三話
朱座/ラクシャイエスという少年を言葉で表すなら自由奔放という言葉がもっとも当てはまる。
歩けるようになってから大人の目を掻い潜りフラフラとどこかへ行き大人達を困らせることは日常茶飯事だ。母親である朱音が幼い頃に亡くなったも一つの原因だろう。母親というストッパーがいない朱座はどこまでも自由で、同時に同い年の子達の中ではずば抜けて大人びていた。
彼はいわゆる天才というものではなかったが思慮深く、七歳という年齢にも関わらず同年代の子供にはないような落ち着きがあり、その場の状況を瞬時に把握する能力や第六感は抜群に冴えていた。もっぱら彼はその能力を大人達から逃れるために使っていたのだが。
そういう理由もあったためか、近所でまじめな性格と評判の汪理と友人関係になったことは周囲の大人達に「これで朱座も大人しくなるのでは?」と思わせた。
しかし残念なことに幼馴染の汪理と行動を共にするようになってからむしろ朱座の暴走は加速した・・・どころか朱座の影響を受けた汪理が朱座と共に問題行為を犯すようになった。
問題行為、といっても「子供だからまあ許せるよね」というレベルの範疇に収めるあたり二人の賢さ―もとい、悪どさが垣間見える。
まあ汪理の両親は自分の息子の性格を少々気にしていたようで、汪理が外交的になったのを好ましく思っているようだが。二人が交友関係を持って1年、「ラクシャイエスの問題児」として名を馳せる(?)のには十分だったようで、今では里レベルの問題児になっている。
三十人ほどの児童が集まる私塾教室、その中に朱座と汪理の姿があった。私塾教室、と言っても塾ではなく学校だ。朱座達の暮らすラクシャイエスではこの私塾教室に7歳から12歳まで通うことが義務になっている。ここで読み書き、計算式、武道など習うのだ。
法王国ディエナの第3都市、迎蘭層が打ちたてた政策で、迎蘭層の辺境に存在するラクシャイエスでもこの方針は取り入れられている。
少量の納税追加でヤンチャ時の子供の世話を見てくれる、という認識なのか、若干意義が薄れているような気もしないでもないが。
「では気をつけ、礼!」
「「「ありがとうございましたー!」」」
四限の初期数学を終え、放課後へ。終礼が終わるや否や、子供達は蜘蛛の子を散らすように教室の外へ飛び出していく。其のうちの約三、四割ほどは遊びに行く、というわけではなく、家督や農作業の手伝いなのだが。
そして数分後、残ったのは数人の生徒。その中に朱座と汪理の姿があった。
「汪理、今日はイ坐理さんの所はいいのか?」
イ坐理は汪理の父親の名前で、里の道場の管理主だ。週にニ、三回ほどの割合で稽古に付きあわされるらしい。ちなみに啓座は農業従事者で、収穫の時など、忙しい時は朱座も仕事に付きあわされる。
「ああ、今日は第二週簾の日だからね。道場は休みなんだよ。」
朱座と付き合いの浅い頃は気弱な喋り方だったが、今ではだいぶ物事をはっきり言うようになった。
「どこか行く?」
「裡森はやめといた方がいいよ。最近、化生が目撃されたらしいし。」
「・・・本当か、それ?」
「僕も又聞きなんだけどね・・・。チラっと見たぐらいらしいから勘違いっていうこともあるし。でも今日あたり、裡森に三級防衛令がでるってさ。」
「なるほど、今日はやめた方がいいか。」
朱座と汪理は危険を冒さない。あくまで二人は「子供のイタズラ」の範疇で、可能性が極めて低いとは言え、命の危険を省みないようなマネは決してしない。
そういう思考がすでに7歳の子供の範疇を超えているのだが、二人はそれに気付いていない。
「帰りに雑貨屋に寄るぐらいにするか。」
「了解。」
ラクシャイエスの問題児の異名を持つ二人だが決して毎日トラブルの種を蒔いたりするわけではないのだ。それこそが二人のタチの悪さでもあるのだが。




