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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

君と××する覚悟はとうに

作者: 香坂


それなら赤い糸の話をしよう。


ある朝目が覚めると俺の左手の薬指には赤い糸が巻きつけられていた。漫画か何かで見る赤い糸は小指だったような気がするんだが、とりあえず左手の薬指にそれは巻きつけられていた。俺は一人暮らしだし、別段前の日に酔っぱらって帰ってきたわけでもなかった。普通のテンションで仕事を終えて、珍しく定時で上がって、家で飯を食って、お前と電話をして、それから確か適当なつまみで軽く晩酌をして、メールチェックして、寝た。確か日付が変わって少しした頃だったと思う、ああ、意外と最近の話だ。四日前、かな。

そのままいつもの時間に目が覚めたらその、赤い糸事件だ。これだけ言うと妙にロマンチックなものになるが、もうすぐ三十路を迎えるオッサンが赤い糸事件だなんだと言ったところで寒いだけだな、でもまあ便宜上、だよ。左手の薬指にその赤い糸が指輪みたいに巻き付いていた。巻き付いたまま仕事に行くのもなんだかな、と思っていたがそれはただの糸だったらしくすぐに外れた。痕も別に残らなかったし、一体誰がやったんだろう、もしかして夢遊病の気でもあるのか?とか考えたが朝で忙しくてそのまま輪になった赤い糸を机に置いたまま会社に行ったんだ。帰ってきて余裕があったら考えよう、くらいに。その日は確か……ああそう、残業だ、よく覚えてたな。終電の一本前で帰ってきて。そうしたらお前から今日こっちに来るってメールがあったんだ。それでメールのやりとりをしているうちにまた考えるのを忘れて……ああ、それで気づいたのが一昨日なんだが。出勤前に糸を外して机に置いていったはずなんだが、どこを探しても見つからない。今話した通り俺は別に掃除機もかけてなかったし片付けをしたわけでもない。割と探したんだが見つからない。そういうものだったということにして俺は諦めたんだけど、不思議だと思わないか?夜に巻かれた謎の赤い糸。土曜日の二時間スペシャル枠なんかでホラーというかサスペンスというか、そういうドラマの見出しっぽいというか。まあ実際はもうボケ始めたのかもしれないアラサーが見た幻、なんて儚いものだったと考えるとなかなか現実味に溢れてしまってつまらなくなってしまうんだけど。しかし俺がもしも寝ぼけて自分で本当に赤い糸事件を起こしていたんだとしたら夢遊病疑惑もそうだけど一体何のために左手の薬指なんてロマンチックなところに赤い糸なんて更にロマンチックなものを巻きつけて結んだんだろうな?深層心理かどこかで結婚願望なんてのがあるのかもしれないな……ごめん、そんな顔するなって。あーもうどっかで勝手に結婚しろとか、そういうこと言うなよ、拗ねるなって。な?……ん?来週の日曜日?あー……お見合い、ねえ。いやまぁ、そういう話もあったけど、あったけど!そりゃ断ったよ。付き合ってる人がいるので、って。これで出世の道がなくなったら十分の一くらいはお前のせいだからな!って、俺これお前に言ったっけ?あ、こないだの電話で愚痴ってただろ……ああそっか、こないだの電話はお互い職場の愚痴大会だったもんな、うん。言ったか。そっちもそっちで大変みたいだし、お互いいろいろ面倒だよなあ……ん、話がある?なんだよ急に改まって。え、今日?今日は、えーと……あ、そうか、今日で三年か、うわ、意外と長かったのな!あ、ごめん、それで?……うん。うん、……。え、あ、あー……うん、はい、こちらこそ、何だったか、ふつつか者ですが、よろしくお願いします…でいいのか?ん?左手?え、まさか、ってまさかか?うわー……なんだか突然すぎて気が動転してる、お前がこっちに来るっていうから何かあるんだろうと思ってたけど、そういうこと、か。三年だっていうのに何も用意してなくてごめんな、お前に今言われるまで気が付かなかった。あ、知ってた?そうか、そうだな。お前はたまに俺よりも俺のこと知ってるし。でもしばらく会ってなかったのによくサイズぴったりに用意できたな、はは、愛の力?まあ、とにかく、ありがとう。

ん?どこに行くのかって?風呂沸かしてくる、お前も入るだろ?……はは。夜は長いんだから、ちょっとくらい待ってろって。



俺はたぶんずっとこれからも好きでいると思う。愛していきたいと思う。だから、結婚してください。何度も頭の中で考えた台詞だった。どうしたら喜んでくれるのか、なるだけ最上級に喜んでくれるように頭の中でプロポーズの言葉をこねくり回した。今まで見たドラマや映画、学生の時に読んでいたと言っていた漫画も研究した。それくらい一世一代の決心と告白だった。俺の友達がプロポーズは人生一期のラスボスへの最強呪文だ、それで倒せるかどうかは勇者の腕次第だろうな、と独身最後の夜にドヤ顔で言っていたのを、浴室から聞こえるシャワーの音を聞きながら思い出す。出会ってから今まで必死だった。 どうやったら好きになってくれるんだろう。どうしたら喜んでくれるんだろう。学生時代の友人を深夜のファミレスに呼び出したりもして、それなりの大学を出たそれなりだったはずの頭脳を完全に無駄遣いした。無駄遣いしたおかげでどうにか付き合えることになってからも変わらないさりげない仕草だとか笑顔だとかに何回も恋をした。いい年こいて恋愛がこんなに楽しいものだなんて知らなかった。童貞でもないくせに毎日がふわふわと過ぎていった。思いすぎた結果の鼻腔の奥の鉄臭さと召されそうな脱力感はきっと一生忘れられない。ある意味一生分のトラウマにもなった。シャワーの音が止む。ほどなく聞こえてきた調子はずれの鼻歌に笑って、去年の誕生日にもらった黒くてごついヘッドホンをつける。端末をタップ、お気に入りの曲が聞こえてくる。自然なエコーと耳触りのいい声。ミディアムテンポのその曲は俺らの思い出の曲だった。

ちゃぷん、水の跳ねる音を近くで感じて、笑いながらポケットの中の14号の赤い糸を指先で弄ぶ。繊維の集まりが縒れてほどける感触があった。



君は今どこで何をしているの、なんて、切ないラブソングなんて歌っている暇はない。

普段浴室に持ち込んでいる防水のイヤホンとプレーヤー。思い出の下手くそな鼻歌はそのままに、聞こえてくるかわいいなあ、のにやけた声の愛らしさに笑いが漏れた。

浴室の照明の上と彼に贈ったヘッドホンの左側、小数点第二の視力じゃ見えない黒い小さな正方形に、心の中で熱烈なキスをした。



ひとりの人間として壊れはじめているということをきっと気づいている。

枠から外れた小さな兆しに口元だけで微笑む彼は、自分の犯した罪を楽しんでいる。

恋は盲目、という言葉がある。

相手の皮を被った化け物がふたり、そこにいたとしても、恋人たちは視覚以外の四つの感覚を以て愛を楽しむ。嫉妬というくだらない胸のざらつきも、遠く距離を隔てた不安も、総てがくだらないものになる。

何も知らないふりをして、ふたりは穏やかに堕ちていく。

指を絡めて手を繋ぐ、接触面から溶けていくように、揃いの指輪は手錠のように、はたまた赤い糸のように。

漏れ出した心の赤は細く長く、どちらかの赤が事切れるまで。

それを破滅と呼ぶ人もいるかもしれないが、彼らにとって恐らくそれはまぎれもなく愛、なのだ。


学科で作った創作BLアンソロジーに寄稿したものです。

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