃう可能性もあって、そしたらなおのことロバくんに会いに行きにくくなったから。

……まあ、どうせ今日は配達の都合で顔を合わることになったのだけれど。

ロヴァ亭への配達を最後に残して他の配達を終えると、わたしはロヴァ亭に向かいました。

今日はロヴァ亭宛のお手紙が一通に、ロバくん宛のお手紙が一通。

隣町の食料品店のマークが入った封筒と、可愛らしいピンクの封筒です。

数日前まではこのピンクの封筒がちょっと気になってたんだけど、今日は不思議とどうでもよく感じます。


「敵は……手紙の彼女じゃないから、かな」

「敵がいるの?」


ロヴァ亭のやや上空で鞄から封筒を取り出して眺めていると、ロヴァ亭二階の客室の窓から、ロバくんが顔を出しました。


「下に下りる? それとも屋根の上で話そうか」

「んと……うん」


わたしが敵についてなんて答えようか迷って曖昧な返事をすると、それをどうとったのか、ロバくんは窓枠に手足をかけて軽い身のこなしで屋根の上に登ってきました。

わたしも屋根の上に降り立って、ロバくんに促されるまま青みがかった灰色の瓦の上に腰を下ろします。

もう夏も終わりだからかさっき降った夕立のせいか、前にここに座ったときよりもずっと涼しくなっています。

手に持っていた郵便物を手渡すと、ロバくんはそれをポケットに入れて「それでさ」と話を切り出しました。


「なにか言いたいことがあるんじゃない?」


ミズキちゃんに相談してアドバイスをもらったとおり、わたしがロバくんに聞くことは決まっています。

ただ、今日までそれを先送りにしたのは、答えを聞くのが怖かったから。

『わたしの方が好き』って言ってくれたら、あとはわたしがそれを信じるか信じないか次第だけれど、『昔のわたしの方が好き』って言われてしまう可能性だってゼロじゃないから。


「ロバくんは今も……昔のわたしが、好き?」

「好きだよ」


わたしが縋るような想いで尋ねると、ロバくんはあっさりと肯定しました。

予想はついていた答えだけど、やっぱりちょっと落ち込んでしまいます。

わたしは『わたし』であって、ロバくんの好きな『昔のわたし』じゃないのに。

『今のわたし』と『昔のわたし』のどちらがより好きかを尋ねれば、『今のわたし』と答えてくれるかもしれないけれど、やっぱりそこに『昔のわたし』と重ねて見ている気持ちがあるような気がして、素直に受け止められそうにありません。


「ああ、でも……リーンが考えていることとはちょっと違うかな」


わたしが落ち込んで抱えた膝を見つめていると、ロバくんがやわらかい声で言いました。


「おれはね、テラ――昔のきみのことが好きだったから、リーンと付き合っているわけじゃないよ」


顔を上げて横に座るロバくんを見ると、穏やかな、でも真剣な顔をしてわたしを見ています。

『昔のわたし』が好きだから、『わたし』と付き合っているんじゃないかと予想していたわたしの考えをあっさり否定されて、わたしは首を傾げます。

それじゃあ、つまり……『今のわたし』の方が好きなのかな、と。


「だけど、リーンとテラをまるっきり切り離して考えているわけでもない。

 記憶があっても、なくても、昔のきみも、今のきみも、

 きみはきみであって、おれにとってはたった一人の愛しい人だ」

「ん……よくわかんない、けど」


だけどなんとなく、わたしのすべてを受け入れてくれる言葉に思えて、体の奥がじわりと熱を持つような心地がします。


「少しボケてて、あざとくて、したたかで、可愛い。きみのすべてが好きってことさ」


わたしの、すべてが、好き――。


「わたしも、ロバくんが好き」


胸がいっぱいになって思わず零れ出たわたしの告白に、ロバくんが顔を赤くしてちょっと照れながら無邪気な顔で笑ってくれます。

ロバくんが好き。

ぴったりひとつになりたいのに、座っているから少しの距離も遠くてもどかしい。

少しでも近づきたくて、膝を抱えていた腕を下ろして上半身だけでもロバくんににじり寄ります。

見上げるように見つめると、ロバくんも体を倒すようにしてわたしに近づいてきました。

青い瞳がゆっくりと近づいてきて、それがなんだか眩しくてまぶたを閉じると、唇にやわらかくてあたたかいものが触れました。

少しして離れてしまった温もりに寂しさを覚えて


「もっと」


とねだると、抱き寄せられたわたしの耳元に熱い吐息がかかって、そしてそれからわたしとロバくんは、何度も唇を重ねました。



「あのさ」


たくさんのキスのあとロバくんの腕の中で何も考えずに幸せな心地でいると、ロバくんが髪を梳くようにわたしの頭を優しく撫でました。


「これから先、否応なく記憶を取り戻してしまうことがあるかもしれないけど。

 おれが必ずそばにいて、今度は絶対にきみのことを守るから」


背中に回った腕の力が少し強くなって、ちょっと苦しいけれど、でもとても安心できます。


わたしの記憶――。

最近のわたしは、三年前と違って記憶を取り戻したいとは思わなくなっていました。

でも今のわたしは、昔のこと、思い出したいと思っています。

だって、知りたいもん。

昔のロバくんのこと。

どんなふうに笑うのか、どんなふうに話すのか、なにを言ってくれたのか、全部。


「うん。一緒にいて、ロバくん。これからも、ずっと」


過去を思い出したい。

だけどそれ以上に、これから先の思い出をロバくんと一緒に作っていきたいから。


「ロバくん、大好き」


だからずっと、そばにいてね。


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